【シリーズ:農と食のイノベーション(第10回)】「”植物食”は一般に普及するだろうか?(下):植物食産業の振興が食糧自給率を高める」『食品商業』2019年5月号

 記念すべき連載10回目は、植物食の普及についての再論です。本日のネットデジタルマガジンの”NEWS PICKS”でも、「インポッシブル・フーズ」や「ビヨンド・ミーツ」「不二製油」など、植物由来の素材を用いたハンバーグ(大豆ミート)が取り上げられていました。この植物由来食材の新規産業は、ベンチャー企業家には目が離せない事業分野です。

 
「植物食は一般に普及するだろうか?(下):植物食産業の振興が食糧自給率を高める」
『食品商業』2019年5月号                     V2:20190328
 
 <リード文>
 (上)では、「ヴィーガン/ベジタリアン食の普及」を修士論文のテーマに取り上げた大学院生の研究成果を紹介しました。(下)では、植物食が環境保全と食糧資源の確保にもたらすプラスの効果と、植物食の供給サイドの現在をレポートしてみます。東京都内に限ると、日本でもヴィーガン食のレストランや供給者を見つけることが次第に容易になってきています。データ上は肉の消費量が増えていますが、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックをきっかけに、日本でも植物食が一般化する兆しが見えています。
1 肉食に変わった日本人
 精進料理に見られるように、和食には穀類や大豆、野菜など植物性の食材が多用されています。もともと日本人の食生活は、主食である米や雑穀類に大豆などの発酵食品を加えた、質素で低カロリーの食事が中心でした。一般に信じられているように、日本人の主たるタンパク源が魚介類だったわけではありません。植物食の分類(連載第9回の図表1)でいえば、100年前の日本人は、限りなくヴィーガンに近い「ペスコ・ベジタリアン」(魚介類は摂取するが肉を含まない食事」)だったのです。
 ところが、戦後GHQが政策的に導入した学校給食の制度と、1964年に開催された東京オリンピックが、日本人の食生活を洋風化させる画期になります。日本を旅行で訪問してくる欧米人のために、洋風のホテルとレストランが都内を中心に続々と建設されていきます。
 1970年にすかいらーく(ファミリーレストラン)が、1971年には日本マクドナルド(ファストフード)が、米国発の飲食業態として誕生します。そして、パンと牛乳、ハンバーグとステーキの洋食が日本人にとってポピュラーなメニューになっていきます。決定的だったのは、1991年の牛肉オレンジの輸入自由化でした。安価な牛肉が入手できるようになり、和食系の吉野家の牛丼がビジネスマンや若者のランチとして定着していきます。
 データを眺めてみましょう。一人当たりの肉の消費量は一日89.7グラム(2017年)で、20年前に比べて約18%増加しています(農水省、食糧需給表)。それに対して、魚介類は67.7グラムで35%の減少です。国内の畜産業は和牛など輸出増で潤っていますが、生産量が増えているわけではありません。需要が増加した肉の消費量は、安価な輸入牛肉で賄われています。
 一方で、経済成長が著しいアジアでは、肉類に対する需要が増加しています。輸入国間の調達競争でいつまでも安価な肉類を確保できる保障はありません。日本の食卓の将来は不透明です。「肉食偏重の食生活を見直して、日本の伝統的な植物食に回帰することを真剣に検討すべき」と筆者が考える根拠を示してみます。
 
2 肉消費は環境の負荷を高める
 研究者や政策担当者の間では、肉の消費量を減らすべきと考える4つの理由が知られています。
① 動物愛護(エシカルな観点)
② 食の安全と健康(肥満防止、アレルギー対策など)
③ 環境保全(環境負荷の低減、地球温暖化への意識)
④ 食料保障(人口爆発、代替エネルギーとタンパク源の確保)
 最初の理由は、ヴィーガン/ベジタリアンに転換したひとたちがしばしば挙げている点です。ただし、植物食を採用しているひとの多くが、エシカルな観点を理由としてあげているわけではありません。二番目の理由については、(上)で詳しく述べてあります。肥満やアレルギーの問題を抱えている現代人の多くが、健康上の課題解決のために植物食に転換しています(重松 2019)。
 三番目の理由には、温室効果ガスの排出による地球温暖化と水資源の確保の問題が含まれます。畜産業が環境にマイナスの影響を与えるのは、肉類のタンパク質変換効率が悪いからです。たとえば、肉牛の生産には穀物飼料が使用されています。結果として、牛肉1kgの生産に約2万トンの水が必要になります。飼料のトウモロコシ(スイートコーン5本)の生産に必要な水(434L)の約50倍に相当します。 豚肉や鶏肉は牛ほど極端ではありませんが、穀物や野菜に比べると約3倍の仮想水を使用しています(図表1 品目別の仮想水)。
   << 図表1 品目別のヴァーチャルウォーター(仮想水) >>
 同様に、牛肉1kg生産で約27kgのCO2が大気中に排出されます。比較のために穀物類を例にとると、米1kgを収穫するために、2.7kgの温室効果ガスが放出されます。これは牛肉の場合の10%です。トマト1kgの生産で放出されるCO2は、わずか1.1kgです(Euromonitor International)。
  
3 食料自給率を高めるため役割としての植物食
 データから明らかなのは、日本が肉類と穀物を海外から輸入していることで、実際には貴重な水資源を農業国から運んできていることです。農産物とその加工品は、エネルギーと水の塊です。農産物を海外から持ってくるために、大量のCO2を放出していることもわかります。そして、驚くべきことに、国内で使用している約2倍の水(ヴァーチャルウォーター)を、わが国は農産物の形で輸入しているのです。
 日本が食糧を海外に依存している限り、この実態は変わりません。2055年ごろには、世界の人口が100億人を突破すると予想されています。アジアやアフリカの国が経済力で先進国に追いついたとき、農産品を海外に依存し続けることは不可能になります。植物食への転換を考える上では、4番目の要因(食料保障)がもっとも深刻なのかもしれません。エネルギーベースの食料自給率(38%)を、50年前の50%に戻すための解決策が植物食なのです。植物食は、日本の農業と食品産業の構造を根本から変えてしまうかもしれません。
   
4 米国のフリーフロム食品市場は1兆円を超えている
 米国や欧州のオランダを中心に、植物食(Plant-based Foods)や肉代替品(Meat-substitutes、Meat-free Foods)の産業が勃興しつつあります。いまやハンバーガーのパテが、小麦や海藻から作られる時代になりました。マイクロソフトの創業者ビル・ゲーツは、マクドナルドの元CEOが経営している「インポッシブル・フーズ」に投資しています。米国では、植物食産業がフードビジネスのエコシステムとして完成しつつあります。
 日本の食品企業も密かに海外の植物食ビジネスに投資をしています。大塚製薬や三井物産は、米国の植物食関連企業を買収しています。連載第2回で取り上げた不二製油や相模屋食料は、製造技術特許を取得した大豆加工品(デザートとうふなど)を海外に売り込んでいます。
 最後に、植物食の市場が大きく成長しているデータを示しておきます。図表2は、「フリーフロム」(Free-from)と呼ばれる「乳と肉成分を含まない食品(植物食を含む)」への需要の推移です。米国のフリーフロム市場は約1兆円(約96億ドル、2017年)、年率5%で成長しています。日本の市場はまだ黎明期なのですが、それでも年率7%で伸びています。このままの勢いで、米国の後を追いかけていきそうです。
   << 図表2 フリーフロム食品の需要推移 >>