今年は、人生の先輩たちに別れを告げる場面が増えた。昨日も、元埼玉短期大学の秋谷重男先生の義弟(青野壽彦氏)という方から、秋谷先生の逝去を知らせる葉書が届いた。「残暑お見舞い申し上げます 義弟が去る8月21日に、持病の肝臓疾患のため、88歳の生涯を閉じました」
先生とお会いしたきっかけが何だったのか、実はよく覚えていない。東大の経済学部卒業生で、マーケティングや流通を専門にしている学者はめずらしかった。わたしも「珍しい存在」のひとりだったから、研究会かセミナーでお会いしたのだろうと思う。駒場(教養学部)の林周二先生(統計学)か、本郷(経済学部)で講師をしていた大澤豊先生(大阪大学)の紹介だったのかも知れない。
秋谷先生は、水産物(鮮魚)の流通の専門家だった。大きく影響を受けたのは、先生のつぎの言葉だった。「学者として成功するには、特別な専門領域を持つことですよ」。
たしかに先輩たちを見渡すと、衣料品や青果物、演劇や絵画のプロフェッショナルが多い。たとえば、慶応大学ビジネススクールの和田充夫先生などは、宝塚歌劇団や劇団四季の専門家で、実に趣味的な取り組みをしていた。関西の先生たちも、趣味を超えてご自分の生息領域の研究をしている方が多かった。
そんなわけで、30歳代の中ごろから、意識的に花き産業を研究領域として選ぶことにした。ある意味で、どのようなカテゴリーでもよかったのだが、直感的にわたしの好みにもピッタリだと思った。
具体的には、柳沼寿さん(元法政大学経営学部教授)に、ソフト化経済センター(花の産業研究会のコーディネーター)を紹介されたことがきっかけだった。しかし、秋谷先生の一言がなければ、あえて「花」を研究対象に選ぶことはなかっただろう。世界的にみても、研究者が誰も取り組んでいないカテゴリーだったからだ。
秋谷先生には、その後も花に関わらず新刊が出るたびに、著書を送っていた。年賀状も欠かさずに送付していた。なぜだか、親戚のおじさんか父親に近況を知らせる気持ちで、文章を書いていた。返信をいただくこともあり、秋谷先生はわたしの仕事の成果をとても喜んでくださった。
ところが、数年前に奥様をなくされ、先生はひとりになられた。子供さんがいらっしゃらないことは知っていた。その後を心配していたが、昨年からは老人ホームから葉書が届くようになった。文面から、健康状態も思わしくない様子が伝わってきていた。
先生が逝去したことを知らせる葉書が届いて、寂しい思いがこみあがる。4月に実母を事故で亡くしている。その後は、大先輩の元同僚、遠田先生や鬼塚先生が亡くなられた。花の業界でも、チェンマイに移住した斉藤正二さんが、タイの現地で生涯を終えている。
尊敬する先輩たちに別れを告げられると、わたし自身の最後を考えてしまう。必死に生きてきたつもりだが、なんとはなしに空しい気持ちになる。これからも、たくさんの「さようなら」を言わなければならないのだろう。
秋谷先生、長い間、ご苦労様でした。多くの教えと励まし、ありがとうございました。永遠に、ゆるりとお休みください。