昨夜は、2024年最後のアフターゼミを開催しました。発表者は、大学院小川ゼミの木村ともえさんでした。木村さんは和歌山大学(専門職大学院)の準教授で、JR東日本企画の部長も兼職しています。テーマは、「熱海の新コンテンツ」です。木村さんは、プレゼンテーションの場に、JR東日本企画の部下で24歳のイケメン男子(島嵜さん)を連れてきました。彼が、夜間ライトアップ実験の実行担当者だったからです。
セミナーの終了後は、参加メンバー7人で懇親会になりました。忘年会を兼ねた飲み会でしたが、その席でのことです。木村さんと師匠筋の大久保あかね先生(静岡県立大学教授)が、わたしの隣と真向いの席に座りました。
最初は、部下の若者も交えて、4人で木村さんたちの発表内容のことを話していました。島嵜さんが任されて実行した「起雲閣」(大正時代の建てられた和風旅館、写真)のライトアップ実験について、新たな活用方法や料金の見直し、クラフトジン醸造所との連携などについて話が及びました。
セミナーのオンライン参加者(大下君、高島君)からも、いろんなアイデアが出たのですが、木村さんの言葉でとても印象的だったことがあります。それは、和歌山大学で院生を指導していることもあり、「熱海プロジェクトでも、(信頼して)部下に完全に仕事を任せている」との発言でした。指導者としても成長していたのです。
そんな楽しい会合でしたが、途中からは木村さんの卒業プロジェクト(酒蔵ツーリズム)のことになりました。わたしは35年以上に渡って、自らが創設に関わった2つの大学院(経営学研究科、イノベーションマネジメント研究科)で、約200人のゼミ生を指導してきました。その中で、木村さんほど修士論文のプロジェクト指導で苦労した学生はいませんでした(ひとつまちがうと、「アカハラ」「パワハラ」と訴えられることもありの状況でした)。
実のところ、木村さんは卒業を目前にした1月の段階で、論文が書けなくなった時期がありました。一時期は、卒業を諦めかけたこともありました(*実際は、指導教授のわたしが「彼女の卒業が厳しいと思った」という意味です)。
あるとき、木村さんはわたしから、「このままだと、卒業は無理かな?」と言われたそうです(忘れかけていたのですが、昨夜の会話で思い出しました)。実際に、オンラインの合同ゼミで、プロジェクトがうまく進んでいない木村さんが、一緒のゼミ生や先生たちの前で「おいおいと」泣いてしまったことがありました。
オンラインの会議の様子が変だったのしょう。わが相方が近くに寄ってきて、「一体どうしたの?」とPCの画面を覗き込んできたくらいでした。木村さんは、そのくらい切羽詰まっていました。
それでも、どん底の状態からわずか一か月で、木村さんは見事に論文を完成させました。先生たちの助言を守ってラストスパートできたからでした。昨夜の会話でも、「もう無理と言われても、そこからガンバって這い上がってくる」のが、木村さんの特長のようでした。
わたしに「ほぼ無理だよね」と言われても、「絶対にあきらめない派」に木村さんは属しています。「ネガティブな状況を示す」指導方法は、それはそれでよかったのでした。それとは逆に、「あなたはできるから大丈夫」と言われて、「前向きにがんばれる派」は、過去の院生では圧倒的な多数派でした。おだてられると伸びる学生は、その辺にたくさんいるのでした。
実は、木村さんのような学生は少数派だと思います。例えば、同じ院生の「(株)アクア」の社長、徳永奈美さんなども、木村さんの「絶対にあきらめない派」です。到底できそうにない苦境を乗り越えてしまうタイプなのです。
ただし、木村さんにも話したのですが、このタイプの学生の問題点は、ふたつあります。ひとつは健康(心身の)を害する場合で、もうひとつは(頑張りすぎて)燃え尽きてしまうケースです。ビジネスマンや経営者でも状況は同じです。
わたしからのアドバイスは、日常生活に適度な運動を取り入れること。もうひとつは、物事を整理して、周囲の環境を俯瞰して仕事を計画的に進めることです。それができれば、木村さんの未来は安泰です。
この先は教育者として生きたい。そのように考えているらしいことが、昨夜の相談事やプレゼンからも伝わりました。24歳の若者を連れてきたのも、そのためなのかなと思いました。それにしても、今振り返ってみても、卒業時の木村さんの頑張りには、心底から驚ろかされたものでした。
万が一、あそこで挫折していたら、今の木村さんはなかったでしょう。大学院での社会人教育(学生として、教師としての両方)が、努力の先の未来を切り開くことになったのでした。人間の努力の尊さと、目標達成を願う強い意志のなぜ?を、改めて発見した昨夜でした。
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