観光地としての京都が危ない: ”Peak in the Park”(TDRの入場制限)の導入を!

 京都亀山ハーフ(12月8日)を走るため、嵐山に住んでいる娘の家に泊めてもらった。スタート時の気温は5度。ゴールタイムはめずらしく2時間を大幅にオーバーしてしまった(2時間11分02秒)。それでも帰りは、トロッコ亀岡駅から嵯峨駅までトロッコ列車に乗り、保津川渓谷の紅葉を楽しむことができた。

 

 レースの帰りは、JR馬堀駅からトロッコ亀岡駅まで10分ほど歩いた。亀岡駅に着くと、13時30分発の電車は切符が完売していた。二号車の立ち席だけが残っている。ハーフを走って足がガタガタだったが、つぎの電車まで一時間待たなければならない。しかたがなしに、二号車のデッキに立って渓谷美と川下りの舟を眺めることにした。

 亀岡駅から終点の嵯峨駅まで乗車時間は25分。途中で4つの駅に停車するが、列車はゆったりとトンネルをくぐって鉄橋を渡っていく。観光客サービスだ。交互にS字カーブを描くので、左右のどちら側に座っても川下りの舟の様子や沿線の紅葉を観察できる。

 車内を見渡すと日本人はほとんどいない。80%がインバウンド客。車内で会話を聞いていると、そのうちの80%は中国人らしい。娘がホテルで働いて間もないころ、わたしが京都女子大で教える前にはなかった現象だ。10年前は、紅葉の真っ盛りでも当日券で往復の切符を簡単に入手できた。隔世の感がある。

 

 娘の家から京都観光のメッカ、渡月橋までは歩いて15分。年間のインバウンド客が2000万人を超えた(2015~16年)あたりから、渡月橋を渡るのが困難になった。そして、お土産物屋さんの前の通りが、ゆったり歩けなくなった。

 そのころから、わたしは渡月橋を避けるようになった。川沿いに歩く人たちの混雑がひどくなったからだ。桜のころや梅雨のしとしと雨の日などでも、かつては人々が優雅に橋を渡る様子を対岸から見ることができた。それが、ある時から岸辺の風景をゆったり楽しむことができなくなった。

 むかしから京都に思い入れがある日本人は、わたしと同じ気持ちなのではないだろうか。

 京都ファンが京都から去っていこうとしている。いや、桜の季節や紅葉の時、京都が一番美しいときに、京都が京都ではなくなっている。京都はインバウンド客に占拠され、京都の懐かしい旅情が失われかけている。京都の伝統文化の保持についても、危険な兆候が出ているとわたしは感じている。

 

 京都は、約1300年の歴史を有する小さな「テーマパーク」だ。”小さな”と言ったのは、京都が外周を山に囲まれた盆地なので、外延が広くないという意味である。外部から京都を訪問する観光客が多くなると、それでもなくとも狭い町に住んでいる住民の日常生活に支障が出てくる。

 わたしが50年前に京都や奈良のお寺を見に来たのは秋だった。ただし、その時期は紅葉がはじまる少し前だった。当時の修学旅行生は、京都の閑散期を埋める便利な大量需要者だったのである。ディスカウントと引き換えに、京都観光客の需要の平準化に寄与していたのだ。

 しかし、インバウンド客は高校生だったわたしたちとは、基本的なニーズが違っている。海外から桜や紅葉を見に来るのだから、街の混雑度を増幅してしまう。需要の平準化には何の貢献も果たしていない。”京都に来るな”とは言わないが、タイミングと混雑度の増幅が問題なのだ。

 

 ここからは、雑誌の情報や知り合いから聞いた話である。

 5年くらい前からインバウンド客が増えて、京都市内で宿泊施設が不足し始めた。その後に、町家を改修して来訪者に貸し出したり、駅前では大きなホテルの建設計画が発表された。娘の勤めるホテルなどは、常に95%の稼働率である。その結果、京都の地価はこの3~4年ほどで驚くほど高騰している。

 笑い話である。数年前に、娘は嵯峨嵐山駅から歩いて4分の所に小さな家を購入した。中古住宅を町家風にリフォームして住んでいるが、いま同じ住宅を買おうとしたら50%増しのローンを組まなければならない。いまのタイミングでならば、一生かかっても家を買えなかっただろう。

 つまり、京都人にとって、インバウンド客が増えたことはプラスとマイナスの両面があるということだ。商売が好調で収入が増えたことはうれしいにちがいないが、生活者としてはマイナス要因も大きい。地元民が一番に困っていることは、京都人の「自給自足経済」の循環が壊れかけていることだ。

 インバウンド客が増えたことで、商売人の食い扶持の半分以上が、観光客依存になってしまった。5年前までは、収入の8割は近所の住民たちが生み出してくれた地元需要だった(そうだ)。そして、地価が高騰すれば、土地建物を京都外の不動産屋に売却するものが現れる。買収資金の出し手は、東京の大きな会社か中国人の実業家など。そうなれば、従来からの街の循環経済は破綻する。

