異業種合同ブランド「WiLL」、誕生20周年記念パーティー@田町

 友人の豊田剛さん(神奈川トヨタ)から、一か月ほど前に招待状をいただきました。1999年8月2日に誕生した異業種コラボブランド「WiLL」の生誕20周年記念パーティーへのお誘いでした。もちろん参加は快諾でした。

 

 このチャンスを逃すと、二度とWiLL関係者には会えないのでは?と思ったからです。

 ある年代以上の方ならば、きっとご存知と思いますが、異業種提携ブランド「WiLL」。一世を風靡したWiLL現象は、ウイキペディアにも載っていました。知らない若い方のために、ご参考まで引用します。

 

 <異業種合同ブランド:WiLL>

 WiLL(ウィル)は、1999年8月2日から2004年7月にかけて行われた日本の異業種による合同プロジェクト名である。商品の全てが「WiLL」のブランド名とオレンジ色のロゴで統一されていた。

 このプロジェクトは花王、トヨタ自動車、アサヒビール、松下電器産業(現パナソニック)、近畿日本ツーリストの5社で開始され、その後2000年3月にコクヨ、同年6月に江崎グリコが参入した(その後、アサヒビール・花王は2002年7月にプロジェクトを脱退)。
 2004年7月30日にプロジェクトの公式サイトは閉鎖され、大多数の企業はプロジェクトを中止した。しかし、その後もコクヨや近畿日本ツーリストは引き続き同ブランド名を用いた商品またはサービスを提供していく意向を表明したものの、2019年7月現在ではコクヨ1社のみが本ブランドの商品を販売している。
 <プロジェクトの内容>
 プロジェクトの特徴は、20代から30代を中心とする「ニュージェネレーション層」をそのターゲットとしたことである。この購買層は「自分らしさ」「こだわり」を意識し、他の世代とは異なった消費行動を示すと想定され、それに合わせた商品開発、およびマーケティング手法の模索から生まれたのがWiLLであった。いわば、マーケティングの合同実験である。
 WiLLという名称には生産者(企業)から明確な主張(意志=will)を発信し、それを生活者と共感することによって新たな市場、生活・消費の様式を生み出していくという意味が込められている。このことを“遊びゴコロと本物感”というフレーズにより表現していた。
 具体的には、個性を尊重するためのカスタマイズサービス(例えば、自分の好きな色を選べる電化製品など)や、白を基調として清潔感をアピールした商品が開発され、特にデザインの面において従来品とは一線を画す画期的な発想を見せた。しかしその反面、奇抜すぎるデザインが実用性に欠けるという指摘もあった。
 背景には2000年代頃から小売店頭などにおける異業種交流(コラボレーション)の流行があり、野菜売場の側にカレールーを置く、牛乳売場の横にシリアルを置く、コーヒーショップでラテン系音楽CDを販売するなどといった店頭企画が注目されていたことがある。WiLLの発起人はトヨタの社内部署「VVC(ヴァーチャル・ベンチャー・カンパニー」で、トヨタ社内から30名ほどの若手社員を社内応募であつめて立ち上げたブランドである。しかしWiLLの商標そのものは参加各社が保有するほか、広告宣伝も各社が独自におこなうなど、企画当初から参加各社の独自性を尊重した(求心力のない)ものであった。
 以上の記録がネットに残っています。わたしもこのプロジェクトに関わっていたことは、「WiLL白書」(2004年)に残されています。そんなわけで、田町のシンガポール料理店で行われた「生誕20周年パーティー」にお呼ばれしたわけです。そして、冒頭で乾杯の挨拶することになりました。
 わたしはその席で、だいたいつぎのような挨拶をしたように思います。少し言葉を加えています。
  * * *
 最初にあいさつした豊田(剛)さんが、WiLLプロジェクトのQB(クオーターバック)だとしたら、わたしは、アドバイザー(後見人)だったと思います。そのために、本日この場に呼ばれています。
 なお、個人として、WiLLブランドに関係したのは、トヨタ自動車のVVC(三権茶屋に本社を構えていた)から発売された二番目の車(WiLL VS)の製品評価を、当時のゼミ生に担当させたことです。あのときは、学習院大学の青木幸弘ゼミと一緒でした。
 
