本当に希なことではあるが、あまり得意ではない分野の原稿を依頼されることがある。慶應大学・嶋口先生の主義に習って、なるべく依頼原稿は断らないことにしている。講演は後に成果として残らないけれど(お金にはなるけれど)、原稿は何らかの思考の痕跡が残されるからである。
以下は、やや苦しんで書いた「物流と日本経済の活性化」というお題のドラフトである。『日経広告手帖』の2004年8月号に掲載予定である。
今年に入ってから、インターネットを介した対消費者向けの商品販売が絶好調である。例えば、母の日のフラワーギフトは、昨年と比べて店舗販売にはほとんど変化が見られないにも関わらず、ネット販売だけは対前年比で2~3倍に伸びているところがめずらしくない。電子ショッピングモールに出店している企業のマーケティング努力もさることながら、もっとも大きな理由は通信回線のブロードバンド化であろう。セキュリティと電子認証に問題は残しているが、応答時間の短縮と商品画像の品質向上で、実際にネットでの買い物がしやすくなっている。
ネット販売が好調な理由はそれだけではない。もうひとつの大きな理由としては、消費者が買い物に要する時間の使い方が変わったことがあげられる。百貨店やスーパーが営業時間を延長したことで、平日の午後にしかも仕事帰りに買い物をする人が増えたからである。MJの調査によると、首都圏に住んでいるひとの約25%が、衣料品や耐久消費財(PCなど)の買い物を平日(夜)に行っていると報告されている。その逆で、休日の過ごし方が変わったことが平日と夜間での買い物を促進しているとも言える(参考:「MJ(日経流通新聞)」2004年6月3日号)。
しかしながら、ネット販売では、通信販売業界で言う「フルフィルメント」(商品の受注から配送までの一連の活動)が必要である。その前提は、低コストで確実に商品が届くことである。日本でもし今日のように便利な「宅配便システム」が普及していなければ、今年のようなネット販売の急成長は実現していないことになる。情報流(ネット)と物流(ロジスティクス)がバランスよく発展してこそ、全体の経済システムと個別ビジネスが健全に成長していくことができるのである。
米国でも事情は同じである。低コストで適時適量にモノが運べないとインターネットビジネスは成立しえない。1990年代後半の米国で「熱狂のクリスマス」(ネットを介したクリスマスギフト販売)が起こりえたのは、日本の宅配便に対応するロジスティクス・ビジネスが1971年にテネシー州メンフィスで産声を上げたからである。インターネットビジネスの基礎は、その25年前に始まった民間企業によるロジスティクス革命に負っていたのである。
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米国の物流史上で最大の革新は、かつては大陸横断鉄道の敷設と州境をまたいでの高速道路(フリーウエイ)の延伸だったかもしれない。しかしいまや米国市民は、ロジスティクス・システムの最大のイノベーターは誰かと問われれば、間違いなくフェデラル・エキスプレス社の「ドキュメント翌日配送システム」(Overnight Document Delivery System)の発明であると答えるだろう。
創業経営者のフレデリック・スミス氏(会長、社長兼CEO)がビジネススクール卒業時に提出した事業アイデアが、担当教授から最低のスコアCを与えられたことはいまでも伝説として残っている。いわゆる、「ハブ&スポーク理論」(夕刻までいったん一カ所(ハブ空港)に集めた荷物を、深夜に目的地別(スポーク)に散らすのがもっとも効率が高いという理論)による新しい物流事業の創出であった。ビジネススクールの教授に実務的な評価能力がないことが、「フェデラル・エキスプレス社」(通称:FeDex)の大成功によって10年後に証明されることになった。
テネシー州メンフィスに会社を設立し、1973年4月17日に自社便を飛ばして業務を開始したフェデックス社は現在、世界215ヶ国で約13万6千人を雇用している。同社は、エアバスなど自社運行機を643台保有し、日量約310万個の貨物を取扱っている。フェデックスは、配送車両だけで約42,000台を保有する世界最大の物流会社に発展していった(2004年6月、同社HPから抜粋)。重要なことは、UPSやDHLとともに、一民間企業が社会の動脈の役割を担っていることである。
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日本では、ヤマト運輸が米国でフェデックスが果たした役割を担ってきたと言える。「宅急便」の誕生物語は、ヤマト運輸の元社長・小倉昌男氏の著書『経営学』(日経BP社、1999年)に詳しく述べられている。二代目経営者だった小倉元社長は、父親が興した伝統ある運輸会社を変えていくことの困難を経験しながら、官による規制に抗して一国の物流システムをプロセス革新していく。そのときの経営上の決断は圧巻である。大事なことは、いまやネット関連企業だけでなく、その他多くの一般企業が運営利用できる全国物流の「毛細血管」が、フェデックス社のブロンゼック社長のときと同様に、一企業家の創意工夫によって生み出されたという事実である。
他方で、官の仕事と貢献は公平に評価されるべきである。宅配便のシステムは、1960年代後半から全国に張り巡らされたはじめた高速道路網(東名高速道路~関越・東北自動車道)の完成に依拠しているところが大きいのである。例えば、精肉・鮮魚・野菜などの生鮮品がいつでもどこでも入手可能になったことは、高速道路のインフラが整備されたおかげである。加工食品や日用雑貨などの包装消費財でジャストインタイム物流が実現したことにより、地方卸の経営が合理化され、物流倉庫が効率よく配置されるようになった。他国と比べて法外に高いと言われる料金問題を除けば、高速道路普及によるロジスティクスシステムの効率性向上は、われわれの生活に豊かさをもたらしていることは疑いようのないところである。
家庭の冷蔵庫代わりに利用されるようになったコンビニエンスストアの便利さは、その背後で動いているロジスティック・システムのバックアップがあればこそである。CVSのおいしい弁当は、弁当工場から店舗への多頻度小口物流に支えられている。一見、物流とは無関係に見えるファッション衣料品業界でも、効率的な物流システムが企業のコアコンピタンスを構成しているケースが少なくない。例えば、ファッションセンター「しまむら」における商品の店舗間移動は、効率的な物流センター運営と在庫情報に基づく物流管理の組み合わせによるものである。
日本の物流における最大の課題は、国内の物流経費が高すぎることである。製造部門の海外移転は、一部分は物流費の内外格差から来ている。とくに、ネット販売のさらなる普及を考えるときにこの問題はかなり深刻である。新たなイノベーションの芽が、物流問題への対応から生まれることを期待したい。日本経済の根幹を支えているのは、モノの移動=物流システムである。