【巻頭言】「創立25周年を目前に:振り出しに戻る?」『JFMAニュース』2024年1月20日号

 私事になるが、年末年始に神戸の孫たちが帰省して、同居中の孫たちと一緒に仲良く遊んでいた。何をしているのか覗き込んでみると、4人で双六(すごろく)を作って大はしゃぎしている。小学生チームが自作した手書きの盤面を見ると、最後の方に、本物の双六と同じように、「振り出しに戻る」のマス目が用意されているのを見つけた。 
 

 
 わたしは2年前に大学を引退したばかりである。もしも46年間の教員生活が双六遊びで、ゴール近くでサイコロを振って、「振り出しに戻る」のマス目で停まったら、スタートに戻らなければならない。「さて、どうしたものか」といまの立場を考えてみた。
 ところで、先日の新春セミナーのテーマは、「植物と共生するウエルビーイングな暮らし」だった。基調講演者は、クリザール・ジャパン副会長の海下展也さん。パネルディスカッションで、JFMAの草創期のことを紹介してくださった。現会員のほとんどが発足時の事情を知らないと考えて、コーディネーター役のわたしに確認を求めてくださったのだと思う。
 
 JFMAは、「日本の花きの消費を大きく伸ばすための組織」として発足した。2000年5月18日が創立の日である。わたしたちJFMAの活動のモデルになったのは、米国のFMA(Floral Marketing Association)である。米国人でわたしたちに知恵を貸してくださったのが、FMA会長(当時)でミネアポリス在住のスタン・ポーマー氏だった。
 海下さんとメンバーの数人が相談して、FMAにJapanの頭文字の「J」を冠して、JFMAという名称に決めた。その後の活動の経過は、皆さんがご存じの通りである。花の日持ち保証やバケット規格の統一、国際展示会の開催や海外ツアー、新しい物日の創出(フラワーバレンタイン)など、さまざまな活動を展開してきた。
 
 再び、新春セミナーの話に戻す。パネルが終わって「Q&A」の時間になった。そのとき、会場から手が挙がった。「㈱ジャパンフラワーコーポレーション(花まつ)」(本社:富山県射水市)の松村社長が、質問と意見を述べはじめた。松村さんは、拙著を読んで入会した初期のJFMA会員である(現在は退会)。
 当時の日本の花業界は、バブル崩壊後に消費が低迷をしていた。ところが、欧米では1995年ごろから花市場が活況を呈し始めていた。その後の20年間で、欧州の花市場は2倍に、米国では50%ほど花市場が拡大している。松村さんの指摘は、JFMAの活動にも関わらず、20年間で日本の花市場の低迷が続いているという論旨だった。
 
 わたしが、元旦の孫たちの双六遊びを思い出したのは、まさにその瞬間だった。日本の花産業は、「振り出しに戻っている」のだろうか? いや、そんなことはないだろう。市場の発展はスパイラルに変化していくものだ。この間、日本の花市場は縮小気味だったが、花の品質は間違いなく向上している。世界中から、海外研修ツアーやフラワービジネス講座を通して、JFMAは花業界人のために必要な情報を集めて提供してきた。 
 青山フラワーマーケットや花恋人のように、全国展開の花小売チェーン店が登場している。ユニクロ(切り花部門)やバロック・ジャパン(観葉植物)、最近では、エルメス銀座店がポップアップの花屋さん(フラワーアーチストの東信さんプロデュース)を開くようになった。どうやらわたしたちは、「振り出しに戻る」の踏み石は踏んでいないようだ。