先週の火曜日(11月13日)、京都商工会議所の招きで「老舗ブランドの経営と京都文化」という演題で講演をさせていただいた。紅葉のシーズンに京都に招待いただき、この上もない幸運だったと感謝している。当日の午前中、おかげさまで、紅葉が美しい東福寺の庭を3時間ほど散策させていただいた。
そのときの講演録は、おそらく年明け早々に作成されるはずになっている。したがって、本題のテーマについては、講演内容は文章の形で残ることになるが、たぶん講演録には収録されない「余談の部分」(落語風に言えば「枕」)をこの欄で記録にとどめておきたい。往々にして、本題よりそちらの方が含蓄がある話しをしていることがある。
午後15時から行われた京都ホテルでの講演会(第5分科会:京都ブランドの振興)には、京都の中堅・中小企業の経営者、約120人が参加してくださった。前日に、余興にと思い、検索サイトのヤフーで「京都」「老舗」「文化」というキーワードを検索してみた。そこで、「京都」という情報誌を発見した。情報誌「京都」は予約購読を受け付けているようだが、ウエブサイトの方には半年ほど遅れて記事内容がアップされていた。そのなかに、シリーズで京都の老舗経営者を紹介する記事がインタビュー構成で掲載されていた。すでに400人を超える経営者が、老舗商家の由来と商売の継承者としての理念を語っていた。
さすがに、一国の首都として1200年以上の歴史を持つ京都だけのことはある。その後、大阪と東京にビジネスの中心として都市の役割は明け渡してしまったが、現代的な産業の発想では思いもつかないような、さまざまな業種に携わっている事業主の方がシリーズに登場していた。京都といってすぐに思いつきそうなのは、食品関連の商売(造り酒屋、和菓子、漬け物など)であろう。その他では、染色・織物業、伝統工芸品などを製造販売する仕事があがるだろう。
京都には製造小売業が多い。意外に数が多いのは、庭園業、瓦製造業、建築・補修業など、お寺さに関係した仕事である。ホームページを覗いてみて印象的だったのは、反物を巻く「紙の芯」を作っている老舗の店主さんの取材記事であった。木と紙を扱う伝統的な匠の技術を用いて、紙の箪笥やベッドを造っている話しである。無印良品などの店頭に陳列してある「紙筒」をご存じだろうか? 本棚や収納用の箪笥を、丸くて細長い紙筒をパーツとして組み立てる方式である。無印良品で売られている紙の家具は、京都の紙工芸に原型があるのかもしれない。
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京都発祥の製造・小売・サービス業を眺めていて気がついたのは、部品製造および観光関連のサービス業が多いことであった。そういえば、午前中に時間を過ごして東福寺などの神社仏閣は、京都の観光業にとって重要な収入源である。たとえば、東福寺は、パンフレット(説明書き)によれば、最初にお寺が建立されてから750年近い時間が経過している。しかし、ひとうひとつの建物を見ていくと(建物ごとに年代を確認しながら歩いていくと)、重要文化財に指定されているお堂であっても、物理的な存在としては100年とか200年の歴史しか持っていないことがけっこう多い。
これは東福寺に限ったことではないように思う。木と紙でできた日本の建物は、雨や風で傷みやすい。素材が素材であるから、しばしば戦乱や火事で消失したりもする。木造の家屋は、土台を残してすべてゼロから作り直すことになる。これに対して、欧州のレンガと石の建造物は、躯体はそのままに内外装をリビルトして数百年間そのまま使い続ける。日本の建築事情は、簡易なメンテナンス方式が採用できる欧州文化とはわけが違う。
日本で建物の維持再興文化を支えているのは、神社仏閣の大工職人である。数百年前の旧い設計図を頼りに、消失したり倒れたりした寺院を建て直すわけであるから、京都の職人仲間にはそのソフトが集積しているはずである。想像ではあるが、お寺を再興する際には、優秀な職人であれば必ず何らかの改善・改良を施したのではないだろうか。たぶん、日本の産業が改善上手なのは、こうした産業復興の歴史に支えられているのではないかと京都の庭で考えていた。
京都に造園業者や庭師が多いのは、日本庭園の特質から来ているわけである。お寺の補修維持で大工さんが必要なのと同じ理屈である。京都は町全体が広大な庭である。公共の「公園」を管理するために、大量の花木をバックヤードに用意しておかなければならない。
結論である。京都(原型としての日本)の産業の基礎にあるのは、そろばんで計算するときの「ご破算で願いましては・・・」の発想とルールである。傷んだり消えて無くなる木と紙の家屋が抱える弱点(非耐久性)を、京都人は強み(維持補修と改善文化)に変えていったのである。建物を再建・再興するために、木や紙を扱う職人が育ったのである。彼らの技能が現在の京都の資産に育った。立派な庭園などを見ていると、京都の歴史の根本にあるのは、広い意味での「メンテナンス文化」と「補修ビジネス」であることがわかる。