コロナ環境の下での大学院教育、修士論文の出来栄えについて

 経営大学院の「最終プロジェクト発表会」(修士論文の最終面接に相当)が、本日から2日間、対面とオンラインで開催されている。いわゆるハイブリットでの対応になる。わたしは、腰と膝を痛めてオンラインでの参加となった。明日は、きっと回復するだろうから、出校するつもりでいる。

 

 さきほど初日の発表が終わったところである。以下は、まったくの個人的な見解である。他の先生はまた別の印象をもったかもしれないが、例年に比べて「プロジェクト報告書」(修士論文)の出来具合があまり芳しくない。低調な理由はふたつだと考える。問題は学生の方にあるのではなく、コロナ禍での教育のやり方にあったと思う。

 学生の側からすれば、研究・実践面での不利な環境下では、ある程度は致し方ないところが多々あった思う。だから、院生の努力を低く評価することはフェアではないと考える。本当は実力があったはずだし、平常時ならばもっと高いパフォーマンスを上げることができたはずだ。

 言い訳をすると、わたし自身も例年のようには院生たちを教育することができなかった。簡単にいえば、対面での指導やコミュニケーションが十分ではなかったと思う。それは、自分が直接指導を担当しているゼミ生だけではなく、一般の学生についても言えることだ。

 教室で教えることができれば、学生がわたしにフランクに質問することも、わたしから学生に問いかけることもできただろう。メールやLINEではそうはいかない。構えてしまうらからだ。この点については、ほんとうに申し訳なかったと思う。わたしたちは、教育サービスを提供する者としては失格である。

 しかし、学生たちの「卒業論文」の成果がなんとなくイマイチな感じがする一番の理由を挙げるとすれば、教員と学生との「コミュニケーションの容易さ」だろう。

 

 低い評価の理由をさらに考えてみた。教員とのコミュニケーション以上に大きい要因は、院生たちが満足の行く「相互学習」ができなかったからではないだろうか。たしかに、対面での授業でもディスカッションの時間はとっているが、オンラインでのブレークアウトルーム(zoomでのチーム分割)での討論には限界がある。横のつながりを作ったり雑談っぽい議論には向かないからだ。

 ゼミの指導では、同級生が自分のテーマ以外の課題に挑戦しているところに同席する。隣に座っている学生の話を聞くことが重要なのだ。それが自分の研究のヒントになる。先生の指摘や、同級生の対応そのものが学習プロセスに組み込まれているわけだ。これがリモートワークでは難しくなる。

 研究論文や事業報告書を作成するという「制度の枠組み」では、相互学習がキーポイントになる。現状のオンライン授業では、指導がかなり上手な先生でも、院生の質的向上には限界を感じているはずだ。リサーチの成果は、教育の途中プロセスと投入時間の充実度によって決まるからだ。

 

 というわけで、結論からいえば、「おー、なるほど!これはすごい!」という院生の発表には、初日は一件も遭遇しなかった。前年ではあるが、これが現実である。明日に期待したいが、それもちょっと無理のような予感がする。

 私の直観が外れてしまう幸運を祈りたい。残りの半分の学生さんへ。明日はわたしの予想を覆してほしい。