学部長日誌(2004年#1): カンニングの実態

 大学教員にとって、ここから2月末にかけては、年間でもっとも緊張を強いられるシーズンである。期末試験と入学試験が控えているからである。


人によっては、千人分の答案用紙を採点しなくてはならない。先日退職された法学部教員で、2千人分の答案を採点した強者を知っている。さぞかし肩こりがひどかっただろうなと同情を禁じ得ない。わたしも十数年前に「経営学総論」(一年生向けの基礎科目)を担当したことがあるが、山のように積まれた試験用紙を処理していく作業は、地獄の苦しみであった。
 いまでも「マーケティング論」(二年生向けの基礎科目)の授業では、450枚(X2:前期・後期)を採点している。数年前からは、防衛のためにレポート提出はやめて、試験問題の一部を選択式に変えることにした。それでも採点は大変である。
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 先週から始まった後期試験(法政大学経営学部)では、カンニングで検挙された学生がふたり出てしまった。通常は3ヶ月の停学処分で、受験した後期試験科目はすべて無効となる。当然のことである。迅速な対応と調査・処分が要求されるため、わたしども学部執行部4人は、いつでも誰かが出動できるよう、研究室か教授室に待機している。この時間が馬鹿にならない。
 経営学部のある教員によると、大教室ではカンニングペーパーによる不正が横行しているという。わたし自身は犯行現場を目撃したことはない。たまたま、ふたりの学生達が検挙された当日はわたしが担当になった(本当は主任の福多くんが他の仕事で居合わせなかったので、不運にも代理担当となった)。
 事情聴取にやってきた学生が持ち込んだという手のひらサイズの「カンニング用紙」を見せられることになった。証拠物件を見て思ったのは、これだけ用意周到に準備するのであれば、カンニングの必要はないのではないかということである。あれだけ事細かに書いてあるのだから、内容は本人の頭に入っているはずである。もしかすると、入学試験もカンニングでパスしたのではと思ってしまう。
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 高校・大学時代を振り返ってみると、カンニングを不正行為だと認識していない学生が多かったように思う。いまでも「不正行為発覚、学生停学処分」とでも掲示しなければ、不正行為を抑止することはできない。学部長として、来週は警告文書を掲示することにしている。
 30年前の経験では、難しい科目より、楽勝科目のカンニングが多かったように思う。そうした科目では、教師の採点・評価そのものが基本的には甘い。だから、学生が単位を取得するために不正行為を働いているという罪悪感がなかったと思う。
 結果は正直である。カンニングでパスすることで得られるモノは大きくない。むしろ自ら勉学の機会を放棄しているわけである。社会に出てしまえば、カンニングはまったく通用しない。人生を通して長期的には大きなマイナスであることを思い知るのは、それほど先のことではない。罪悪であるという側面以上に、そのことを教え込むべきであると思うのだが。