5年ぶりの秩父夜祭だった。「木村縫製」の法被を着て、秩父の街中を歩いた。お祭りで規制されているどんな場所でも入って行ける特権。立派な中近の屋台(山車のことを、秩父地方では「屋台」と呼ぶ)が、6台の先陣を切って街中を練り歩く。一台の山車を引くのが約200名。わたしたち4人も員数に含まれているのだろう。
当日(12月3日)の屋台と花火の競演は、復活したばかりのインスタグラム(わんすけ先生(@wanwanwansuke) • Instagram写真と動画)にアップしてある。前回の写真より、屋台が美しく撮れていると思う。画像の花火は、宿の近くから偶然撮った動画が素晴らしい。花火の打上音と炸裂音が耳をつんざく。臨場感に溢れている。
最大の収穫は翌朝、秩父鉄道・秩父駅前の「夜祭記念館」に立ち寄ったことだった。夜祭の屋台は、祭りが終わると翌日には解体される。くぎを一本も使わずに屋台を組み立てる動画を、記念館で見ることができた。前夜は、法被を着ていたおかげで、複数の屋台をまじかに見ることができた。
前回は、秩父の人間でないのが法被を着て祭りに参加していることで、多少遠慮してしまった。屋台からはすこし離れて、祭りの運行状態を見ていた。今回は2回目になる。画像を撮れるくらい近くで、山車の方向転換の様子などを観察できた。仕組みは簡単である。テコの原理で屋台を持ちあげ、その下に回転用の「コマ」を潜り込ませるのだ。
屋台の下には、わずかな隙間しかない。「コマ」の仕掛けを設置するため、担当のおじさんが屋台の下に潜り込む。しかし、ちょっとでもタイミングをまちがうと、人間が潰されてしまいそうで怖い。山車は、けっこう微妙に組み立てられている。この仕掛けを、記念館のフィルムで再度確認することができた。勉強と同じで、祭りも復習は大切である(笑)。
翌日は、「美の山公園」の頂上(てっぺん)まで、木村君の車で昇っていった。お天気が快晴だったこともあって、頂上からの眺望は素晴らしかった。東西南北、この頂上からは遮るものが何もない。360度パノラマの眺望になる。
南は武甲山(石灰砂を切削するため30M標高が縮んだらしい)を背景に、斜面から秩父の市街地が広がっている。雁坂峠の向こう側は山梨県になる。つぎに移動した北側の展望台からは、北東の方向に赤城山が見えた。秩父の反対側は群馬県になる。
南の展望台から右側に見下せるのが、森田君が生まれた皆野町。小学校の遠足で、森田君は美の山公園のてっぺんまで、登山道を登らされたらしい。やや緩やかではあるが、登山道は距離が約4KM。小学生にとっては厳しい登り道である。皆野町の生徒は足が丈夫になりそうだ。
木村君と森田君は、地元民である。もうひとりの松尾さんは、家族の都合で先に都心に戻ることになった。
わたしだけが秩父駅から蒸気機関車に乗ることになった。当初は、西武池袋線でレッドアロー号に乗って池袋まで戻るつもりだった。ところが、お昼の時間帯に、名物の天ぷらそばを食べている間に、夏のころに同じメンバーで京亭に泊まった際のことを思いだした。秩父駅から寄居駅まで、一駅だけSLに乗った。
森田君がスマホで検索したら、秩父駅14時39分発・熊谷行きの「SL PALEO EXPRESS」が運行していることがわかった。早速予約を入れた。最後の2席のうちの一席だった。なんと!ラッキーな。列車に乗ってから知ったことだが、昨日の日曜日(12月4日)が、SLパレオ特急の運行が今年の最終日だった。
秩父駅で、2000円分の旅行クーポン券でお土産を買うことにした。前夜の宿で、1人1枚(1000円)を配ってくれたものだ。
駅の売店で、秩父名物の「豚の味噌漬け」と「しゃくしな」を買った。合計金額が2千円。釣銭なし。レジ担当の女子が、「おー、やったー」と喜んでくれた。
熊谷駅まで約1時間半のSLの旅。わたしはホームに入線して来る「パレオエキスプレス」の動画と汽笛を、スマホで録画・録音した。寄居に自家用車で戻る木村君は、先回りして蒸気機関車の動画を撮影してくれた。その画像を乗車中のわたしに転送してくれた。
5年ぶりの秩父夜祭と秩父観光、楽しい2日間だった。明後日からは、京都と広島に小旅行になる。