 いま京都の目抜き通りに新しく店を構えている観光客目当ての店舗は、京都にとっては「外資」である。そこが稼いだ金は京都には帰属するわけではない。域内の資金循環も、ビジネス的には断絶している。外資は街の活性化にはよいこともあるが、地域経済の繁栄は後回しにする傾向がある。

 

 京都の市当局と京都の経済人に対する提案である。この社会経済的なショックから早めに抜け出ることを考えてほしい。京都を人間が生活している「テーマパーク」だと考えると、エリア全体として京都の町の混雑度をコントロールすべきだと考えるからだ。

 具体的な失敗の事例がある。2015年から2017年にかけて、東京ディズニーリゾートは、来園者からのクレームに直面した。開園30周年記念で来園者が(>年間3000万人)増えたのに、アトラクションの改修工事がはじまり、パーク内の混雑度がピークに達した。それ加えて、インバウンド客が急に増えて、パーク内での人の動きが変わってしまった。

 オリエンタルランド社内では、パート労働者のブラック対応の問題もあり、事態がさらに悪化した。混雑度の解消に対する対処法は、米国のディズニーランドで採用されている”Peak in the Park”(混雑時の入場制限)の再導入だった。来園者を増やせば収入は増えるが、顧客満足は低下する。したがって、チケットの発券を抑制したり、混雑の時間帯によっては入場者を制限することである。

 現在、TDR(ランドとシー)は、この入場制限のおかげでCSが回復基調にある。アトラクションも工事が終わって、再開しているので極端な混雑は緩和している。また、近年では、IT(スマホ)を駆使して、混雑情報を園内で流して来園者のコントロールをしている。大阪のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)のように、ピーク時に変動価格制を導入するのではないかと言われている。

 

 結論である。「歴史テーマパーク」としての京都も、TDRやUSJと同様に、インバウンド客を価格(入場料)や時間制限(季節)で需要調整すべきではないだろうか? イタリアの都市(ベニス?)では、観光客に市税を課していると聞く。かつて京都市内の寺社の拝観料に税金を課そうとして、京都市は手痛い失敗を犯している。

 しかし、当時といまでは事情が変わっている。いまこそ来訪税の導入に再度チャレンジすべきときである。京都観光を支えている神社仏閣、ホテルにとっても、これは長期的には悪い話ではない。落ち着いて時間をかけて、ゆったりしっとりと観光できるのが、京都の良さだった。しかし、いまではそれが叶わない。

 現在以上に、「フリー」の京都観光者を増やすことは、とりわけ日本人観光客の京都滞在の満足度を下げ、京都の伝統文化を敬る心情を傷めることになる。京都人にとって、こちらが最大の脅威ではないだろうか? 京都という町は、いま歴史的な転換点に立っている。それは、同じくインバウンド客で混雑している東京の銀座や浅草とは、ちょっと異なる意味を持っている。

 

 

 <追記>

 このような話をメールでやり取りをしていた京都人から、つぎのような話がLine経由で送られてきた。

 一昨日、京都の大学で教鞭をとっている大手企業の部長さんと、わたしの友人のご夫妻とが京都の居酒屋で酒を酌み交わしていた。旧交を温めるため、なじみの居酒屋に寄ったらしい。

 そこに、外国人のお客さんが入ってきた。国籍はわからないが、日本語が通じなかったらしい。この店のメニューは、日本語だけ。席は空いていたらしいが、会話もできないので、店主は入店をその場で断った。

 奥様からのメールには、「ちょっと小気味がよかったです」とあった。

 

 そういえば、トロッコ亀岡駅のホームで、インバウンド客を捌いている駅員さんは、日本語のアナウンス以外に、流ちょうな英語と中国語を話していた。しかし、列車を待つお客さんがホームの黄色い線からはみだしている。そして、インバウンド客が入線してくるトロッコ列車の写真などを撮っているものだから、この駅員さんは気が気ではない。

 ホームに転落しないだろうか、列車と接触事故でも起こさないかと不安そうである。アナウンスにその気持ちが出てしまっている。早口で落ち着いたサービスができていない。せっかくのトロッコ列車に乗る情緒が半減してしまう。「もっと落ち着いてトロッコに乗りたいなあ」が正直な感想だった。

 それならば、一回の乗客数を制限するとか、切符の発券枚数を限定するとかすればよいだろう。発車間隔(1時間おきをピークおシーズンは40分おきに変更)を増やすだけで、これは解決できるはずだ。また、ホームの幅を広げれば、乗客の転落や列車との接触の心配もなくなるだろう。

 根本的な解決は、シーズンによって切符の値段を上下することだろう。わたしが支払った片道630円は、あまりにも安すぎると思った。