連載コラム(上)では、中国木材・能代工場の建設を知った経緯を紹介しました。その後、堀川社長にインタビューを申し込み、広島県呉工場の視察・取材のアポイントを取らせていただきました。ただし、視察の日程が11月29日になったので、11月中に連載記事を執筆できませんでした。今回は、予定より一か月ほど遅れての掲載になります。
今回の(下)では、11月29日午後に行われた堀川保彦社長のインタビューを、コラムにまとめています。また、呉工場の視察とインタビューのロングバージョンは、「日本の森林を再生する:“中国木材”の環境保全ビジネス」というタイトルで『DIY会報』(2024年新春号)に、新年早々に発表されることになっています。
新工場の竣工が、来年1月10日に迫っています。時間があれば(横浜で取材が一件あるので、むずかしそうですが)、わたしもセレモニーに参列したいと思っています。
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「木都能代の再生(下)」『北羽新報』2023年12月19日号
文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)
2002年に19%(戦後最低)だった国産材の自給率は、20年後のいま41%に上昇しています。自給率が高まった背景には、船便の運賃高騰と伐採のための労働者不足、地球温暖化の影響があります。北米などでは、干ばつで山火事や虫害が頻繁に起こっているからです。
秋田県の林業と製材業は、厳しい時代を経験してきましたが、森林経営と木材産業を取り巻く環境は好転の兆しを見せています。そして、能代市の木材業にとってある幸運が起こりました。来年早々、住宅用木材でシェア25%の業界最大手「中国木材」(本社:広島県呉市)の能代工場が竣工するからです。しかし、秋田県産の杉材の価格安定と需要増に期待が集まる反面、最大手の能代進出には、「黒船が来た」と警戒する向きもあります。
その真偽を確かめるため、わたしは中国木材の呉工場を視察してきました。視察後に、同社の堀川保彦社長に3時間に及ぶロングインタビューをお願いしました。能代工場進出とわが国の林業と製材業の未来について、経営トップの考えを知ることが目的でした。
中国木材は、1969年に外材の輸入・製材・加工業の一貫生産ラインを建設した企業です。1989年に輸入木材の米松で乾燥平角(ドライビーム)の製造を開始。米松で製材加工業に乗り出しました。堀川保幸氏(現、最高顧問)の慧眼からでした。一方で、同社は国産材への需要の高まりに早い段階から気づいて、国産材の技術開発に舵を切った進取の気性に富んだ企業です。現社長の堀川保彦氏もなかなかのアイデアマンです。
以下では、同社の製品と製造プロセスの特徴を簡単に紹介します。
(1)同社は、複数の樹種(例えば、米松と杉材)を組み合わせた軽くて強い「集成材」を開発し、林野庁長官賞を受賞しています。加工過程で十分に乾燥させてから木材を出荷する「乾燥材」は、「たわみにくい」という特性を持っています。
(2)工場建設にあたっては森林の保全(植林・育林)に取り組みながら、持続可能なビジネス(温室ガスの抑制や端材のリサイクル)を展開しています。製造工程には、バイオマス発電所を併設しています。杉皮や未利用材、端材やおがくずなどが発電の燃料です。
(3)山から集めてくる木材をすべて買い取ることにより、山の価値を高めます。秋田県での契約でも、一括購入契約になると思います。この方式は木材の価格安定に貢献します。
堀川社長とのインタビューで、能代を選んだ理由の説明がありました。「製材所の立地で成功するには、3つの条件が必要です。①海の近くに立地すること、②工場を大規模化ができること、③広いまとまった土地が確保できることです」。能代は3つの条件を満たすからだそうです。なお、堀川社長は15年前に秋田市への工場建設を計画していましたが、当時は集成材の製造・販売を考えていなかったため、秋田進出は断念したそうです。
「能代への工場進出の決断は、秋田県は埋木量が全国1位で、伐採・搬出する素地があったからです。原木を中国に輸出するのではなく、国内で加工して付加価値をつけた方がよいと考えました」(堀川社長)。地元業者からの懸念に対しては、「地元の製材所は主にA材を製材しています。わが社は集成材を製造・販売していますので、作るものによって棲み分けできます」と述べていました。
新工場建設で、250人規模の雇用創出が期待できます。中国木材の進出は、「木都能代の再生」の起爆剤になるように感じました。