GOTOキャンペーンの行方

 先週末は、神戸と京都に仕事で滞在していた。取材と打ち合わせを兼ねて、神戸と京都の家族と一か月ぶりに再会。往復の新幹線も、そこそこの乗車率だった。ただし、グリーン車が混んでいるのに、自由席はガラガラでだった。GOTOキャンペーンに東京が加わり、県境を跨いでの移動が自由になった開放感はある。

 

 一方で、およそ半分の人は、とくに年齢が高い層では、いまだに外出や外食の自粛が続いている。このところ、わたしも在宅の時間が増えているので、LINEメールでたくさんの友人とやり取りをしている。コロナ感染が拡大した3月からおよそ半年以上、ほとんど外出することがないひとたちが、日本人の都市住民の中に3割ほどいそうだ。

 先日も、亀戸餃子で学生たちに「食べ放題の会食」を主催した。行事に対する反応を聴いていると、わが行為に眉を顰める人が約10%ほどいた。コロナ対策は大切だが、自由を謳歌したい若者に対するサービスも難しそうだ。他方で、大学としては、対面授業をいつまでも始めないリスクが浮上してきている。

 個人的には、GOTOキャンペーンには無駄な面もあると感じるが、永遠の自粛モードもいかがなものかと考えている。10月に入ってとくに、廃業する老舗飲食店が増えている。コロナがなくとも店主が高齢化しているので、廃業は仕方がないことだったのかもしれないが。

 

 奈良在住の知人や富山に仕事で行った元院生からの情報によれば、奈良や富山は京都ほどには観光客が増えていないようだ。わたしたちが見た京都の賑わいは、まだ例外的な現象なのかもしれない。人口30~50万人規模の地方都市には、GOTOの恩恵は広がっているように見えない。

 東海道新幹線も、出発時間によってはがらがらだったようだ。復路は自由席の一号車に乗った。京都から名古屋まではそこそこの乗車率だったが、名古屋を過ぎたら乗客はわずか三人になった。新横浜で一人が下りたので、自由席に座っているのは、わたしともう一人の男性客だけになった。

 厳密にいえば、京都水族館で購入した「オオサンショウウオの抱き枕」が隣に座っていたので、無賃乗客がひとりいたわけだ。時間によっては、新幹線もそれほど乗客が増えているわけでもなさそうだ。このままの状態が年末まで続くことになるのだろうか?

 

 一度、家の中に引っ込んでしまった老人たちは、なかなか街に出てくることは難しそうだ。コロナの感染が完全に収束するまでは、さらに半年以上は時間が必要そうだからだ。むかしのように、都市に賑わいが戻ってくるまでは長い時間がかかりそうだ。

 家族や友人たちとの楽しみは、まだ遠くにありそうだ。GOTOキャンペーンを非難するメディアの報道は減ったとはいえ、どこか外出を批判する潜在的な勢力が存在してはいる。コロナは、人間同士が接触したり、ダイレクトなコミュニケーションをとることを禁じている。

 この先、社会がどのように変化することになるのか。中国からのウイルス拡散で、人類は未知の生活領域に足を突っ込んでしまった。