「トップインタビューこぼれ話:イノベーションを担う集団と人的なネットワーク」『JFMAニュース』2022年10月20日号

 トップインタビューの次回は、「豊明花き」の福永哲也社長である。ご存じのように、福永さんはいま、卸売市場協会長とFAJ社長を兼務している。その上、オランダのフロリヤードを視察する用事があった。多忙のため、インタビューが先延ばしになっていた。

 

 先日、対面では久しぶりで、JFMAの事務所で福永さんとお会いすることができた。無事にインタビューを終えることができたが、以下は、そのときのこぼれ話になる。

 福永さんは、千葉大学園芸学部の出身である。卒業後は、「日本観葉植物」に就職した。東京都の出身なのに、勤務先は名古屋。江戸弁から尾張弁に、使用言語も変わった。わたしの場合もそうなのだが、大学時代の研究室と最初の職場が、その後の研究者人生を決めたと思っている。自分の潜在能力を開花させたのは、師事した教授(大澤豊氏)と兄弟子たち(片平秀貴氏など)、わたしを助手で採用してくれた職場(法政大学)の同僚たちのおかげである。ひいき目に見ても、学者としての自分の能力は、たいしたものではなかった。

 福永さんの場合は、わたしと違って、子供の頃から植物に対する愛着と造詣が深かった。潜在能力が高い上に、千葉大では花卉園芸研究室に所属する。主任教授が横井政人氏、助教授が安藤敏夫氏、助手が上田善弘氏だった。輝ける研究者の布陣である。そして、その外には、園芸業界の人的なネットワークにつながっている。これが、福永さんのキャリア形成には決定的だったと思う。

 就職先の経営陣は、戦後日本の園芸業界をリードした小笠原亮氏。研究室の先輩、長岡求氏(現:FAJ)がそこにいた(詳細については次号以降のインタビュー記事を参照のこと)。

 ビジネスでも大学でもそうなのだが、新しいことを興すのは、現状を変えようとする人的なネットワークである。共通の思いを抱く集団である。中心となる人物は存在するが、ひとりの力で現状を変えること無理である。組織が革命やイノベーションを引き起こす。

 例えば、明治維新を牽引した長州藩の松下村塾では、塾長の吉田松陰の周辺に多くの志士たちが集まった。久松玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江久一ら。革命の理念そのものも大切だが、吉田松陰が提供したのは、「集団学習の場」だったと言われている。

 花の業界でも、日観グループでそれが起こっていた。福永さんのインタビューでそのことが確認できた。インタビューが終わった夕方、福永さんから、わたしのメールに返信があった。

「当時から日本観葉植物株式会社は先進的な取組みをして来たことが、JFIグループに引き継がれていると思います」(福永さん)。

「とにかく、千葉大の先生たちと小笠原さんの遺伝子ですかね」(小川)。

「セリデータをセリ台で入力、台車物流、品名コード、エルフバケット流通、注文販売へのシフト、ネット取引システム、市場による商談会などなど」(福永さん)。

 今の福永さんのポジションと活動は、先輩たちが築いてきた連続的なイノベーションのその先にあることがわかる。わたしからの希望とお願いです。

日々お忙しいとは思いますが、“巨人の肩の上に乗って”、さらにいい仕事をしてください。