先週の土曜日(12月5日)、「(株)物語コーポレーション」の創業者、小林佳雄相談役特別顧問に経営大学院で特別講義をお願いしました。タイトルは、直前になってから「社員が辞めない、会社づくりに必死!自分づくりに必死!!」に変更になりました。さて、本連載では3回連続で、「(株)物語コーポレーション」になります。
「物語コーポレーション(上):ユニークな業態開発戦略」
『食品商業』2021年1月号(連載24回:「農と食のイノベーション」)
V5:202011024(*発表原稿は、この文章とは漢字などの表記が少し違っています。)
文・小川孔輔(法政大学経営大学院・教授)
<リード文>
本連載では今月号から3回に渡って、コロナ禍の中でも成長を遂げている「(株)物語コーポレーション」の異色のフードビジネスを取り上げます。創業者の小林佳雄氏(現、取締役特別顧問)の経営思想とビジネス手法はとてもユニークです。今月号(上)では、同社の創業からの歴史(業態ブランド開発史)を、(中)では、業態開発戦略とフランチャイズ経営の考え方を解説します。(下)では、人材育成と組織運営の方法を紹介します。
<物語が始まる:イノベーションの原点>
1949年12月、小林佳雄氏の母親きみゑ氏(以下敬称略)が、愛知県豊橋市広小路でおでん割烹「酒房源氏」を開いたのが「物語」のはじまりです。1969年9月に酒房源氏を株式会社化して、「(株)げんじ」を設立。1977年4月、慶應大学卒業後にフランス料理店で修業をしていた佳雄が豊橋に戻り、きみゑの仕事を手伝うようになります。
最初の転機が、1989年2月に訪れます。後継社長に就任した佳雄の発案で、豊橋市向山町にはじめての郊外ロードサイド大型店「しゃぶ&海鮮 源氏総本店」(450坪の敷地に150坪)をオープンします。
それまで豊橋市内の繁華街で業種の違う小さな飲食店(約10坪)を3店舗開いていました。それぞれ繁盛店でしたが、郊外の大型店で成功を収めたことが、小林の事業家としての成長への道標となります。それが、学生時代からの夢であったチェーン展開のきっかけを与えます。
勝ちパターンの発見について、小林自身がインタビューで次のように述べています。
「たとえば、しゃぶしゃぶにしろ、今でこそ大衆料理になりましたけど、昔は高級なイメージでしたよね。そのしゃぶしゃぶでも、郊外の大型店ならば普通の人が入ってくる。店舗を大きくするとマーケットが広がるという原則が、ものすごく大きな差別化になるということに気がつきました」(小林)。
<焼肉店でも、勝ちパターンの原理原則は変わらない>
2番目の成長への階段が、1995年12月に現れます。それは、新業態の焼肉店「焼肉一番カルビ」の出店です。一号店の曙店も、郊外のロードサイド立地への出店でした。
源氏総本店は単独店でしたが、今度はチェーン展開を念頭に置いての出店でした。店舗サイズは、96坪142席。当時の常識では、人口30万人の地方都市の郊外店としては大きすぎる規模でした。ところが、曙店は、年商4億円近くを売り上げます。連日、店の前に行列ができて、「焼肉一番カルビ伝説」が生まれます。
ちなみに、小林は1949年生まれで、(株)ファーストリテイリングの社長兼CEOの柳井正と同じ年です。小林の母・きみゑが豊橋市内でおでん割烹をはじめたころ、柳井の父・等は、山口県宇部市で洋服店「小郡商事」を経営していました。ユニクロの初期の成功は、息子の正が、山口の繁華街から飛び出して、広島市の郊外に大きな店を出したことがきっかけでした。大きな店に広い駐車場を完備し、セルフサービス方式でゆったり買い物ができることで集客に成功したからでした。小林が発見した勝ちパターンと似ています。
ところが、小林の商売には、柳井が志向した郊外大型店主義にオマケがつきます。それは、「明るく清 潔 できれいに見せる」という店舗デザインと店内の雰囲気づくりでした。骨董品収集が趣味の小林ならではの美的感覚へのこだわりからでした。
当時の焼肉店のイメージは、街中にあって和牛を出すうす汚れた店でした。1980年代に牛肉の輸入が自由化されて、米国産の牛肉を安く提供できる条件も整っていました。そこで、小林は非常識なくらいの大きな店を作って、「焼肉店は狭くて汚くて値段が高いもの」という常識を打ち壊そうと、店をきれいにし、看板や外装も目立つように工夫しました。
「店をきれいにするだけで、焼肉店の客にならなかった普通の人が入って来られるだろう」と小林は考えたのでした。焼肉に大きなマーケットがあることが証明されましたが、差別化の道具はわずかに二つ。「大きな店舗と清潔できれい」、これだけでした。
焼肉一番カルビの成功で、小林 は敵が多くいる大きなマーケットしか狙わないと心に決めます。それは、小林と母親のかつての失敗を教訓にしてのことでした。
