本日の午前中に、来月6日発売の小説のサンプル本が届くことになっている。仲間と四国ツアーの昨日、『北羽新報』の一面に、「晴れて作家になる」というコラムが掲載されたはずである。掲載紙は、今週末に高砂の家に到着するだろう。池端編集長からは、サンプル本の一冊が、無事に手元に届いたことを知らせるメールが来ていた。
(その85)「晴れて作家になる:初めての私小説」
『北羽新報』2023年9月25日号
文・小川孔輔(法政大学名誉教授、作家)
筆者として初めての小説『わんすけ先生、消防団員になる。』が、小学館スクウェアから刊行されます。10月初旬から全国の大手書店に配本されるほか、ネット書店ではすでに9月初旬から予約販売がスタートしています。生涯52冊目の本は、ペンネームの小石川一輔で、世に問うことにしました。
直近の12年間で、3冊の企業物語を執筆しました。いずれもよく売れて、全国紙や雑誌でも取り上げられた作品です。『しまむらとヤオコー』(小学館、2011年)、『マクドナルド 失敗の本質』(東洋経済新報社、2015年)、『青いりんごの物語:ロック・フィールドのサラダ革命』(PHP研究所、2022年)の3篇です。
3つの作品の共通点は、経営者へのインタビューを通して、企業の栄枯盛衰を描いた物語だということです。いまだから言えるのですが、35歳で教授職に就いてから、『しまむらとヤオコー』を刊行するまでの25年間は、物書きになるための準備期間でした。
教授職のポストを得たとき、生涯をかけて本当にやりたいことを自問自答しました。皆さん驚かれるのですが、わたしは研究者になりたかったわけではありません。子供のころは内向的な性格でした。友達と遊んでいるより、本を読んでいるときの方が楽しかったのです。
中高生の時代は、本屋や図書館から持ち帰った文学書を、年間100冊ほど読んでいました。本が大好きな文学少年は、「いつかは小説家になりたい」という夢を抱いていました。大学教授になった後でも、この夢を片時も忘れることがありませんでした。
そうは言っても、憧れは夢のまま終わることがほとんどです。ところが、教授のポストを得た35歳の若者は、世間の常識から大きく外れた考えを持った人間でした。運よく教授になれたのだから、本来の目標である「小説家になる夢」を実現しようと考えました。
そこから仕事のスタイルを変えていきます。学会で研究報告する傍ら、経営者をインタビューすることに時間を費やしました。小売業やサービス業が研究分野でしたから、店舗や工場に出かけて行っては、現場で働く人たちにインタビューを続けました。大学教授であることが役に立ちました。取材の申し込みを断われられることが、一度もなかったからです。
つぎに、日本の経営学者として、最多の冊数を出版することを目標に掲げました。自分の身長の高さ(166センチ)まで自著を積み上げることが具体的な目標でした。6冊の翻訳書(中国・韓国・米国)を入れると、既刊58冊で本の高さは約130センチになりました。
読者の皆さんに、最後にお知らせです。生まれ故郷の地元書店に、今度の本を厚く配本していただけるよう、出版社にお願いしました。能代・山本地区の本屋さんには、これまで自分の本を積極的に配本することがありませんでした。ほぼすべてが専門書だったからです。
しかし、今度の小説はちがいます。『わんすけ先生、消防団員になる。』には、秋田の暮らしぶりや懐かしい風景が登場します。また、本連載でもおなじみの東京下町の商店や名所旧跡での地元の人たちとの交流が描かれています。今回の私小説の出版をきっかけに、来年には地元能代で講演会を企画しています。