中国進出から4年目の2000年末、上海キリン飲料(現地企業名、上海錦江麒麟飲料食品有限公司)はブランド戦略を抜本的に見直すことにした。日本で発売されているブランドを直接的に現地に移転し、日本流のマーケティングを展開するという決断であった。2001年の「午後の紅茶」に続いて、2002年には「生茶」が発売された。
<ファッション感覚の受容性>
上海の飲料市場が変化の兆しを見せはじめた背景には、日本の雑誌やタレントが中国に進出するようになったことがあげられる。日本人のタレントが中国都市部で支持されていることは、北京や上海市内のレコードCDショップで、日本人ミュージシャンの海賊版VCD(10元=約150円)が飛ぶように売れていることからも明らかであった。
中国でもっともファッション感覚が鋭い層は、筆者の聞き取り調査によると、上海市内で暮らす20歳代半ばの若い女性である。おしゃれな彼女たちが読む雑誌のなかでも人気が高いのは、意外や意外、中国語に翻訳された小学館の”Oggi”であった。ふつうに本屋の店頭で見かけることできる中国版”Oggi”は、表紙も中身も日本版そのものである。活字が中国語なだけで、モデルの写真もキャプションも日本語をそのまま直訳して使っている。ファッション誌があつかうアイテムには、化粧品や日用雑貨品に混じって、食品と飲料が含まれていた。
「わたしが総経理に就任したころには、現地の人たちの感覚が日本人にかなり近いところまで追いついてきているなと感じましたね」(小林厚社長)
上海キリン飲料にとっては、商品の機能性と経済性(低価格)を訴求する方針を転換するターニングポイントになりそうな気配があった。日本人のファッション感覚が中国で受け入れられるとすれば、それまではむずかしいと考えられていた「午後の紅茶」のような記号的なブランド名を中国に持ち込むことができるかもしれない。そうだとすると、日本流に「企業名」をつけて商品を販売するチャンスが生まれそうである。
<コンビニエンスストアの普及>
上海キリン飲料が販売面で苦戦していた原因のひとつには、量販系の販路が未成熟だったことがあげられる。上海のような都市部でさえ、食品スーパーのようなセルフ店で買い物をする習慣はまだ定着するにいたっていない。ロータスやカルフールなどのハイパーマーケットが進出をはじめてはいるが、必ずしも毎日の買い物に利用されているわけではない。
日本では当たり前の自動販売機の普及も遅れている。そのため、飲料のパッケージは、日本のように缶中心ではなく、ペットボトル(500ml)がふつうの形状になっている。このことは、後に述べるコンビニエンスストアでの飲料の販売とも関連している。ちなみに、中国では販売される飲料全体の約80%をペットボトルが占めている。これに対して、日本ではペット比率が約45%である。
おしゃれ感覚とともに、キリン飲料の販売に貢献した立役者は、新しい販路として成長著しいコンビニエンスストアであった。「午後の紅茶」の販売が始まった2001年1月の時点で、上海市内には約1,000店舗のコンビニエンスストアがあった。おおざっぱな数字ではあるが、2002年末現在で上海市内のコンビニの数は約2000店に増えたと言われている。今後の数年間は、毎年500~1,000店舗の勢いで出店ラッシュが続くことが予想されている。
上海でのコンビニの出店は、当初はダイエーの傘下にあった「ローソン」が先行していた。ローソンを標準モデルとして、その後は民族系のコンビニエンスストア・チェーンが店数を増やしている。ただし、売り場面積がやや狭い民族系でも、店内レイアウトは日本とほぼ同じである。入り口横の棚に雑誌類、中通路に加工食品や日用雑貨、菓子パンのような日配品や総菜はカウンター近くのゴンドラに配置されている。飲料があるリーチインクーラーは、入り口から一番遠い奥に設置されるという陳列パターンも日本流である。
<日本語のブランド名が記号として美しい!>
以下は、ビジネスの移転が文化移転そのものになっているエピソードである。
「午後の紅茶」の発売当時、キリンビバレッジ本社国際部で、日本語のCM広告素材を中国語に翻案した経験を持つ張志豪氏(現、キリンビール・アグリバイオ事業部→カンパニー上海駐在所長)に、上海でローソンの店舗に連れて行ってもらったときのことである。リーチインクーラーの一番いい棚位置(ゴールデンライン)に、「午後の紅茶」と「生茶」が配置されているのを確認した張氏は、わたしに「午後の紅茶」のパッケージがどの方向を向いているのかを当てるように謎かけをしてきた。