「僕も先代の母も、他の人と同じようなことはいやなのです。となると、小さなマーケットを狙うしかなくなる。だから、2軒目はなかったり、成功そのものが難しくなる。けれど、大型店で郊外に出ればマーケットが広がるという原則を知って、差別化してもなお、大きなマーケットが狙え、多店化できると気が付いたのです」(小林)。
<マルチブランド業態の開発>
勝ちパターンの原理原則はどこでも変わらない。だから、焼肉に続く業種・業態を探すことになります。焼肉業態のあと、小林はわずか12年間で4つの新しい大型ブランドの開発に着手します。
2001年6月、安城市に「丸源ラーメン」の三河安城店をオープンします。郊外型ラーメン店の丸源ラーメンは、現在163店(FC91店)。標準店は、62坪102席。ラーメン店としては大型です。「肉そば」が人気メニュー。ラーメン業態は、2003年のBSE騒動で客離れのピンチに陥った焼肉業態の減収を補う役割を果たしました。
BSE騒動が一段落した2005年12月、「お好み焼本舗」(相模原店の業態転換)をオープンします。現在、お好み焼き本舗は31店(FC15店)。
2007年3月には、新業態の「焼肉きんぐ」(金沢市)をオープンします。テーブルオーダーバイキング方式の焼肉店で、「焼肉一番カルビ」からの業態転換店が多数を占めています。この業態は現在、国内で最大店舗数の252店(FC99店)を誇っています。大人は、食べ放題で定額2,680円、2,980円、3,980円の3つのコースから選択します。小学生が半額で就学前の幼児は無料、60歳以上のシニアは500円引きであることが人気の秘訣です。ファミリー層をがっちり取り込んで、同社の成功を大きくドライブした業態と言えます。
<株式公開で全国チェーンになる>
同社は1997年6月に「(株)物語コーポレーション」に社名を変更しています。それは、「田舎企業から脱皮して株式公開を目指す!」と小林が高らかに宣言したからでした。BSE騒動で株式公開は先延ばしになりましたが、2008年にジャスダックに上場。その後、東証二部(2010年)を経て東証一部(2011年)に指定替えになっています。
翌2012年6月には、4つ目の大型業態ブランドの「寿司・しゃぶしゃぶゆず庵」(多摩境店)をオープン。ゆず庵は、しゃぶしゃぶと寿司の食べ放題の店です。現在は78店(FC16店)。なお、同社は、メインとなる4つの業態の他に小さなブランドも多数展開しています(図表)。
2020年6月期で、グループ売上高は約900億円。国内529店舗(FC221店)、海外11店舗となっています。事業展開で特徴的なのは、ラーメン (客単価900円)、お好み焼き(同2,300円)、焼肉(3,000円)、寿司・しゃぶしゃぶ(3,000円)という複数のカテゴリーで、バランスよく業態を展開していることです。
業態開発の歴史を見ると、客単価の高いフォーマット(魚貝三昧げん屋:客単価8,000円、源氏総本店:客単価5,500円)から順次、階梯を下りてきたことがわかります。結果として、競争が激しいラーメン業態からニッチな高級割烹まで、ピラミッドの頂上から底辺まで、来店客の利用動機をフルカバーできています。また、外食の大きなカテゴリー市場を横断的にカバーしているのも特徴です。
筆者は、小林取締役特別顧問の縦方向(客単価)と横方向(カテゴリー)を全方位で取り込もうとする戦略を「階段式マルチブランド開発戦略」と密かに呼んでいます。
現状では、業種部門別順位は焼肉の2位が最高です。しかし、遅かれ早かれ、いまは5番手につけているラーメン業態などでも、同社がトップ企業になる予感がします。その理由を次回は解説してみたいと思います。
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図表 現在の店舗展開(郊外型レストラン529店舗の内訳)
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部門 業界順位 ブランド 店舗数
総店舗数 (直営店舗) (FC)
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焼肉 2位 焼肉きんぐ、焼肉一番カルビ、焼肉一番かるび、熟成焼肉肉源
252 153 99
ラーメン 5位 丸源ラーメン、二代目丸源、熟成醤油ラーメンきゃべとん
163 72 91
お好み焼き 4位 お好み焼本舗
31 16 15
寿司・しゃぶしゃぶ 4位 寿司・しゃぶしゃぶゆず庵
78 62 16
専門店 ― 魚貝三昧げん屋、しゃぶとかに源氏総本店、牛たん大好き焼肉はっぴぃ
5 5 0
海外店 ― 北海道蟹の岡田屋総本店、薪火焼肉源の屋総本店、焼肉王
11 ― ―
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出典:投資家向け会社案内(2020年6月)