「わたしが花業界を選んだ理由」『JFMAニュース』(2021年8月20日号)

 最近になってさすがにその頻度は減ってきているが、「研究領域として花に興味をもたれたのはなぜですか?」という質問を、雑誌のインタビューなどでしばしば問われてきた。初対面の人に、「法政大学経営大学院教授」の名刺に続いて、2枚目の「JFMA会長」の肩書を示すと、興味津々で同じ質問を繰り返し受けることになる。

 

 素朴な疑問に対する答えを、わたしは二通り用意している。一番目の理由は、理論的に考えて花業界を選択したという説明である。二番目は、実際に起こった偶然が花業界にわたしを導いたという現実的な話である。質問者には、両方をバランスよく伝えることにしている。

 経営学者(マーケティング研究者)として、研究対象に花を選んだのは、単純に誰も花業界を研究していなかったからだった。周りを見渡した時に、もしかすると花産業の研究者として、日本一になれそうだった。うまくいけば、その分野で世界一の学者になることも夢ではないと感じたからでもある。

 それに加えて、花業界の規模が思いの他に大きかったことがあげられる。1990年当時で、植木や球根などを含むと、日本だけで花のマーケットは1兆2千億円の市場規模があった。しかも、バブル崩壊後も、世界的にも花産業はしばらくの間は成長していた。

 研究対象にするのであれば、「大きな池」を狙うのが常道である。そして池の中にはさまざまな魚が泳いでいた。  

 当時のわたしには、これほどの魅力的な業界は思いつかなかった。分析対象として、他の業界を捨てたわけではないが、完璧に花の魅力に憑りつかれてしまったわけである。

 二番目の説明に移ることにする。30代後半の若手研究者に、約30年前に何が起こったのか?最初のきっかけは、あるビジネスパーソンとの出会いだった。「ソフト化経済センター」(日下公人所長)という長銀系の研究機関があった。花業界に新規参入を考えている企業から、実務担当者が派遣されてきていた。わたしは、彼らの研究会にコーディネーターとして呼ばれていた。花についての知識はまったくなかった。

 その研究会で、当時、花事業に参入を考えていた「サントリー」でサフィニアの開発していた坂嵜潮氏と出会った。研究会には、「伊藤忠商事」で花の自販機していた上田裕子さんなどもいた。千葉大学の安藤敏夫先生や「大田花き」の磯村信夫社長を呼んでお話を伺ったりした。花業界のことが何もわからないから、そこで教わったことは貴重だった。

 実務的に影響を受けたのは、インパックの守重知量社長(当時)と守重さんのご兄弟だった。研究会の前後に、守重さんと施設園芸展のブースでお会いした。花束の結束機とスリーブを展示していた。オランダの技術だった。そこから海外の知人たちとの交流が始まった。日本各地の花の現場を歩き、世界各国を旅して花産業の実態に触れることになった。

 その後、インタビューや取材で知り合った花業界人と一緒に、JFMAを立ち上げた。2000年5月18日のことである。いまでも若いときの選択は間違っていなかったと思っている。

 花を媒介に多くの友人と知り合うことができた。いまでも皆さんとの交流が続いていることを幸せに感じている。花業界を研究対象にしていなければ、これほど多くの素晴らしい人たちと巡り合うことはなかっただろう。