コロナが収束しない場合、新学期の授業は5月連休明けになりそうだ。時間を空費するのは大いなる無駄。ゼミ生にはオンライン会議システム(zoomあるいはteams)でゼミを実施することを提案している。2つのソフトは、すでに在宅勤務者用に多数の企業の会議体で採用されている。
オンラインゼミのスタジオは、葛飾区高砂にあるわが家の小上がりの部屋にしたい。一週間以内にWEBカメラを設置して、授業を再開する予定でいる。間に合わない場合は、翌週(4月15日)からのスタートになる。大
学のアナウンスでは、いまのところ新年度の開始が4月21日になっている。しかし、おそらく法政大学の授業開始は5月の連休明けになるだろう。理科大や早稲田は、そのようになっているからだ。
実験がある理科系の授業はさておき、文系は教室で授業を受ける必然性はないだろう。コロナの蔓延を心配するくらいならば、わたしはこの部屋から「マーケティング論」の授業を提供していいと思っている。勝手に授業を再開したら、大学には怒られるだろうか? いや、そんなことはないだろう。民間のオンライン授業ソフトが充実しているわけだから、プレゼミの形でボランタリーに授業をはじめることに問題はないはずだ。
ここまで提案内容を考えてみたところで、以前から計画していた案が実現できそうなことに気づいた。わたしのゼミ生なら知っていると思うが、20年ほど前から、「今世紀の前半までに、現在の大学という社会制度がなくだろう」という予言をしている。その解決法(代替的な制度)が、コロナ禍の中で明らかになった。
オンライン授業の先にあるのは、本当の意味で開かれた大学・大学院の創設である。わたしが今回オンラインで、マーケティング論の授業とゼミを始めるとすると、大学の教室は必要ではなくなる。採点などの問題はあるが、WEBテストも実行は可能だ。そもそもカメラで学生の態度もキチンと監視・記録ができる。
いまは授業中に眠っている学生をきちんとチェックができない。教師にはふたつしか目がないからだ。WEBならば生徒の数だけ記録用のカメラがある。オンライン教室システムは、監視カメラで映像記録を残せば問題はなくなる。質問と返答もこちらでデータとして記録ができる。そして、わが妄想はさらに果てしなく広がっていく。
行き着いたところは、つぎのようなスキームである。とくに文系の大学院などは、私立でも公立でもない「個立」で十分だという結論である。わたしのような大学人にとって、大学はこれまで土地と建物など設備のために必要だった。物理的な教室や事務の支援がないと組織が運営できなかったからだ。
しかし、いまやオンラインで授業ができる。それなら、「個人設立」(個立)の大学・大学院でよいのではないだろうか。とくに、経営大学院などは資格も重要なのだが、もっと大切なのは教育の中身とその結果である。知識そのものを軽視するわけではないが、ビジネスに求められるのは情報を活用した経営の成果である。
それなら、「私塾」で十分という結論に至った。福沢諭吉の時代に戻ればよいのだ。そのためのITツールはそろっている。経営大学院は効率が悪いと言われている。日本の経営大学院で黒字のところはどこにもない。でも、社会的には必要な組織である。結局は経営効率の問題である。
イノベーションのタネがそこに見つかった。文部科学省に進言して、個立の経営大学院を認可してもらおうではないか?だめならば、個人で勝手にはじめてしまえばいいではないか。わたしの家が、オンライン経営大学院のスタジオになるのだ。事務員もオンラインで雇えばいい。
アシスタントは、パートタイムで働く卒業生さんたち。コンテンツは、そのへんに転がっている。再利用や再編集するだけだ。フィールドワークも、動画やパワポを使えばよい。その他の一般コンテンツは、その辺のウエブに載っている。教育ツールは、クラウドで十分だ。そうだ!わたしがやるべき引退後の仕事が見つかったわけだ。
「個立」のオンライン経営大学院を設立して、社会貢献事業として運営することだ。正直に言ってしまうと、大学教授としての最後の10年間は、何かを成し遂げようとするとあまりに学内政治に多くの時間がとられた。時間と努力を無駄と感じたので、大学では理事も総長も目指さなかったた。
しかし、こんなに自由に教育環境が整ってきたのなら、大学院を設立する個人的な動機はある。カジュアルに大学の制度を設計できそうだからだ。なんとも、瓢箪から駒だ。行くべき方向がはっきりしてきた。オンラインゼミの発想とコロナのおかげで、時間をたっぷりいただけたからだ。