「午後の紅茶」の中国製ペットボトルは、四角い日本のペット容器とは異なり、丸い形をしている。表の面には、中国語でブランド名が「午后紅茶」と表記されている。それとまったく反対側の面には、同じ大きさで日本語風のブランド名で「午后→後の紅茶」と表記されている。中国語と日本語の違いは、「の」が入るか入らないかである。わたしの常識では、上海ローソンの店員さんは当然、中国語の「午后紅茶」の面が買い物客から見えるようにボトルを棚に置くだろうであった。しかし、一本一本を順番に確認していくと、予想は間違っていることがわかった。日本語表記の「午后の紅茶」の面が外を向いていたのである。
事務所に戻ってから、張さんの同僚の若い女性にたずねてみたところ、「の」という文字が「美しく見える」というのである。帰国後に、大学の教室で授業を受けている中国人留学生に確認のため聞いたところ、まったく同じ答えがかえってきた。「ひらがな」が素敵に見えるのである。英語の文字が「かっこいい」と思う日本人の心境と同じなのだろう。
<日本のCFを吹き替えてそのまま使う>
キリンブランドを直接現地に移転することになったので、コミュニケーション戦略にも変更が加えられた。「果汁」や「力水」の発売時のように、現地の広告代理店を使うのをやめ、「午後の紅茶」の発売以降は、キリンビバレッジ本社がCF制作を直にコントロールすることにした。
「基本的な考え方としては、映像(Visual)は日本、言語(Language)は中国としたわけです」(小林社長)
2001年1月の発売と同時に、「午後の紅茶」の中国バージョンがオンエアされはじめた。若き日のオードリー・ヘップバーンが自転車に乗って颯爽と「花屋の店先」に登場する場面を撮影したCFである(写真)。日本語のコマーシャルでは、スピッツが唄う「ロビンソン」がBGMとして流れ、最後に「いい顔してたら、良いコトあるよ。午後の紅茶」というコピーでCMは終わる。この部分は、中国語では「有恣快楽 麒麟午后紅茶(ヨウニンクァイラ キーリン ウホウホンチャー)」(意味:さらにあなたを楽しく(リラックス)させる、キリン午後の紅茶)と翻訳されているが、音の感じは同じである。両方のバージョンを比較してわかるように、日本語バージョンにはない企業名の「麒麟」が、中国バージョンには登場している。
「なるべく基本コンセプトは変えないように翻案しながら、しかし、中国風にアレンジすることに苦労しました」(当時、本社国際部でコピーの翻訳を担当した張氏)。
中国版の映像はほぼ日本のものと同じであるが、一カ所だけCG(コンピュータ・グラフックス)の技術を用いて、映像に変更が加えられている。CF中で登場する製品パッケージが、「缶」から「ペットボトル」に置き替えられているのである。現地でもっともたくさん売れているパッケージを登場させるために、映像に微妙な細工が施されたのである。
「午後の紅茶」の発売は、初年度から大成功であった。販売予定の31万ケースを遙かに超える74万ケースを記録した。中国人消費者の成熟とコンビニエンスストアなどの販路拡大にあわせた、新製品発売のタイミングが絶妙だったのだろう。コンビニでの販売価格は、500㍉リットルのペットボトルで一本3.5元(約53円)である。一般消費者が購入する飲料としては、比較的高めの価格設定であるにもかかわらずの成功であった。
翌2002年には、「生茶」が発売された。松嶋菜々子を起用した日本のCFが、ふただび採用された。彼女の好感度が寄与したのか、投入初年度から上海地区で「生茶」は30万ケースが売れた。これも予定数量を上回る実績を記録している。ただし、中国で特徴的なのは、糖分を加えて甘くした「加糖」が全体の60%を占めていることである。
日本流のマーケティングが適用できることがわかったので、今年入ってからは「アミノサプリ」と「聞茶」が発売された。現在いずれも販売は好調である。3年という短い期間ではあるが、嗜好品の世界でも日本ブランドの中国移転できることをことを示したという意味で、上海キリン飲料の貢献はきわめて大きいといえる。