開口一番、原田泳幸会長兼社長CEOは、復活の理由をごく短いフレーズでまとめてくれた(@法政大学大学院)。Back to the Basics with Innovative Manner! しごく単純なことである。「マクドナルドは、50年続いているグローバルな企業である。だから、7年連続減収減益とはいえ、売上は3950億円ある。絶対にいいところ(独自性)はあるはず。基本に立ち返って、それを伸ばせばいいだけ」。
「問題点を指摘するのはもういい。できることをしっかりやろう!」
グラフ(絵図)を載せない主義なので、ここには示すことができないが、 2004年にマック(マッキントッシュ)からマック(マクドナルド)にくら替えをしてから、CEO就任のその日に、一晩で考えたことは、単純な原則にしたがうことであった。
ものごとを単純化することである。船が揺れているのだから、とりあえず、アクセルペダルやブレーキはいいから、まっすぐに舵を切ることに集中しよう!である。キャッチフレーズ的に言えば、「選択と集中と独自性」。それ以外は、やらない。手を広げない。
なんとなく、わたしは嫌な気分になった。なぜなら、10年間、自分(小川)のやってきたことが、それとはまったく逆だったからである。おもしろそうなものには、なんにでも手を出す。「小川さんのやることは、どれも中途半端!」とみんなにはスコンスコン打たれてきた。そう、原田さんの喋りを聞いていたこの日は、いい意味で反省、反省の連続であった。
わたしはまちがっていたとは思わないが、やりすぎではあった。いまは、しごとも生活もシンプルにしている。
「MBAの教育など役に立たない!」と言いながら、原田CEOが言うブランドや戦略のキーワードは、MBA用語(わたしの本中に散らばっているコンセプトが多いぞ!)に満ち満ちていた(笑い)。結構、しかし、実行の仕方が原田流である。有言実行のタイプなのだろう。きっと。以下は、講演をわたしが解釈がしたものである。
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マクドナルド復活の理由は、マクドナルドのブランドと商品が、独自性を持っていたからである。7年間の失速の間も、アメリカン・ヘリテージ(米国文化)とライフスタイルに裏打ちされた、マックのブランド力は落ちてはいなかった。単に、現場の実行レベルでの失敗が原因であることを、短期間で原田CEOは喝破した。
世の中のひとは、ほとんどご存じないと思うが、東海大学工学部を1970年に卒業して原田社長は、日本NCR(ナショナル金銭登録機)でレジ精算機の開発(後にPOSレジ開発)に従事していたのである。商業サービス業の現場を歩いてきたので、日本マクドナルドの問題は何なのかはすぐにわかったのである。iMacをマーケティングしていたからではない。NCRの営業と横川ヒューレットパッカードの営業経験があったればこそである。
原田社長が、最初にきめたことは、以下の4点である。
① 既存店のQSC(品質、サービス、清潔さ)を元に戻すこと、
② 既存店を閉鎖しないこと(同時に、店数も増やさない)、
③ 客数(来店頻度)を伸ばすこと(当初は、客単価が落ちるがしかたがない)
④ メニューを絞り込むこと(10アイテム削減)
第一優先順位は、「既存顧客の来店頻度を上げること」である。シンプルな原則にしたがい、そのために、①既存店のQSC(品質とサービスとクレンリネス)を徹底的に見直すことにしたのである。それだけで(+100円マック)、客数(来店頻度)は上げられると考えた。実際に、この数年間で唯一、日本の外食産業で既存店の売上(来店頻度)が落ちていないのがマックである。
②は、考えて見れば当然である。藤田田社長時代には公開企業になるために、急速な店舗拡張と不採算店の閉鎖が行われた。そのプロセスで、個別店舗でオペレーションが方向性を失い(QSCの低下)。7年間で大奥の貴重な人材が失われたはずである。
そのための挽回手順が、③「来店頻度をあげること」であった。24時間営業と100円マックの導入、100円コーヒーの投入などである。
ただし、強みを明確にするために、独自性のないメニューは削除することにした。④メニューの絞込みは、キッチン部門のオペレーションを簡素化させ、ホール側の広告掲示物(POPなど)をきれいにしたはずである。マックの店舗は、このごろみちがえるように、きれいに変貌している。店舗は広告なのだそうだ(100億円分)。汚い汚れた店舗ならば、広告効果はないのと同じ!h
その結果、既存店は伸び始めた。ここまでが復活劇の第一段階である。ポイントは、既存店の改善の強化に経営資源投入を絞ったことである。
第二優先順位であった「独自性」(新メニューやプロモーション)が、そのあとに続くことになる。復活劇は、第二段を待たなくて、達成されたわけである。