「マーケティング教育者会議」(Educator’s Consortium in Marketing)

 海外にあって日本にないもの。そのひとつが、大学教員が授業をするための教育訓練の場である。


米国の学会では、Educator’s Conferenceなどと呼ばれる特別な学会(セッション)が頻繁に開かれる。
 わたしが理事を勤めている「日本マーケティングサイエンス学会」でも、毎秋に「チュートリアル・セッション」という場をもっている。当該分野で、大学で教育研究をする上で必要なトピックスについて、専門家中の専門家(その道の大家)が、研究者に向かって2~3時間の講義をする。
結構、喜ばれている。わたしが学会誌「マーケティング・サイエンス」の編集長に就任してからは、4年ほどこの企画が続いている。学会レベルであれば、この程度で十分なのだろう。しかし、知的生産の社会的な装置として大学や学会の機能を考えてみると、この程度の努力では不十分ではないか。かなり昔からそのように考えてきた。
 法政大学で夜間経営大学院(ビジネススクール)をはじめたのは、その第一歩であると思っている。夜間二年制大学院は、基礎理論的な習得、昼間部一年制大学院(イノベーションマネジメント研究科)は、実践的な方面からの社会的貢献を意図して創設した。それなりに成功して部分もあるが、一部分は失敗であったと感じている。
 不足しているのは、同僚の矢作敏行教授がしばしば指摘する「研究者の業績更新能力」に関連する。海外の経営大学院でドクター号を取得して帰国する研究者で、研究業績が30歳で完璧に止まってしまう悲しい現実を見る。個人的な観測では、その比率は3人に2人、ほぼ7割程度である。
 「海外でPhDを取るために、若くして燃え尽きてしまった!」という弁解をよく聞く。それは個々の事情に対する説明であって、本質は社会的な教育研究システムの問題である。研究者の「再教育の場」が保証されていない。日本ではそのことが問題なのである。海外(とくに米国)の大学院でドクター論文を書いているときには、その分野で世界ナンバーワンの指導教授と一緒に仕事をしている。自分ひとりで、取り組むべき研究テーマを考える必要などない。その余裕もない。周囲には、強烈な競争者ではあるが、最先端のビジネス教育と研究に従事している優れた同僚がいる。
 帰国した時点で、こうした研究環境とは離別することになる。環境変化についての自覚がなしに、新しい世界に適応する心構えができていないままに帰国する。教育やマネジメントが忙しくなる。その結果が、燃え尽き症候群であり、研究成果の「フリーズ状態」である。
 長くなってしまった。日本の大学で教育を受け、学会的でそれなりの地位にある指導教授の下で、とりあえずは博士号を取得した場合でも、事態は似たようなものである。言いたいことは、ビジネスの研究・教育においても、教育者を再教育する場が必要だと主張したいのである。
 この春から、標題の「マーケティング教育者会議」(Educator’s Consortium in Marketing)を法政大学で開催しようと思っている。最初は2ヶ月に一度程度。実施内容は、ふたつである。①ドクター取得後(マスター取得後)の研究テーマについてのコンサルテーション、②大学や企業内での教育コンテンツの提供。実際には、①のためには、最新の論文を輪読紹介すること、自分の研究テーマについての発表と相談、②のためには、事例研究の素材提供と相互での議論。
 ②については、なんらかのコンテンツの標準化を考えている。参加希望があれば、わたしにメールで連絡していだだきたい(huko-ogawa@nifty.com)。参加対象者は、法政大学のリンケージに限定しない。他大学出身者(ドクター在学中が望ましいが、修士でもOK)でもかまわない。世のため、人のため、日本の教育研究水準を高めるためである。大学教育において、いつまでも欧米依存では日本人として恥ずかしい。