マラソンの勧め:わたしが長距離を走る本当の理由

父親の小川久(1981年没)は、戦前の三菱重工で戦車を作っていた。招集されて八丈島にわたり、陸軍の通信兵として終戦を迎えた。日本の敗戦受諾をモールス信号で受信した兵隊である。


硫黄島に行く可能性もあったらしく、そうであれば、わたしはこの世に生を受けることはなかった。ときどき父親を媒介にした、もうひとつの運命を考えることがある。
 艦砲射撃やB29やグラマン戦闘機の攻撃を受けた話をするとき、父はなぜかうれしそうだった。秋田生まれで酒が強く、50歳まではすこぶる健康だった。それが災いしてか、飲酒に起因する糖尿病で、61歳で命を落としてしまうことになった。
 それでも、西伊豆の伊東海岸から嵐の中を八丈島に渡るとき、同僚の兵隊たちが船酔いで反吐を吐いているとき、自分はがんがん飯が食えたといつも自慢していた。無邪気な人間だった。わたしの自画自賛癖とナルシストっぽ発言をいやみだと感じるならば、それは父親譲りの性癖である。
 苦学生(東京電機大学夜間部)だった父は、傍らで新聞配達のアルバイトをしていた。才能のあるなしに関わらず、朝夕の新聞配りでいやおうなく足は速くなったのだろう。叔父もまた長距離ランナーだった。東京大空襲で焼けてしまったので、輝かしい叔父の戦跡を知る証拠はいまでは何も残っていない。連れ合いもいなかったが、父と同じく叔父は三菱重工業の駅伝部では花形選手だったらしい。
 直系にふたりの駿馬をもちながら、青春時代に鍛え方がすくなかったせいで、わたしは駄馬である。しかし、訓練さえすれば、才能はあったはずだから、とずっと信じていた。だから、45歳の春に思い立ってマラソンをはじめた。当時ゼミ生だった小島覚君(某保険会社で北海道在住)をそそのかして、ホノルルマラソンを走ることにした。はじめてチャレンジした長距離レースは、ふたりとも散々の記録だった(わたしは5時間30分弱、小島は5時間ちょっと)。
 長距離をはじめたのは、テニスクラブに行くのが面倒くさくなったからである。もともとわたしは社交的な人間ではない。ひとりが好きな青年だった。わずか2時間ほどのゲームを楽しむために、あと3人を集めて気を使うのがいやだった。孤独なランナーにかわったように見えるが、単にむかしに戻っただけだといまでも思っている。
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 本日も、締め切り原稿を抱えながら、走ることをやめることができない。コナミスポーツクラブ(飯田橋)で、トレッドミル(ランニング用のベルト)の上を8Kほど走ってきた。3日連続になる。忙しいときほど走りたくなるものである。とくに、来月2月18日に開催される、第一回東京シティマラソンのフル(42.195K)にエントリーしているからである。
 しかしながら、このところ、事前エントリーしたレースをことごとくキャンセルしている。レースに参加するために、現地に行く時間がまったくとれないからである。先週は、何年ぶりかで風邪を引いて、寝込んでしまったことも原因ではある。平日の仕事はやすめないので、日曜日にぐっすり睡眠をとらざるをえない。ふつうは、その逆なのだが、さすがに連載コラムや特集記事では、尻が迫っていてどうしようもない。さすがに趣味は二の次になる。
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 走ることにある種の意味を見出しはじめたのは、公式レースに参加するようになって3年目くらいからである。最初のころは、河口湖マラソンや千歳国際マラソンなど、途中棄権が多かった。いまは中止になった網走ハーフマラソンを最後に、4年目くらいからは、タイムはとにかく21キロは完走できるようになった。1時間50分の壁も難なく越えることができた。
 フルマラソンをはじめて完走したのは、第4回の荒川市民マラソンに参加したころからである。完走タイムは4時間20分ほどだった。そのころには、ハーフは全レース1時間40分台で走れるようになった(ベストタイムは1時間37分)。3年前に達成したフルマラソンの自己記録(3時間57分)は、その後更新はできていない。しかし、走るときに考えるのは、記録そのものよりは無事に完走することにある。
 若ければともかく、昨年55歳を超えてしまった。この年で達成感を云々するのはおかしいかもしれないが、たとえ時間はかかっても、ゴールにたどり着くことだけを考えていまは走っている。早く走ることにはあまり執着をもたなくなった。
 記録にそれほど拘泥しなければ、走ることのキャリアは十分にある。大雪の後(青梅マラソン)や大雨の中(渡良瀬遊水地マラソン)を走ったこともある。そのときに、自己最高記録を樹立している。雨や風や雪は、擬似的な人生の壁だと思っている。あきらめずに、とにかくゴールインする努力を続けるために、体力ではなく経験と頭脳を使うこと、じっと辛抱をすることをマラソンは教えてくれた。どんなレースでも、42キロのどこかで、レースを中止したい、歩きたくなる欲望にとらわれることがある。
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 私のライフスタイル(先に年間のレーススケジュールを決めてから公的な仕事を入れる!)については、周囲からは誤解があるようだ。好きで年20回も全国各地の長距離レースにエントリーしているわけではない。わたしは、自分の生き方を考えるために、シミュレーションのために、レースを走っているのである。走り始めたら、止まらない。止まるわけにはいかない。ひたすら、同じ足の踏み出しと手の振りを繰り返すだけである。同じことをどれだけ我慢して繰り返すことができるか?若いころのわがままと辛抱のなさは、長距離を走ることで克服できたように思う。
 もしあなたが、いつも物事を途中であきらめてしまいがちな性格ならば、そう思うのならば、マラソンは絶対にお勧めである。記録は問題ではない。できれば、フルマラソンに挑戦してみてほしい。きっと世界が変わるはずである。人生観も大いに変わるはずである。