本日、58歳になりました

おはようございます。誕生日の朝です。本日をもって、当面の目標だった58歳を迎えることができました。母親(小川わか)が産科の病院で受けた占いによると、わたしは、13歳で水死することになっていました。それが、45年分を余計に活きることができました。神様に感謝です。


本日、経営学部の研究会で、「58歳の誕生日に:ふたつの”遺書”のこと」というタイトルで短い発表を行います。7月に日経から刊行したテキスト「マーケティング入門」と、来年4月に小学館から刊行予定の「(仮)小川町物語」の制作プロセスのことを話します。7月に大学院の学生のために話した内容(HPにすでにアップ)を、法政大学の教員の皆さん向けにお話します。
 コメンテーターは、同僚の竹内先生。およそ10人が出席の予定のようです。タイトルを「遺書」としたのは、58歳まで目標としていた二つの大きな仕事を終えたと思っているからです。残りのしごとは、フィールドワークやリサーチ本、などいくつかありますが、その他は、花関係のJFMSやMPS、サービス生産性協議会のJ-CSI、オーガニック農産物のOMRプロジェクトなど、社会貢献的なものばかりです。49歳で企図していた通りに、自分のためのしごとは、ほぼ終わりになりました。したがって。「遺書」としたわけです。
 今後は、社会企業家であり、物書きとしての仕事に、人生の目標を切り換えます。ピュアな学者としてのしごとは、かなりの程度、制限することになります。もちろん、おもしろいもので、そう宣言下とたん、外からの仕事が依頼が増えてくるものです。あまり無理をせずに、自然体でむかしからの仕事にも取り組みます。
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 58回目の誕生日を迎えて、うれしくも、さみしいことがひとつありました。
 イタリア料理のシェフをやっている長男(由)が、1月から神戸勤務になります。転職までの二ヶ月は、イタリアに旅行するそうです。なお、娘(知海)は、10年ほど前から京都(ホテルグランビアに勤務)に住んでいます。これで、家族のうちふたりが関西に居住となります。次男(まつぎ)は、おそらく、来年から新幹線の運転手(JR東海)になりますので、研修のために、しばらくは静岡訓練所に勤務になるはずです。
 3月には、フェレット(4歳)の「花丸」を失いました。当面は、家族が離散状態になりそうです。庭の植物を相手にするしかないかな。と。富山から大量の球根が届きました。まずは、来春に向けて、球根を玄関の庭に植えることにしますか。