桜の季節になると、なんとなく落ち着かなくなる。「桜の木の下には死体が埋まっている」と言ったのは、詩人の坂口安吾だったろうか? 桜のピンクは、死体から流れ出た血を樹木が吸いあげた色だと・・・ 本日は、同僚の竹内淑恵教授から、研究室に銀座「空也」の桜餅の差し入れがある。塩っけのある葉っぱが何重にも巻かれた、好物の甘味である。
春合宿(@伊東、3泊4日)から、おととい帰還している。伊豆半島でも桜は7分咲きだった。海岸線の山の斜面に、車でドライブしていると、点々と山桜があらわれる。新緑にはまだ早いが、3月末の合宿のときは、伊東付近で咲き始めの桜に出会う。今年の合宿は、3月26日~29日だった。
合宿から東京に戻ってくると、市ヶ谷の土手の桜が満開になっている。いつjものことである。近くのオフィスビルから、今年就職したばかりの若者が出てくる。上司から「席とり」を命令されたのだろう。きっとはじめて任された仕事である。花見用のロープを張って、夕方からの「升席」を確保している。
法政大学の高層ビル、小川研究室がある18階の窓からは、いま靖国神社と北の丸公園で満開の桜が見下ろすことができる。あと一週間もすれば、風と雨に打たれて桜は散り始める。きれいな時期は短い。武士のように潔く散る。それはそれで美しくはある。
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実は、春合宿の間も、しまむらの藤原秀次郎会長と携帯電話で取材を続けていた。藤原さんのパイロット免許取得(65歳での取得!)のことで、30分も話し込んでしまった。最終試験で飛んだ場所は、インドネシアのジャカルタ郊外。2007年12月27日のことである。
独身時代の25歳のときに、藤原さんは調布飛行場でフライトを経験している。それから40年後に、正式に自家用パイロット免許が取得できたわけである。おそらくは、日本最高齢のパイロット免許合格者ではないかと思う。JALやANAのエアラインの飛行士は、その頃になれば、もう現役を引退している時期である。
電話取材中に、またしても偶然を発見してしまった。藤原さんが昭和40年に調布飛行場から練習で飛んだセスナ172Mと、その10年後に、群馬県館林市の大西飛行場から、しまむらが7、8号店の店舗立地を確認するために飛ばしたセスナ172Mが、同じ航空会社のものだったことである。伝説の「大洋航空」である。創業者の大西勇一氏は、85歳で健在だった。あるHPで確認できた。こちらもびっくりである。
島村恒俊オーナー(当時、しまむら社長)は、藤原秀次郎(現、しまむら会長)と廣瀬義征(現、ロッキー副社長)を伴い、上空からこのセスナで児玉店と境店の立地場所を確認している。昭和50年には、航空写真が存在していない。自らがカメラを片手に、上空から自動車の動線や、近くの住宅の密集状態や、新しい高速道路の建設現場や、河を跨いで建設中の橋やらを確認している。
「アルファ・アビエーション(パイロット訓練学校)」の齋藤健司君(IM卒業生、同社専務)が、「空から眺めると、その場所の現在ではなく、将来、未来が見える」と言っていた。なるほど、そういうものなのかと思う。
昭和51年以降は、しまむらが店舗立地で失敗する確率が非常にすくなかった。セスナでの飛行は、島村オーナーの発案によるだったらしい。しかし、当時の経営スタッフたちは、えらい先見性を持っていたものだと感心する。いまはグーグルマップがあるので、なんのことはないが、当時の経営者たちで、上空からの探索の有効性に気がついていたひとがいたわけである。
パイロット免許取得と上空からの立地探査の顛末について、詳しくは、「小川町経営風土記」の第15回と第16回をお楽しみに。
本日は、大学の友人たちと「桜の会」を催すことになっている。市ヶ谷の土手を散策するが、もちろん、ロープは張らないでの観桜会である。