「京都ブランドの成り立ち」(2007年10月31日@京都工繊大学)

 京都工芸繊維大学で開催された国際シンポジウム「人間指向型工学研究センター講演会」(KIT HueTech Symposium: Researches and Applications – with various viewpoints –)で、「人はなぜブランドに惹かれるのか-京都ブランド再考-」というテーマで講演をすることになた。


そのときの講演内容を、「京都ブランドの成り立ち:都市としてのブランド形成の歴史的な変遷と今」という論考(論文よりは講演録的な位置づけ)の形でまとめ直したものである。
 基礎資料の収集と講演ドラフトの整理は、いつものようにリサーチアシスタントの青木恭子が担当している。さらに詳しい内容は、本HPの<R&R>をごらんいただきたい。図表などがついた全体論文は、いずれ法政大学イノベーションマネジメント研究センターの紀要に登場することになっている。はじめの導入部分のみ掲載する。                             
                          
1.はじめに: 京都ブランドの成り立ち

 「京都」というブランドは、どのように作られてきたのだろうか。まず、京都という街のブランドイメージの変遷史をまとめてみる。
 京都という土地を、「ブランド」という視点から考えるときのポイントは、以下の4点である。

① 心象風景としての「ブランド」
 「ブランド」とは、心の中にある連想、イメージである。実態も重要だが、「人がブランドをどう思っているか」という、人間の心象風景に重点を置いた概念である。

 京都人が考えている京都の姿、日常のなかで寺町や鴨川、嵐山などに出かけたり散策したりする経験と、京都の外から来た人間が京都について抱く心象風景とは、かなり隔たりがある。東北人としての著者(小川)の印象からすると、京都は京都の無形資産としてのブランド価値を、日常的に京都に住んでいるということによって、アンダーバリューしているように感じられる。
 京都は、他の場所が持っていない何かを持っている。戦時中も京都は焼けなかったし、変わらなかった。日本の他の近代的都市と比べて、少なくとも戦後に関しては、風景が変わらないということに京都の価値があった しかし、そのことを京都人は意外と過小評価しているようである。

② ブランドの三つの層
 ブランドには三つの層がある。一番目はラグジュアリー(プレミアム)・ブランド(ルイ・ヴィトンなど)、二番目がレギュラー(ポピュラー)・ブランド、一番下がコモディティ=ノー・ブランド、つまり差別化されておらず、ブランドではないものである。
 京都は、都市ブランドとしては、ラグジュアリー・ブランドに属する。世界をめぐってみたときに、京都に対抗できるのは、1000年以上の歴史をもち、建物や風景がゆっくり変わっていった街、ミラノ、パリ、フィレンツェのようなヨーロッパの街だ。
  京都も昔は東京のような都だった。政治経済文化の中心、パリも同じで、人々が上京していく都。最初は政治都市からスタートするが、文化都市として残っていって、それが街としてのバリューになっていく。そこでは、かならず、衣食住と遊の文化がすべてセットになっている。それが世界のトップにあるラグジュアリー・ブランドに共通するポイントである。
  1000年以上の時間を経て作られてきた文化であるから、他所の人間が入っていく間口は狭い。最高のものには、人のネットワーク、トップの知識をもった人に聞かなければたどり着けない。今日のルイ・ヴィトンにしても、もとはパリに1軒しかなかった店が、徐々に評判を高めていった結果なのである。

③ 伝統と革新
  ブランドを支える文化は、振り子のように左右に振れる。ブランドが変わっていく時には、両極がある。右の極が「伝統」、つまり、ブランドの在り方、スタイルを「変えない」という軸、左の極が「革新」、「変えていこう」とする軸である。
  たとえば、和菓子の「虎屋」や有田焼のトップメーカー「香蘭社」のような老舗は、500年近い歴史をもっている。こうした老舗の歴史を追っていくと、それぞれの時代時代で、当主が伝統に向いているか革新に向いているかで、ブランドの育て方が異なっている。京都という街自体も、一方で西陣のような伝統工芸を残していながら、オムロン、京セラ、ワコールなど、時代を画したイノベーティブな企業を輩出してきた。京都がいつも右、伝統の極だけにふれていたなら、いまの京都はありえなかっただろう。以前の時代にも、京都は、イノベーティブな産業、企業、そして人間を生み出してきたはずである。そしてその一方で、町並み保存や長い付き合いのお客さんを大切にするしきたり、ルールなど、伝統を守ってきた側面もある。
 つまり、長くブランドが続くルールを作り出しながら、一方で、古いものに改良・革新を重ね、伝統の上に新しい技術、カルチャーを載せてきたのである。たとえば、京セラという企業の基盤はセラミックだが、もともとの陶磁器の技術に工業製品的な要素を加えて成長してきた。ワコールも、繊維のメーカーベンダーから始まり、女性の下着を科学的に体の線にあわせ、百貨店で売るという新しい試みを重ねて成功した。
 現在、京都はどちらかというと伝統の極の方向にふれている。そもそも、現在の世の中が伝統(保守)の時代に向かっており、伝統、古き良きものが見直される時代に入っている。そのなかで、京都のバリューはすでに上がっているし、これからももっと上がっていくはずだ。

④ ブランドは人が支える
 ブランドは人が支えている。ブランドには、そのブランドを支えてくれる人が存在する。歴史的にみると、政治経済文化の中心であった時代、京都を支えていたのは、貢物や荘園収入であった。京都が都の地位を失い、貴族階級は没落していった。現在の京都を支えているのは、観光業や、ブランドとしての京都が生みだす産業、そして京都にある製造業・流通業などのもたらす収入である。
 とくに観光に的を絞ると、京都を支えているのは、リピーターである。後述するように、近隣の関西圏からの入洛者に加え、団塊の下の世代、修学旅行や旧国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンによる国内観光ブームで京都を経験済みのリピーター、特に女性が、子育てを終えた今、京都に再訪して観光を支えている。そして、米国人をはじめとする海外からの観光客も、伝統的なカルチャーを見ようと、京都を訪れる。
 ところで、カルチャーとは何だろうか。端的に定義すると、カルチャーとは、「ある対象物(国、土地、人、企業等)に対して、人々が共通に感じている信念(想い)の体系」である。人々が共通に思っている信念、しかもそれはネットワーク化している、この意味では定義上、ブランドに似ている。 
 ブランドはあるときに都市になったり、人になったりする。われわれは、どういうふうにして対象物に対する連想を持ち、保持しているだろうか。それを考えると、連想は、記憶の中に残っているだけではなくて、現在でも人々の頭の中で想い続けられており、その連想は、実体を持つ「モノ」に埋め込まれている。
 政治・文化の蓄積の上にできあがっている都市では、文化は建造物のなかに埋め込まれる。そして衣食住、遊、すべての文化は、建造物のまわりで展開し、保持され、蓄積されていく。
 
(つづく)