「SKフロンティア」(新潟県糸魚川市)さんのために、応援の推薦文を書いてみました。わさびの栽培特許を持ちながら、新潟県内で事業を拡張しようとしている渋谷社長の依頼もあってのことでした。一緒にわさびの栽培事業に取り組んで、今月で丸2年が経過しています。いまだ大きな進展は見ていませんが、未来を見据えた上での論考になります。
「新潟県のような豪雪地帯で、わさびを温室栽培する社会的な意味」(V1:2024年2月24日)
文・小川孔輔(法政大学名誉教授)
1 はじめに:新潟県がわさびの栽培適地に
日本固有種の「本わさび」は、約100万年前に大陸の同系統のわさび属から分岐したものと言われている。氷河期を生き延びたわさびは、日本全国の野山で、水量が豊富で水質が良好な場所で生育分布している(山根京子『わさびの日本史』(2020年、文一総合出版))。
辛味調味料のわさびは、和食に欠かせないスパイスである。しかし、自然状態で効率よく栽培ができて、ビジネスとして成り立つ場所として、北陸地方(新潟県、富山県、石川県)は、従来はわさびの栽培適地ではなかった。冬季に豪雪地帯であることが、栽培を困難していたからである。
ところで、いまから8年前(2016年)に、新潟県糸魚川市の「SKフロンティア」(渋谷社長)が、温室環境下でわさびを栽培する設備と栽培方法を考案した。豪雪地帯の国道などで見かける「融雪装置」にヒントを得た装置で、わさびを潅水するというアイデアである。
水温14℃で地下水を汲み上げて潅水すると、わさびは365日24時間休むことなく成長を続ける。わさびの根茎が、素早く大きく育つことになる。そして、品質も一定で美味しいわさびを収穫できることが分かっている。
詳細は省くが、「SKフロンティア」の栽培システム(特許取得済み)が実用に供され、わさびが効率よく栽培できるようになった。その結果、
① 自然状態のわさび栽培に対して、2~3倍の生産性が実現し、
② わさびの収穫や出荷などの労働環境が改善され、
③ 自然栽培の課題である洪水や獣害、高齢化による後継者問題などが解決できることになった。
なお、SKフロンティアの「わさび栽培システム」が発明された後に、本わさびの国内供給と市場環境が大きく変化している。以下では、現状を簡単に紹介する。
2 わさびの国内供給と海外からの需要増
(1)供給量の落ち込みと遺伝資源の喪失
筆者らの調査(「わさびの需要動向(2023年3月)」)によると、わさびの国内生産量(供給量)は、16年前に比べて半分以下に落ち込んでいる。2005年に4,614トンあった供給量が、2021年には1,886トンと6割ほど減少している(農林水産省(2005~2021)『特用林産物生産統計調査』)。
わさびの国内供給が激減した主たる理由は、前述の3つである。
① 台風や洪水で栽培地(最大の産地である静岡県や長野県)が被害を受けていること、
② 山が荒れたことに起因する獣害(シカやサルやイノシシ)、
③ 高齢化による後継者不足問題などである。
この3つの要因と同時に重要なのは、日本固有種のわさびにとって、わさびの生育地の林野を荒れたままの状態で放置しておくと、将来に渡って本わさびの遺伝資源が失われてしまう危惧があることである。環境が汚染されることで、そこで生育している原種が絶滅する危険性が生まれている。生態系が崩れることを放置しておくことで、貴重な育種資源を失うことにつながる。
(2)わさびの価格の高騰
海外からの需要増と国内供給量の激減を反映して、わさびの取引価格がコロナ前に比べて、約2倍に高騰している(データの一部は、「わさびの需要動向(2023年3月)にも掲載)。2019年ごろ、1Kg5000円前後だった本わさびの平均取引単価が、2023年には1万円を超えるようになった。需要期の2023年末には、平均単価(中値)が1.2万円に接近している(『日本農業新聞』2023年の市況情報)。
欧米を中心に、海外では和食ブームが続いている。しかも、海外のレストランやすし店などの営業が好調であることで、コロナが明けてからは引き合いが増えている。国内の状況を見ると、コロナの期間に市況が悪化したことで、わさびの栽培をやめる農家が増えていた。
コロナ明けでも供給量は激減したままである(『日本農業新聞』2023年、市場取引量データから)。2つの要因が同時に重なって、わさびの価格高騰に拍車をかけている。そして、国内の供給減と海外からの需要増は、今後も変わらないだろうと見られている。
3 わさびの供給を増やす社会的な意義
気球温暖化や獣害に備えるため、林野の環境保全に努めることも、日本政府としては大事な政策ではある。しかし、自然栽培に頼るだけでは、今後も続くと見られる日本と世界のわさびの需要増に応えることができない。
供給量を増やさないことには、通常の価格メカニズムは働かない。わさびの価格がさらに高騰することは、和食のグローバルな普及にとっては大きな制約になる。わさびの市場拡大の障害にもなる。最悪の場合は、本わさびの代替品(西洋わさびの亜種)が登場する可能性が考えられる。
伝統的な和食の美味しさを支えるスパイスとして、わさびのポジションを防衛するためにも、本わさびの生産量を増やすことを考えるべきである。また、わさびの供給そのものを安定させることも必要である。そのための方策としてもっとも現実的で、かつ有望な代替案が、SKフロンティアの発案による温室でのわさび栽培だと考える。
なお、グローバルな需要増に応えて、国内供給量を増やすことができないと、オーストラリアやイギリス北部、カリフォルニアなど、海外でわさびの栽培が始まるかもしれない。規模は小さいながら、日本の農業にとっては大きな損失になる。
また、日本固有種のわさびは、現状では絶滅危惧種に分類されている。世界的な需要増に対して国内の生産増で対応できれば、それを原資にして、わさびの育種に資金を投入することができる。国内でのわさび産業の勃興は、本わさびの種の保全にも資することになる。大いに社会的に意義がある運動だと考える。