20年ぶりの大学院専攻主任(IM研究科、2010年4月より)

びっくりである。予定をしていない役職は、これで二回目である。2002年の経営学部長就任は、橋本寿朗さんの突然の死によるものであった。今度の大学院専攻主任への就任は、どこか人為的である(笑)。経営学部教授を辞して、気楽に大学院教育に専念できる。そう思った途端、突然のごとく降って湧いたような出来事である。


前回の大学院専攻主任(経営学研究科)は、夜間のビジネススクールをはじめた1992年(着任早々に企画)であった。なんとなく実現してしまったので、そのあと有頂天になって、つぎつぎと新しい事業を立ち上げた。ほとんどみな、社会的には成功に導いた。 しかし、である。結論をいえば、わたしは管理職(リーダー)には向いていないのである。こんなわがままな人間が、組織の長になることはやばいのである。
 JFMAは、NPO的な組織だからまだしも。きちんとした支え(松島さん以下、副会長、理事の皆さん)もいるからよい。専攻主任は、いわば、大学院の校長先生である。いやいや。思い返すと、やはり、向かない、絶対に向かない。
 どうしようもなく、とうとう引き受けるざるえないことになった。今度は、大学院の副専攻主任は、石島先生と村上(健)先生である。たぶん、ご迷惑をかけると思う。一年こっきりでやめる。なので、そのあとはそっとしておいてほしい。エッセーイスト、小説家への道がまたまた遠ざかるような気がする。
 
 わが妻にも、面と向かって宣言されたことがある。「(役職に就くと、)偉そうな顔になる」。なので、偉そうなポジションはだめのようだ。その通りである。経営学部の市川雅子主任にも、別の表現でコメントされた。
 「小川先生は、ひとを使いべらしてしまう」(市川さん)らしい。たしかに、経営学部長の二年間を振り返ってみると、まさにその通りであった。学生や院生の能力を伸ばすことは得意なのだが、同僚や部下としごとをするとなると、結果として仲間を殺いでしまうことになる。それが、いまだに悩みの種である。 しごとをしないと何にもないのだが、天はいつもチャレンジをしかけてくる。困難なことに挑戦しはじめると、部下たちに死屍累々の戦場を歩かせてしまう。
 今回は、それはやりたくないなあ。これが、本音である。だから、やりたくなかったのである。