C・U・チェン著『成功請負人 インプレサリオ』ダイヤモンド社(★★★★)

 何度か仕事をお願いしたことがあるシー・ユー・チェンさん(CIA Inc)から、近著を送っていただいた。チェンさんは、上海生まれ日本育ちの空間プロデューサーである(「空間プロデューサー」という言葉はチェンさんの発明らしい)。


そういう人の自伝であるから、すぐにでも読みたかったのだが、しばらくはカバンに入れて持ち歩いてしまった。めずらしいことである。先ほど読了したので、簡単に感想をまとめておく。
 出版記念パーティに招待されたが、都合でその場に駆けつけてお祝いの言葉を述べることができなかった。共通の友人も出席するとのことだったので、絶好の機会を逃したのが残念である。
 12月1日に発売された著書は、ミュージシャンだった青年時代からインプレサリオ(大物プロデューサーの意味)として成功する現在に至るまでの自分史を、仕事の変遷を軸にまとめたものである。うかつにも、第1部と2部に書かれていたチェンさんの生い立ちについて、わたしは何も知らされていなかった。「ユーミン」の名付け親だったり、チェンさんは別の意味でとても有名人だったのである。そして、世界中のビジネス界の大物はもとより、著名な芸術家や文化人との交流が、リテール空間という芸術作品を作る土台になっている。
 さまざまな発見があった。英語の手紙文を書くとき、わたしは”Keep in Touch”で文章を締めくくるのが好きである。「また会える日を楽しみに」(”Looking forward to seeing you”)ではなく、お互いの身体が触れあう感じがする「いつも連絡を取りあっていようね」という表現の方がネットワーカーの気持ちをうまく代弁している。チェンさんは、特に用事が無いときでも突然、友人に電話をかける習慣があるという。人的ネットワークを大切にし、貴重な情報の流れを途絶えないようにするためである。用意周到に人間関係をメインテナンスするという姿勢については、実はわたしもよく似た方法論を持っている。人的なつながりのキーワードは、パーソナル・タッチである。
 なぜギャップやユニクロや上島珈琲の仕事を引き受けることになったのか。それは、一見して無関係な仕事が、人間関係という糸でつながっていくからである。著書を通して、その背景と具体的な事実を知ることができる。また、CIAの一連の仕事がどのような脈略をもって連なっていたのかを理解するいことができた。本に著してもらわなければ、永遠に知らされままでいたかもしれない。
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 人と人との出会いは、不思議なものである。チェンさんと99年にはじめてお会いしたときは、青山フラワーマーケットの井上社長が店舗コンセプトとブランド構築について思い悩んでいた時期だった。チェンさんと井上さんと一緒に、渋谷の素敵なカフェでミーティングをもったことを思い出す。東急東横店の7坪の店(青フラ旗艦店)がブレークする前後の事情が、チェンさんの視点で著書の101頁に述べられている(注:事実はちょっと違うように思うが、それはまあそれで脚色もあるのでよろしいだろう)。
 驚きなのは、そのときにはじめて、チェンさんがユニクロの仕事を手がけていたことを知ったことである。その前年に偶然、わたしは単身で山口にあるファーストリテイリングの本社を取材で訪ねていた。本の中で別々に述べられている「2本の糸」(青フラとユニクロ)が、2000年に青山フラワーマーケットの渋谷出店で結びつくことになる。結果として、ユニクロの成功パターンを知っていたわたしが、二つの企業(青フラとCIA)の仲介者になったわけである。
 別の見方をしてみる。この本のおもしろいところは、わたしたちの少し上の世代(団塊の世代)が持っている特異な精神の有り様を、手短に要領よく描写していることである。文章には飾り気がない。優しい文体だが、客観的な記述は案外乾いている。チェンさんは、日本のアメリカンスクールに通っていた華僑の二世である。にもかかわらず、だからこそ強烈に、日本の戦後世代がはじめて触れることになる、米国大衆消費文化とグローバルなビジネス経験が当時の若者の心にどのような形で痕跡をとどめることになったのか。そのモデルとして、自らを描いているところがある。チェンさんの成長の軌跡には、痛ましいところも本当はあったはずである。
 空間デザイナー(建築家)の視点と商売人(華僑)の血を持った先駆者が、どのように考え、時代の変化に対応していったのか。その世代史として見ると、本書には資料的な価値もあるように思う。主たる登場人物とそこで展開される人的交流は、上質で華麗である。例えば、石津謙介に連なる人脈が、日本のファッションビジネスの初期文化を支えていたなどなど。レストランビジネスでも、実際には有力なプレイヤーが多数いたわけではない。ごく少数の小さなネットワークが、日本と世界の大きな事業を動かしていたのである。
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 話をやや違うところに展開させてみる。
 わたしの大学時代の友人のなかには、東大進学校として有名な私立高校や国立付属高校出身の人脈がある。氏育ちの良い彼らと話していると、チェンさんとは別の人的なネットワークがあることに気づかされる。政治家ファミリー、著名な企業経営者の血脈、そして新興企業の創業者の名前が、彼らの同級生や先輩としてごく日常的な会話の中に登場する。彼らはそれぞれが、出身高校(大学)という糸で結ばれている。仕事がそうした人脈のなかで実行されている。
 日本は欧州のように、明らかな社会階層がないと主張することは間違っている。事実は、物事のすすみ中かで、明確な人的なネットワークが存在している。また。別の機会に述べたいと思うが、例えば、フードビジネスにも、ファッション業界にも、似たようなネットワークは存在する。ごく少数の人間が、人的ネットワークを介して世界・業界を動かしているのである。相関図は公表されることはないから、一般にはそのことが認識されていないだけである。話は、少々横道にそれてしまった。