羽田空港発、10時半の飛行機で宮崎に向かっている。いまは京急線の立会川付近。午後から地元宮崎の鉢・苗生産者向けの講演会がある。ヨーロッパの最近の動向を話すつもりでいる。
このごろ、講演中に一瞬、戸惑うことが増えてきた。なぜか? 準備したストーリーのなかに出てくる、具体的な会社名やひとの名前、詳細なデータなどが思い出せなくなるからである。もとからメモは作らないひとである。瞬間、昔の記憶をたどれなくなることが頻繁におこり始めている。ときに講演が中断するのでは、と恐怖心に駆られる。記憶の奥が透けて見えない。どんよりしているのである。
若年性の認知症については、渡辺謙と樋口可奈子が主演した映画「明日への記憶」を、むかし映画館と最近になってテレビの再放送で見たことがある。映像が記憶に生々しい。
広告代理店の第一線で働らく主人公の経験に基づく実話らしい。わたしも、目の前に立っている人の姓名まで、すっかり忘れてしまっていることがある。思い出せないのは、気恥ずかしいことである。
悪気はないから、さらに困り者である。
むかしから、ゼミ生の男子たちの名前は、努力しては覚えてこなかった。しかし、最近では、女の子まで名前が出てこない。病気を心配するのは、そのためである。疲労か、加齢か。単に、対象に興味を失ってしまったのか。
実は、昨日、「東京マラソンのゼッケンを入れたバッグを、失くしてしまった」と電車の中で気がついた。都営線内でのことである。記憶の糸をたどってみた。
乗り換え駅の東日本橋で、電車を待っている間に、ホームで空いている椅子に腰掛けた。椅子は3連。真ん中に座った。どちらも隣が空いていた。バッグを下に置いた。自分はそのように記憶していたので、京成線の曳舟から、都営浅草線を東日本橋駅まで戻った。
駅の遺失物担当にすぐに届け出た。親切な駅員さんは、コンピュータで検索してくれた。いまは、都営に関係する路線ならばみな検索できるのである。やはり、ゼッケンの入ったバッグは届いていない。
「まだ(なくしたのが)30分前だから、入力がされていない可能性が高いね」と駅員さん。しかたがない。市ヶ谷にある研究室まで戻ることにした。記憶は定かでないから、「もしかすると、研究室から出るときに置き忘れた可能もあるな」と。
研究室のドアを開けた。一瞬。あったのである。机の上に、バッグがちょこんと置いてあった。ゼッケンの再発行は必要なくなった。しかし、わたしの記憶は壊れかけているかもしれない。
さて、宮崎の講演は、どうなるだろうか? フライト前、忘れ物はないだろうか?