日本で「植物工場」(人工光型野菜栽培施設)は、欧米では「垂直農法(農業)」(Vertical Farming)と呼ばれています。本連載の23回目(下)では、ドイツなど欧米で勢力を拡大しはじめているベンチャー企業「Infarm(インファーム)」の日本事業を展望します。日本事業は、JR東日本との連携で来年早々にも始まることが決まっています。
「都市型垂直農業の進化系(下):インファーム・ジャパン」
『食品商業』2020年12月号(連載23回:「農と食のイノベーション」)
文・小川孔輔(法政大学経営大学院・教授)
<リード文>
連載の23回(11月号)では、欧州で急成長を遂げているInfarm(インファーム)の事業の仕組みを紹介しました。創業から7年で、ドイツ・ベルリン発の都市型垂直農業は現在、欧州の7か国(独仏英、ベルギー、ルクセンブルグ、スイス、デンマーク)に約250か所、北米でも都市農場(Indoor Urban Farm)を数か所開設しています。野菜を栽培する場所が、食品スーパーの売り場やレストランのホールであることがインファームの特徴です。(下)では、欧州事業の特徴と、来年早々に事業開始が予定されている日本でのビジネスの概要を紹介することにします。
<栽培品目の特性>
最初に、前回の記事で説明ができなかった欧州事業の現状を紹介します。また、インファームが提供する野菜供給システムの社会的意義を補足しておくことにします。
まずは、インファームが供給する野菜のカテゴリーについてです。都市型農業が提供できる野菜には特徴があります。現状で効率良く栽培できる品目は、4つのカテゴリーに分かれています。①ハーブ類、②葉物類(レタスなど)、③マイクログリーン(豆類のスプラウトなど)、④ミックス・リーフィー・グリーン(葉物野菜の混植)です。その他、インファームのHP(https://www.infarm.com/)を見ると、マッシュルームや小ぶりな根菜類なども品ぞろえとして準備されています。
基本的に、ダイコンやニンジン、ビート(カブ)やキャベツなどの重量野菜は、垂直農業には適していません。太陽光の方がエネルギー効率とスペース効果が優れているからです。また、LED などの人工光を利用する垂直農業では、重量当たりの販売単価が高いものでないと採算がとれないからです。
この点に関しては、岡山県笠岡市のSARA(連載18回)の事例でも、一定以上の販売単価を確保することがむずかしいコモディティ(トマトやナス)では、地価が安い田舎立地でも、事業的に採算をとることが難しいことを指摘しました。空間の利用効率を最大化するために、栽培ユニットを垂直に積み上げる都市型農場でも経済面の課題は共通です。
<欧米での事業展開と社会的な意義>
インファームの欧州での最大の取引先は、ドイツの有力スーパーのエディカです。また、創業から数年で、取引先は欧州域内の大手のスーパー(英国のマークス&スペンサー、ドイツのメトロなど)に広がっています。米国では、一昨年から大手のクローガーと取引が始まりました。カナダを含む北米事業でも、順次取引先が増えています。
食品スーパーとの取引形態は、従来の卸と小売の間では見られなかったユニークな特徴があります。それは、野菜の供給元のインファームが、栽培装置とディスプレイを兼ねた陳列什器(栽培ユニット)をスーパーの売り場に設置するからです。前回は、2段階の野菜供給の仕組み(陳列什器とハブ機能)を説明しました。そこからわかることは、スーパーやレストランに納品される野菜は、ハブと店舗で「一括して管理する必要性」があることです。
結果として、スーパーに供給される野菜は、通常の契約栽培よりもさらに踏み込んだ「複数年の買取契約」になります。ただし、約70種類の野菜(苗)は販売側に、栽培可能品目リストからセレクトしてもらうことになります。そうすることで、在庫ロス率が10%以下に抑えられているようです。一般に、野菜の露地栽培では、最終的に消費者の口に入るのは、6~7割程度と言われています。9割以上の成品率の高さは、インファームの供給システムの優位性でもあります。