 ところで、本日(8月2日)は、長男(由)の誕生日です。今日で38歳になった長男は、WiLLが誕生した1999年8月2日に18歳で高校三年生。千葉県県立船橋高校のバスケット部で、県大会ベスト8まで進みました。もうひとり、その日に30歳の誕生日を迎えた女性がいます。元大学院生で現在サントリー国際ワイン部長の松尾英理子さん。20年後の本日、50歳を迎えるのです。
 三番目がWiLLの誕生だったわけです。1999年は、バブル崩壊から10年。異業者コラボ企画に参加した7社(5社)は、すべて業界一位でしたが、社員の間でビジネス的には閉塞感が漂っていました。ターゲットでいえば、NG(ニュージェネレーション)と呼ばれた20代~30代にかけての若者層にあまり受けがよろしくないブランド群をもっていました。
 そこを突破するために立ち上がったのが、異業種合同ブランドのWiLLでした。立ち上げの経緯と社会的な意義は、プロジェクト解散から5年後に書いた拙著『マネジメントテキスト マーケティング入門』(日本経済新聞出版社、2009年)の二カ社で紹介されています。歴史の証言として残しておきました。
 
 WiLLの時代を振り返ってみると、あのころ一時代をつくったブランドは、ユニクロと無印でした。ユニクロは、1999年にフリースブームで大ブレイク。それに対して、90代に好調だったとMUJIはユニクロに押されてその後大苦戦していました。
 WiLLのブランド特性は、カテゴリー横断的な共通ブランドをつくろうとしていたわけで、MUJIにもっとも近いポジションだったと思います。全方位を目指したユニクロと違って、ターゲットも団塊ジュニア、つまりNGだったわけです。皮肉なことに、ディスカウント旋風が吹き荒れていたの時代の勝者は、ユニクロやダイソー、ニトリだったわけです。
 松井忠三氏が良品計画の会長に就任したあたりから、無印良品は復活を遂げます。再チャレンジで海外展開も成功し始めています。なので、リーマンショック後の2010年くらいにWiLLブラドが立ち上がっていれば、結果は違ってしたかもしれないのです。コラボブランド走りだっただけではなく、MUJIのようなライフスタイルブランドになりえたのかもしれないのでした。
 のちにMUJIが日産と提携して自動車をつくったり、住宅をつくったりします。キャンプ場からいまはホテルに参入していますが、その走りがWiLLだったのだと思います。SNS手法が登場する前でしたから、WiLLの消費者への拡散手法などはやや早すぎたことになります。アマゾンや楽天と同時に成長するタイミングより、これも5年くらい早かったことがわかります。
 最後にまとめます。ビジネスの成果は、どこに戻っていくでしょうか?社会と会社と個人に、その成果は残されます。
 時代を画期するようなイノベーションや新しい取り組みは、特定の一社ではなく社会的な遺産になります。WiLLのレガシーは、異業種コラボレーションとターゲティングでした。そして、組織横断的な事業運営という手法でした。いまもっとも輝いている協業=共創の考え方です。
 会社としては、たとえば、VVC(トヨタ自動車)は、のちに誕生する複数の車種に新しい開発基盤を提供しています。いまだに商品としてWiLLブランドが残っている江崎グリコでは、WiLLブランドが「オフィスグリコ」を生み出しています。アサヒビールの白い缶の中身は、いまならもっと売れているはずのクラフトビールでした。
 すべてがややフライング気味のブランドでした。しかし、WiLLの成果は、ブランドづくりに参画してくれた個人にも残っています。企業人としてのその後の歩みに、このプロジェクトの経験は大いに役立っているのではないでしょうか?また、10年後にお会いしましょう。