大学時代の後輩で、日本経済新聞社の欧州編集総局長をしている日下淳君から、暑中見舞いのメールが届いた。彼にとっては、これが二回目の欧州駐在になる。8年前、オランダの花博(ズーテルメール)のとき、ベルギーに駐在していたので、一緒の列車でオランダを旅行した。今度は、ロンドンからである。その間の欧州の変化を伝えてくれた。
ご本人の了解を得て、ここに掲載する。印象的だったのは、やはり日本のプレゼンスの低下、いい意味で日本が大人の国になりつつある、ということだろうか。8日に送られてきたものだが、その後、日下君は、どこぞに長期休暇で旅行をしていた。掲載の許諾が昨日になった。欧州は夏のバカンス真っ最中。日本人もヨーロッパに行くと、安心して休みが取れるようだ。
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暑中お見舞い申し上げます
ご無沙汰しています。
暑い日が続いていることと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。
小川先生のことですから、益々エネルギッシュに、御活躍のことと思います。
私はロンドンに来て2度目の夏を迎えました。変わらず元気に過ごしています。
今年の英国は好天が続き、5-7月の週末はほぼ連日、青空の下で過ごせました。週末はテムズ河岸のWalkingや野外コンサートなど、英国の短い夏を楽しんでいます。
仕事面では引き続き、グローバル化や経済の最先端の動きを日本の読者に面白く、分かりやすく伝えるよう腐心しています。また、日本の存在感の低下に嘆息し、メディア産業の変化への対応に追われる毎日です。出張ではパリやミラノを訪れました。
妻の若名は9月からUCL(ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)の大学院で環境と社会について勉強することになりました。新たな分野への挑戦に、期待と重圧を感じています。
昨年に比べるとNewcomerとしての驚きは減りましたが、なお新たな発見や体験に感心し、新たな視点から日本を考えることの連続です。以下何点か、近況をご報告いたします。
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(1)経済実感
サブプライム問題の表面化から1年経ち、ロンドンでは不動産の「Sold」の看板が目立つようになりました。金融機関の人員削減のニュースが相次ぎ、人々が集まればガソリン価格高騰が話題になります。航空運賃上昇は里帰りやバカンスの計画にも影響甚大です。
しかし街は依然活況で、シティのパブは夕方になれば人が溢れています。観光地はどこも満員(これはパリでも同様)。実体経済がこれからどう推移していくか、観察のしどころです。
(2)ウインブルドンのQueue
6月末にウインブルドンに行ってきました。大会終盤でもないのに、当日券を求めて行列(Queue)に並ぶこと約7時間。混乱を避けるために係員(honorable steward)に渡されたQueue Cardの番号が10932番だったのを見た時には卒倒しそうになりました。それでも列の前後の人々と親しくなってスナックをやり取りするなど、英国流Queue文化を楽しみました(5時過ぎに入場した後の試合はあまり覚えていません)。
聞けば、半世紀前にウインブルドン周辺に住んでいた人は、自転車で会場に自由に駆けつけ、試合を楽しんだとのこと。10年前でもせいぜい2-3時間待てば入れたと聞きます。
グローバル化でイベントの世界でも1極集中化が進んでいるようです。テニスの世界では、勝ち組はもちろんウインブルドン。7時間の行列にそれを実感した気がします。
ちなみに美術館の世界ではルーブルの入場者が過去数年で200万人増え、アブダビにも近く分館をオープンします。これも観光・イベントのグローバル化の一断面かと思います。
(3)切り裂きジャックとマルクス
最近、「切り裂きジャック(Jack the Ripper)ツアー」なるものに参加しました。約2時間をかけて殺人現場や人々がたむろしたパブの跡地などを巡りましたが、感動的だったのがガイドの説明。ビクトリア朝時代のロンドン・イーストエンドの悲惨な社会状況や、人々の人種意識、政治の仕組みなどを歯切れよく説明し、当時の様子がよく伝わってきました。
別の日、ロンドン北部のHighgate CemeteryにKarl Marxの墓を訪ねてきました(1970年代の日本人の学生旅行者は、まずここに駆け付けた人も多かったと聞きます)。Marx像の大きさにニヤリとしたのは想定内でしたが、予想外だったのは斜め前に社会進化論のHerbert Spencerの墓を見つけたこと。敵対する思想の巨匠が向かい合って眠る光景に、思わず「重大発見をした」ような気分になってしまいました。
ロンドンを歩いていると、街のあちらこちらに歴史が埋まっています。現代を観察する上でも、大いに刺激になります。
(4)動物との距離
最近妻が日課としているのが、Regent’s Parkでの鳥への餌やり。鳴き声を真似しながら小鳥(Robinなど)を集めパン粉を与えるのですが、寄ってくる距離がどんどん縮まり最近では20-30センチになっています。St. James Parkでリスにピーナッツを与えると、靴の上まで上って来ます。先日Oxfordに出かけたときには、小川沿いの緑地で野生のハトを手なずけ、手の上に止まらせて餌を与えているオバサンを見ました。
英国でも欧州大陸諸国でも、動物と人間の距離が日本に比べ随分近い感じがします。人間が虐めないから警戒心が薄まるのでしょうか。小さなことですが、人々の行動や、人と自然との関係について考えさせられます。
(5)日本の「いいニュース」
日本の存在感低下は目を覆うばかりです。英国メディアで今年に最も重点的に報道された日本関係のニュースは調査捕鯨で、洞爺湖サミットも福田内閣改造も扱いは地味。英国やEUの国際戦略論議でも、アジアと言えば中国やインドの話ばかりです。
とはいえ、日本の印象が悪いわけではありません。ダイナミズムを欠くものの、安心できる先進国というイメージが定着し、日本人への視線は好意的です。スシやマンガのみならず、日本の美術やファッションへの関心も高まっています。先日Royal Academy of Artsで開催した建築家の隈研吾さんのセミナーに参加しましたが、若い学生で満員でした。
英国人や欧州人と話をしていると、ややもすると「日本は元気がない」という話になりがちです。そこで極力、「日本のいい話」をようと心掛けています。既存の価値観にとらわれない若者の活躍などの話をするとそれなりに興味を引くのですが、パンチはいま一つ。元気の出る話があったら、ぜひ教えてください。
(6)開放経済
経済減速も影響して、英国では移民規制(というか、移民ルールの厳正運営)の動きが強まり、EUも先の内務相会合で移民規制の強化を決めました。昨年に比べ政治テーマは内向きになり、米大統領選をにらんで重要政策については当面様子見気分になっているのは否めません。
それでも経済開放政策の推進やEU統合という大方針に揺らぎはないように見えます。それなしにグローバル化への対応はできない、という認識は、広く共有されています。経済の調子が多少悪くなっても、(少なくとも日本に比べれば)社会全体の閉塞感を感じることは少ない、というのが実感です。
相変わらずまとまりのない話で恐縮ですが、要はあちらこちらを散策し、元気に過ごしています。
健康に気を配られ、いい夏をお過ごし下さい。
2008年8月7日