販売価格については、欧州統一ではなく、地域ごとの差別価格が設定されています。欧州で最も地価が高いパリ市内で、例えばハーブ類は一鉢€1.99(約250円)で売られています。ところが、本社のあるベルリンでは、一鉢€1.29(約160円)の価格設定になっています。地価の高さに連動して野菜の価格が変動するわけですが、ある意味で、それは所得弾力性とも連動していることが分かります。
なお、インファームは、通常の野菜供給システムと比べて、自社のビジネスに5つの優位性(農業革命)があることを謳っています。すなわち、①使用する水を95%削減、②肥料(液肥)を75%削減、③化学合成された農薬の不使用(無農薬栽培)、④輸送コストを90%削減、⑤栽培空間を99%削減できることです。
<日本事業の展開>
2020年2月に、インファームは日本市場への進出を発表しました。もちろん日本はアジア事業の第一号です。日本上陸に際して、「インファーム・ジャパン(日本法人)」を設立しました。そして、代表には、ファンド運用や海外スタートアップの日本市場進出などを支援している「(株)ドリームビジョン」の代表取締役社長、平石郁生氏が就任しました。なお、シリアルアントレプレナーの平石氏は現在、「(株)マクロミル」に統合されたネット調査会社の草分け「(株)インタースコープ」の共同創業者のひとりです。
また、国内で最大のチルド物流ネットワークを持つ物流企業「(株)ムロオ」が、インファームに協力することが決まっています。ムロオ代表取締役社長の山下俊一郎氏は、平石氏が法政大学経営大学院(MBA)で客員教授を務めていた際の教え子です。同社が強みとする冷蔵温度帯のサプライチェーンが、インファームの国内事業の展開では、とりわけ施設配置と野菜の店舗デリバリー面で対応がしやすくなるとの判断からでした。
コロナの直前に、日本法人設立のセレモニーに出席したエレズ・ガロンスカCEOは、「食糧ロスの多さ、台風などの自然災害に見舞われサステイナブルな農業が難しいこと、農家の高齢化などの問題を抱える日本においては、半自動的に新鮮な野菜を届けられるインファームの進出は意義深い」とメディアとのインタビューで述べています。*1
来日直前には、事業提携先としてスーパーマーケットの「紀ノ国屋」がインファームの日本事業へ参画することが決まりました。また、紀ノ国屋の親会社である「JR東日本」が日本における新事業創造の一環として、ドイツ本社にJR東日本が直接出資することになりました。それは、インファームの国内事業にもビジネス的なシナジーを見出せると考えたからです。
<日本事業の課題>
メディアとのインタビューでガロンスカCEOが述べているように、「栽培する野菜の品揃えをローカライズすること」が必要になると思われます。国によって、かなり食文化が異ります。日本人は欧米人と異なり、ハーブ類の消費量は多くありません。その代わりに、水菜やパクチーなど和食やアジアで食される野菜を扱うことも考えなくてはいけません。
筆者の個人な意見ですが、和食の材料として利用される「つまもの」と呼ばれるシソやカイワレなども、日本での栽培品目の候補になるのではないでしょうか。新しい市場を開拓するという意味では、レストラン業態に対しては、エディブルフラワー(パンジーやキンギョソウ)やワサビなども有望な材料になるかもしれません。
インファーム・ジャパンにとってもうひとつのチャレンジは、欧州で生まれたビジネスモデルの日本への移植です。かつてのコンビニエンスストア(セブン-イレブン、ローソン)、外食チェーン(ファミレス、ファストフード)、エンタテインメントサービス業(TDR、USJ)、フィットネスクラブ(カーブス、メガロス)など、欧米で誕生したビジネスモデルを現地化するため、先達たちは苦難の道を歩んできました。
ほとんどの日本現地法人は、オリジナルの標準化モデルを壊して現地化したのちに成功を収めています。多くの企業が歩んできた再びの道を、インファーム・ジャパンも歩んで行くことになります。ただし、インファームの都市型垂直農業は、これまで日本人が誰も挑戦していない有望なビジネスでもあります。成功への見返りは極めて大きいように思います。
注*1:Masaru Ikeda「ベルリン発の都市農業ソリューション「Infarm」、JR東日本から資金調達し日本市場進出——スーパー「紀ノ国屋」で、屋内栽培の農作物を販売へ」(https://thebridge.jp/2020/02/infarm-japan-expansion)。