学部長日誌(最終版)

 本日(第12回学部教授会)をもって、学部長としての仕事が終わりになる。武道館での卒業式(24日)は残っているが、その場はただひな壇に座っているだけである。


遠い道のりを歩いてきた。2年前の1月15日、次期学部長に決まっていた盟友の橋本寿郎が心臓病で急逝した。わたしはといえば、数年間は研究と業界活動に専念しようと決めていた矢先のことである。2年先までリサーチ計画を固めていたわたしが、ウォーミングアップ無しのリリーフで、急遽マウンドに立つことになった。
 寿郎さんの仕事を完遂させることが当面の課題であった。清成総長の3選、新学科の立ち上げ、学生問題への対応、教養部との合体を円滑を行うことなどである。清成総長3期目の学内体制は、思った以上にうまく組織できた。初年度の経営学部入試は大成功に終わった(志願者一万人増)。
 その直後に、大学院の再編を手がけることになった。学部教育の片手間では、経営大学院の行く先が見えていたからである。橋本寿郎は、ビジネススクールの改革を2005年に設定していた。それでは世間のスピードに追いつけない、というのが私の主張だった。
 独立の組織を作って、優秀な人材を確保しなければならない。情報科学部の大森学部長を中心に発足した「ITPC」(一年制情報系大学院)も、専任教員無しでの運営に苦しんでいた。夜の社会人ビジネススクール(2年生の起業家養成コース)とITPCを合体させた専門職大学院(一年制ビジネススクール)の設置準備がはじまった。
 この間、2人の同僚教員を病で失った。悲しいことだが、3つの葬儀を取り仕切ることになった。学部から専門職大学院に出向する教員の穴を埋める必要があった。ところが、補充のための教員採用はうまくいかず、人事採用に協力してくれたひとたちに迷惑をかけた。リーダーとして、たいへんに申し訳なかったと思っている。
 それでも、4月1日(来月)には「イノベーションマネジメント研究科」が無事にスタートできることになった。初年度の学生募集では、新卒者の応募や企業派遣が制度的にかなわなかったこともあり、定員60名に対して32名の合格(28名入学)である。定員割れではあるが、おもしろい学生が集まっている。空手道場の師範(2006年に道場再建が決まっているので経営計画を策定するため入学)、実娘が経営学部現役生の学習塾教師(事業拡大のために娘には内緒で受験)、北海道の町役場をやめて「警備会社」を起業したいという車いすの若者など。わたしは、学部長退任後は、「イノマネ」(イノベーションマネジメント研究科の省略形)の一教員として、自分の人生に投機してきた学生たちと接することになる。
 3月のぎりぎりになって、今度は2005年度開校予定のアカウンティングスクール(2年生定員50名)の設置準備ができた。これは、同僚の永野教授と神谷教授が引き継いでくれるはずである。イノマネの別専攻として併設する予定である。現在毎年22~23人の合格者を出している公認会計士合格者を50人程度に増やす仕掛けである。
 ゴールが見えてきたのは、つい一ヶ月前である。振り返ってみれば、この2年間は、無我夢中であった。苦しみながら走ったマラソンのようなものである。ゴールが目の前にあるいま、もうあまり思い残すことはない。
 教授会終了後、学部執行部(3人)と学部事務スタッフ(4人)の皆さんには、郡上八幡にある「板東」(和の土産品店)より、長良川の”あまご”のハンドタオルをお礼にお配りするこにしている。2年間、「最終的に責任は取るが、とてもわがままな私(小川先生)」(同僚の今橋先生の言葉)をご支援いただき、本当にありがとうございました。