【警鐘】アフターコロナの後遺症:ハイブリッド授業と休業補償に関する「グレシャムの法則」

 大学院でも学部ゼミでも、コロナの2年間、わたしは「対面授業の実施」に徹底的に拘ってきた。大学の理事会や教授会、学生のご両親から大いなる抵抗を受けながら(一部では顰蹙を買いながら)、教室でのリアルの授業を継続してきた。法政大学で、これほどまでに対面授業に拘った教員はいなかっただろう。

 

 いちばん残念だったのは、この2年半で、春夏の5回の合宿を実施できなかったことだった。さきほど、コロナ初年度の渡邊知春さん(43期、2021年卒業)とLINEでやりとりしていた。

 彼女が言うには、「オンライン授業ばかりの4年生で終わるのか、と思っていたところを、先生が大学での授業の機会も作ってくださったおかげで、最後に楽しいゼミの思い出ができました! ですが、コロナでなければもっと楽しかったのだろうなとも思います😢」。

 結果論と言われれば、それまでのことである。つまりクラスターが回避できたと思うからだが、しかし、わたしは何度もこのブログで書いてきたように、直感的に「世の中がコロナに過剰反応している」と感じていた。教育や営業にとって、もっとも必要な直接的なコミュニケーションをないがしろにして、誰かに気兼ねして、あるいはリスクを恐れてリモートに逃げていると、教育も商売も劣化していく。

 以下では、わたしが感じた「コロナの後遺症」である。

 

1 メンタル(精神の不調)が原因で教室から去っていった学生

 わたしの46年間の教員生活ではじめて、昨年度(コロナの2年目)、メンタルが理由で学校を退学する学生が出た。わたしから見て、コロナがなければ優秀な成績で卒業できたはずの子だった。全く持って残念だった。相談するというより、やめると決めてから教室に来た彼に、わたしからは復帰の言葉をかけてあげることができなかった。

 

2 名前と顔が一致しないことの結果

 残念なことに、渡邊さんを始めとして、ここ3年間の学生は、名前と顔が一致しない。なぜなら、①教室で一緒にいた時間が限定されていたからだ。②いつも「マスク顔」なので、各人の顔が識別できない。③学生同士の交流が少ないので、1のようなメンタル不調の学生を救えなかった。

 

3 休業した飲食店など後遺症

 街の小さな飲食店は、コロナの休業補償で大いに潤っていた。休業している間に学校に通って(オンラインで)勉強したり、将来に備えて営業再開の準備をした経営者はよかった。問題は、その間に「休んで金をもらえることに慣れ切った」若い経営者である。いまのように営業再開をしても、そのような店は客離れを起こしている。

 必死に顧客サービスに耐えた店舗は、いまでも繁盛している。顧客サービスを忘れた飲食店は、当然の報いとして客離れを起こしている。さらに悪いことには、そうした若い経営者は、働かずに補助金を得ていたために、本来の働く意欲を失ってしまっている。なんとなくなのだが、料理にもサービスにも接客にも心がこもっていない。

 

 以上、大学と飲食店が抱えていた問題は異なるのだが、この先に、深刻な後遺症にしばらくは悩まされることは間違いない。

 まじめに事態に対処してきた顧客と教育者(自らの未来を考えていた事業者)と、そうではない教育者や事業者とは、明らかに活動再開後に差が出ているように思う。例えば、わたしが危惧しているのは、オンライン授業では、出席と集中力を発揮することへのモチベーションが下がり、欠席(散漫な集中力)について無頓着になる傾向があることだ。

 

4 具体的な後遺症(出席に対するコミットメント、連絡無視) 

 フラワービジネス講座(2022年度)で、驚くようなことを経験した。わたしが担当する授業(対面のフィールドワーク)で、6人の受講生のうち5人が欠席になった。理由はそれぞれだった。欠席はある程度は仕方がないと思う。しかし、問題はそのうちの1人からしか「欠席の連絡」がなかったことだった。

 コロナの2年目に入って、大学のゼミでも同様なことが起こっていた。リモートと対面をハイブリットにすると、コロナの感染を理由にリモートに逃げてしまう傾向が見られる。出席の確認と授業への集中度は、こちらからは評価のしようがなくなる。しかし、最終年度はさらに、出席の連絡も来なくなってしまった。

 目の前に居なくなったので、統制が取れない。これには、まったくお手上げだった。教育放棄になっていると感じたものだ。教員をやっている意味がない。

 

 飲食店の事例と同じである。いったんハイブリットの選択を良しとすると、「グレシャムの法則」(悪貨が良貨を駆逐する:悪しきに流れること)が働くことになる。つまり、出席者がリモート参加者より少なくなるのだ。結果的に、ハイパフォーマンスの学生は、厳しい環境選択の中でも、対面授業を選んだ学生たちである。なので、わたしはこっそり「リアルの出席点」を付加していた。

 某IT経営者が、「全員が出社するように!」と発言したら顰蹙を買っていた。基本的に彼の発言は正しいのだ。しかし、建て前は別なので、その後は世の中からのバッシングを浴びていた。そのことに同情を禁じ得なかった。

 企業社会にも、同様な後遺症が広がっている。人間は弱いものだ。何らかの規制をしないと、労働に対してはおおむねグレシャムの法則が働く。在宅でパフォーマンスを上げている人もいるが、結局は、普通の人は手抜きをする。

 本当に優秀なひとは、例外的にむしろ積極的に働くものだ。ここがチャンスと思うからだ。優秀な学生は、授業に対してこれまで以上に熱心に取り組む。なぜなら、周りが手抜きになるタイミングこそ、絶好のチャンスだからだ。しかし、ふつうの人間と雇われてお金をもらっていると自覚しているひとには、ほぼこれが当てはまらない。

 この仮説は、二年間で見事に実証済みである。