『CSは女子力が決める』(生産性出版)を脱稿して、つぎは『マクドナルド、失敗の本質』(東洋経済新報社)に取り掛かる番である。参考文献として、昨日の新幹線の中では、原田泳幸(2013)『成功を決める「順序」の経営』(日経BP)と本書を読んでいた。原田著は、明日に書評する。
鈴木猛夫(2003)『アメリカ小麦戦略と日本の食生活』(藤原書店)は、10年ほど前に書かれたものである。2009年で4刷りになっているので、そこそこ売れている本である。「固いコッペパン」と「まずい脱脂粉乳」に、若いころからら恨みをいだいているわたしにとって、学校給食は絶えられない苦行だった。
当時から、「これ(脱脂粉乳とコッペぱん)は、どうせ誰かが仕掛けたものだ」と直感していた。その理由を知りたいと思っていたが、その完全な回答を本書で確認できた。米国の小麦販売戦略の行先が、”ひもじかった”わたしたち日本人の子どものお腹の中だったことを確信した。
わが仮説は正しかった。農林省と厚生省(当時)、日本の業界団体(食品メーカー)と米国オレゴン州政府がこの活動に関与していた。そして、過剰農産物の小麦(強力粉)の捌け口となったために、日本の食は危機に瀕していた。
本書の結論は、とてもシンプルである。
戦後に日本人がパンを食べるようになり、食の洋風化が進んだのは、決して偶然でもなんでもない。単なる「米国食文化への憧れ」などというロマンティックなものではない。それを推進した経済的・思想的な主体が、日本側と米国側の両方にいたということである。鈴木氏は、それをデータと史実で明らかにしている。
日本側は、厚生省の「栄養学支持派」(米食よりパン食が健康的で栄養価に優れている)であり、米国側は、「オレゴン小麦栽培連盟」である。脇役が、農民票(農村部)を必要としていた当時の米国政府(共和党)であり、日本側では、吉田首相時代の内閣(愛知用水や八郎潟干拓など農地を拡張したい自民党政権)だった。
日米の交渉(MSA協定)により、第二次大戦後(戦地がなくなった)に不要となった過剰在庫農産物(小麦と脱脂粉乳)を日本にほぼ無償供与することになった(約600億円分)。その7割が、日本の復興資金に、残りの3割が、米国の農産物を日本で販売促進する資金に充てられた。
キッチンカー(パン・肉・バター料理の普及)や学校給食の普及支援資金に充てられた。その証拠が残っているのがおそろしい。米国の過剰農産物を有効活用するため、学校給食を推進するのに手を貸していた日本企業は、カゴメ、味の素、キューピー、ヤマサ醤油、ヱスビー食品(当時は、エスビーカレー)だった。
さらに、小麦の販売代金で、全国のパン屋さんを東京に集めて、厚生省の肝いりで「パン作りの講習会」を開くことになる。1950年代半ばのことである。その資金源が当時は秘匿されていたが、事実は、米国の販促費からだった。つまり、日本人はひもじさから脱してからでもなお、パンを食べ続けるように仕向けられていたことになる。
そして、1964年の東京オリンピックに向けて、訪日する外国人に向けて、宿泊施設としての洋式ホテルと食事の場としてのレストランが急増する。やはり全国からシェフが東京に呼ばれる。本書には書かれていないが、その後に起こったことは、1970年代に、マクドナルドとファミリーレストランの普及に道をつけていたことになる。
本書の立場が立派なのは、戦後の食の洋風化が、米国の差し金(主導したのは過剰農産物の処分先として日本を狙い撃ちした米国政府とオレゴン小麦連盟)だけで起こったのではなく、日本側にもその推進者がいたことをバランスよく説明していることである。
そして、いま振り返ってみると、その帰結は、わたしのつぎの本の結論になっている。つまり、戦後60年の「食の洋風化」は、マクドナルド(米国食文化の象徴)とともに、その繁栄の時代を終えようとしている。マクドナルドが世の中から消えてなくなるわけではないだろう。が、しかし、マクドナルドやファミレス群は、本来的に正しい方向として、日本風に現地化しなければ生き残れない。
日本人に確固とした「味覚遺伝子」があるとすれば、60年程度の「汚染」では、二重らせん構造にたいして大きな影響を与えることはできなかったということである。むしろ、世界は、和食に向かっている。健康と安全と環境重視の食生活にである。
PS:先週のIM研究科(マーケティング論)の授業で、5つのチームに「マクドナルドの今と未来」を占ってもらった。わが学部ゼミ生と同様に、30代の大学院生も、「いまの日本マクドナルドは最低レベルだが、ハンバーガーは永遠である」のような意見が多数を占めていた。
たぶんその意見は正しいのだろう。が、いまのままのマックでは、顧客が離反してしまうのは致し方がないことだろう。元マクドナルドの執行役員で、いま某惣菜メーカーの取締役である男性がいみじくも述べていた。
「原田さんがすべてやり尽くしてしまったので、いまのマクドナルドにはもはや打つ手が何もない」(S氏)。
後継社長のカナダ人女性(カサノバ女史)は、実にきびしい立場に立たされていると言っていいだろう。その点でも、原田さんの引き方はかなり問題が多いと言える。