働くママさんたちの仕事と悩み

 ゼミの卒業生や同僚の教職員の中に、働くママさんが多い。母として、彼女たちの悩みのタネは尽きることがない。とくに中でも深刻なのが、子供の世話と教育である。共働きの相方で、彼女たちの役に立っている男性はごく少数である。


昨日は、初代の女性ゼミ長(Tさん)と大学院の卒業生(Mさん)が、たまたま仕事で打合せをすることになった。「これからMさんとお台場で打ち合せです」(Tからのメール)。
 『NHK趣味の園芸』の取材(@Mさんの会社の都心事務所)が終わって、電車で移動をしていたときのことである。ほぼ同じタイミングで、ふたりから携帯メールをもらった。その瞬間、不謹慎にも大笑いをしてしまった。偶然にも、2人が午後4時にお台場でミーティングすることを知ってしまったからである。

 一ヶ月前に、大手飲料メーカーに勤めるMさんが、担当商品の調査案件を、大手リサーチ会社の女性課長であるTさんに依頼したのである。ふたりが一緒に仕事をするのは、これがはじめてではない。初回は、ふたりともわたし(小川)の弟子であることをお互いに知らないで、仕事をしていたらしい。Mさんが、「もしかして、先生、Tさんは、小川ゼミの卒業生では?」と聞いてきて、はじめてわかったことである。
 昨日のお台場ミーティングは、ふたりとも出席する調査結果のプレゼン報告会だったらしい。どちらも一児の母である。片方のTさんは、小学校1年生の男の子を持つシングルマザー。もう一方のMさんは、女の子を保育園に預けて働いているキャリア女性である。
 午後4時という打合せの開始時刻は、働くママさんたちにとっては微妙である。仕事の案件だから、会議が長引くこともある。彼女たちは、常に時間と競走している。
 時間の使い方は、毎日スリリングそうである。法政大学は、共稼ぎの夫婦が多い。同僚の職員女性から、以前に聞いたことがある。「働く母は忙しい。毎日が綱渡りです!」と。

 午後17時46分。お台場に居るTさんから、わたしの携帯にメールが入った。「Mさん、走って帰りました~ やはり働く母は大変です!」。保育園から娘さんをピックアップするために、ぎりぎりの時間だったのだろう。小学生の男子を持つTさんのほうが、多少は余裕があるようだ。課長に昇進しているからでもある。
 17時47分に、わたしの携帯に、メール着信の知らせがあった。職場から走り去ったMさんからである。Tさんのメールを開いてから、経過した時間はまだ1分。電車に飛び乗って、ほっと一息ついてからMさんが出したメールである。
 「バラの写真、きれいです。 (中略) 縁ってあるのだなあとつくづく思います。Tさんの報告終わりました。」
 取材のときにわたしが撮影して、携帯メールに添付して送ったバラの写真に対する感想つきである。お台場から神奈川県境まで、延々と電車を乗り継いで、Mさんはわが幼児を保育園に迎えに行く。その途中である。夕方の6時。電車に乗っている父親の姿は、どこにも見あたらない。

 <後記>
 余計なお世話ではあるが、ふたりとも、いったい食事はどうしているのだろうと思うことがある。朝に作り置きでもしているのだろうか。共稼ぎやシングルマザーの場合、掃除や洗濯のタイムスケジュールは? いやいや、余計な心配なのだろう。
 MさんやTさんから、休みの日に、ごくたまにであるがメールをもらうことがある。
 気丈夫なはずのTさんから、あるとき、「(小川)先生、洗濯機をまわしながら、ぐるぐる回っている渦を見て、おいおい泣いてしまうことがあるんですよ~」という寂しい繰り言が飛んで来たことがあった。「おいおい、そんなさみしいこと言うなよ」と返してあげたが、慰めの言葉にもなっていなかった。
 共稼ぎ夫婦の一方は、大変である。わたしは、Mさんの旦那さんの顔も職業も知らない。しかし、わたしも同じ立場であれば、子供を保育園に迎えに行くために、夕方、仕事を早めに切り上げることはできないだろう。利害関係がないから、元学生のMさんとはいまは大の仲良しである。それが、もし夫婦という立場にでもなれば、彼女との間で毎日きっと喧嘩が絶えないだろう。それが現実というものである。
 子供の育児の負担は、女性が一方的に負ってしまっている。おばあちゃんやおじいちゃんが引退している場合、育児は祖父母に委ねられていることもある。日本の社会で、女性が労働参加をしようと思えば、リタイアした肉親の助けを借りないと、まっとうな育児ができない状況にある。
 働く母親の悩みは深い。そうした母親の困難を、物心両面から支援する社会的なシステムを構想するべきときである。夫婦だけで、この問題を解決することには限界がある。そうでもしないと、この先も永遠に、日本は少子高齢化社会から脱することができない。