アパートのある高台で暮らしはじめて、今日で3週間になる。途中一週間ほど東京に戻って仕事を済ませてきたので、実質的には2週間目である。
愛知の花苗農家グループや植木関係の生産売店を訪問する以外は、じっと洞戸村に滞在していた。そのうちに、遠くに望める高賀山麓の深い森林の緑と、朝と夕方、板取川にかかる白い霞に自然と体がなじんできている。
人口2千3百人の小さな村なので、かなりの人にわたしのことは知れ渡っているらしい。不思議な大学教授が大学院生を引き連れて、村役場の会議室で授業をしていた22~23日にことは、翌日には村中のひとたちの知るところとなった。朝昼食をしばしば食べている「福砂屋」さん(キャンプ場に喫茶店を併設したペンション:林勝重社長)といつも夕食を食べて飲むことにしている「レストラン幸」(喫茶店兼食事処:大澤ママ)には、「法政大学の先生」と呼ばれている。
村のひとたちは、朝・昼・夕にどちらの店を利用するかで2派に分かれるようである。良い噂も悪い噂も、このふたつの店にはよく伝わってくる。船戸先生は、東京にいても岐阜に滞在していても、存命中にはふたつの店に必ず電話を入れていたらしい。とくに、大澤ママには、いつも11時になるとその日の村の様子をたずねていたという。村選出の県会議員のまめな様子がうかがえるエピソードである。
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ほぼ毎日、船戸議員と親交があったひとたち、2人から3人に、「高賀の森水」が生まれるまでのことを聞き取り調査している。県会議長まで昇り詰めた船戸先生とその取り巻き連中が、観光ヤナや水工場を作る過程で、あるいは違反すれすれの選挙運動の工作でどのように考え動いてきたのかをたずねている。昭和40年代から平成にかけての洞戸村では、山師たちが跋扈していた。おかしげでやがて悲しい、漫画チックな時代ではあった。
人口流出がはげしい過疎の村なので、朝のラジオ体操で集まってくる集団以外に、子供の姿を見かけることはあまりない。とくに、中高校生が通学しているのを見ることはめずらしい。聞き取りの相手は、そんなわけで、40代後半から80代はじめまで、中年とお年寄りばかりということになる。51歳のわたしがまだ若く感じられるくらい、村は高齢化が進んだ社会である。平均60歳くらいかもしれない。
訪問先の家は、決して新しくはないけれど、門構えはしっかりとしている。過疎の村だからといって、貧しいということはない。おそらく、実質はとても豊かである。消費する楽しみも少ないだろうから、きっと蓄えも多いはずである。
一昨日の夜に、村から借りてもらっているアパート「フラットほらど」の大家さんが、突然訪れた。わたしがゴミ出しの心配していたので、村指定のゴミ袋を持参してくれた。、大竹慶侍さんは元村会議員で、現在も奥長良川名水の取締役である。武儀高校では、船戸先生の3級下だったという。彼は村で5本の指に入る山林持ちである。本人が曰く、「こつこつと貯めて、いまでは80ヘクタール(町歩)の山林を所有している」。いくらの金額になるのかはわからないが、1キロ四方の土地を80枚持っていることになる。何はともあれ、借金だらけの貧乏学者には本当にうらやましい。
一昨年、大竹さん(70歳)は82年の歴史がある衣料品店をたたんで、いまは山仕事をして暮らしている。間抜作業や下草取りが主な仕事である。奥さんが健在な場合は、どこの家でも夫婦で山仕事をしている。間伐や伐採で、倒木などが危険だからである。そういえば、船戸先生と仕事上のライバルで、県会議員に立候補するときには選挙参謀だった野村悟さん(75歳)も洞戸村では一番の山持ちである。午前中にインタビューが終わると、「山の草取りに歩かなくては」と、わたしが見ている前でそのまま軽トラックを運転して山に入っていった。森林の中で、ほんとうに木々に囲まれて生活しているのである。
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そういえば、8月25日に、洞戸森林組合の作業班に同行させてもらった。作業班のトラックで、板取村の奥まで連れて行ってもらい、森林作業班の仕事を見学させてもらった。20年杉の間伐作業を、険しい崖の際で3人班の作業を観察していた。朝九時に洞戸村を出て、板取村の標高900メートルの奥山から、夕方5時に戻ってきた。チェンソーを使用する激しい仕事である。しばしば白蝋病になるひとがでるという。また、先週は板取で足の指を4本落とした事故が発生したと言っていた。
緊張を持続させるために、一時間ごとに休憩をとる。そして、昼食は10時と午後2時に2回とる。「先生、お弁当をふたつもってきて」と前の日に言われていた。「何で?」と思っていたが、作業員のお弁当を見てびっくりして納得した。休憩時間に入ると、わたしの3倍は食べている。しかも、食べる量は年齢に関係がない。最年長の佐藤さんが、一番多く食べる。2つ目のアルミ弁当に武者ぶりついて食べていた。親指が弁当の際に半分も届かない。特大の弁当箱は、どこで購入してきたのだろうかと考えてしまった。
洞戸村に着いてすぐの金曜日(8日)に、佐藤さんとは岐阜の高富まで12キロを山越えをした。洞戸走友会の仲間と一緒に走ったとき、森林組合作業班の佐藤さんがいた。みんな親切で義理堅い。中華料理店でビールをしこたま飲んだあげく、半ば冗談で47歳の佐藤さんに、「今度、機会があったらわたしを山まで連れていって!」と頼んでおいたことを忘れないでいてくれたらしい。
大学院生たち5人が東京に帰って(8月23日)、ちょっとばかりさみしく感じていたとき、アパートの窓をとんとんとノックしてくれたのが佐藤であった。ソフトバレーの練習帰りで、アパートの隣室で暮らしている新婚さんを邪魔しに来たらしい。同僚の森林組合作業員、丸山さんが隣にいることは聞かされていた。それにしても、ふただび佐藤さんを見ることができたのはうれしかった。たぶん来週には洞戸村を離れることになる。もう二度と一緒に、岐阜まで山越えができないのが残念である。