本日、70歳に到達しました。生まれたとき、母親が(病院にいた?)占い師のおばさんに、「この子は13歳までしか生きられない」と言われたそうです。7歳のときにヘルニアで入院しました。手術の失敗で、片方の睾丸が委縮してしまいました。いまでも肉体的なものへ拘りが強い性向は、そのときのトラウマからだと自己分析しています。
いまでもアトピーがひどいのですが、子供のころは湿疹の症状がとくに激しかったようです。頭がかゆくなり、汚い手で搔いてしまうので、いつも頭から血を流していました。
いまでもよく思い出します。珍田のサンばあさん(母方の祖母)から、秋田の日蔭温泉や玉川温泉の湯治場に、湿疹を治すために連れて行ってもらいました。サンばあさんは、ハクサイとネギとお米をもって、それに七輪を担いで、「ふけの湯」にわたしを連れて行ってくれました。
小さなころのわたしは、両親やともだちから、「こすけ」と呼ばれていました。「こうす」という呼び方は、私の名前(こうすけ)の短縮形です。
サンばばは、寝落ちる前の湯治場の暗がりの中で、呪文のようにわたしに囁くのでした。「こすけ、こすけ、いつか”ひとかどのもの”になるんだよ」。いまでもお風呂や温泉が大好きなのは、その頃のイニシエーションがあったからだと思います。
昨日、夏から取り掛かっていた伝記本が脱稿しました。誕生日(10月23日)の前に作業を終えたいと思っていました。いまは疲れが頂点に達しています。
なので、そろそろ温泉に行きたいと思っています。小諸の中棚荘か、新潟の里山十帖とか。自分へのご褒美を探しています。
昨夜は、古希を祝う前夜祭でした。元ゼミ生11人が、六本木のイタリアンKnock(ノック)で誕生会を企画してくれました。パーティーの様子とそのときに出された美味しい料理は、わたしのインスタグラムにアップされています。ノックで食事をするのは、はじめてでした。
わたしが経営学部でマーケティング論を教え始めた1981年(この年に父親の小川久がなくなっています)にできた、フランスボルドーのワインを松尾さんが探してきてくれました。その赤ワインで、70歳の誕生日を祝い乾杯しました。
10月20日が父親の命日にあたります。2日前だったのですが、このワインが仕込まれた年に父親が亡くなっていたわけです。父親の生まれ変わりのワインを、美味しくいただきました。
本ブログでも、秋田の地元新聞『北羽新報』(2021年10月19日後)でも宣言したように、大学教授からビジネス小説の作家に、穂来年度で転身します。ロック・フィールドの創業者、岩田弘三会長の伝記本は脱稿して、編集者の佐藤さんや本の装丁を引き受けてもらったデザイナーのおおうちおさむさんの手に渡ろうとしています。
まだ決まっていないのが、本のタイトルです。仮のものとしては、『ロック・フィールドのDNA』(中野案)と『中食革命』(PHP案)の二つがあります。どちらも、わたしはイマイチだと思っています。どなたか、斬新でキャッチーな書名を考えてみていただけないでしょうか?
本日は、誕生日につき、終日、休養日となります。夏からの「100日戦争」に勝利したので、カラダを休めることにします。