古塚社長のインタビュー(2019年4月26日@東京オフィス)では、若いころに意外な経験をしていることに驚きました。大学は工学部なのに!たくさんのアルバイトを体験しています。実験が中心の理工学部の学生は、ふつうはそんな多種多様なアルバイトができるはずがないと思うのですが、古塚社長はちがっていました。
<学生時代から就社まで>
たとえば、高校時代には、西宮球場や甲子園で販売のアルバイト。大学時代は、フードコートでソフトクリームの販売。フッジコで昆布製品の生産、雪印で定番アイスクリームケーキの製造販売など。極めつけは、途上国向けの中古飛行機の磨き洗浄アルバイトを空港で経験していました。そんなアルバイト体験が、食に関連して人と接する仕事を選ばせたのだそうです。
1987年に、大学の就職課長の紹介でロック・フィールド(以下、RFと略記)に就職。専門は電子工学でしたが、現場で生産に関わりたいと工場勤務を志願しています。そのような事情から、入社から3年間は神戸ファクトリーでサラダの製造に携わっていました。大手メーカーは単品大量生産するのに、RFでは一人で一つずつ完成させるイメージでした。
今の生のサラダとはちがって、野菜もすべて煮沸していました。1年目は加熱処理、3年目で仕上げ工程に。現場作業では、ポテトサラダを1.5kgの袋に詰めて店舗へ配送していて、ラップでくるんだサラダもなかったそうです。しかし、製造現場での経験が、のちにRF独自の「ミールキット」の開発と進化を生み出すことになります。
<静岡工場に配属>
1991年静岡ファクトリー(以下、静岡FCと略記)の立ち上げから、サラダの生産ラインを担当。生産プロセス、工程管理の設計、流す順番など課題解決に汗を流しています。サラダの生産ラインは当時25~30名が担当。1991年静岡FC稼働時は、売上高100億円。その頃の会社の雰囲気は、年々店舗数が増えていくので、どのように生産供給していくかが課題でした。
一方で、神戸コロッケの大ヒット(1989年)。新しい商品は、売場からの要望で工場内で開発を進めていましたが、のちに神戸に開発機能が移管されます。古塚さんは、1998年に第2棟の工場設計に関わるよう辞令を受けます。2000年4月に第2棟が竣工しますが、ここで建築家の安藤忠雄さんと建物設計に関わることになります。
静岡FC全体の運営に関わることに。カットのサラダが一気に広がっていく中で、フランスやイタリアなど海外のサラダ工場を視察します。古塚さんを中心に、製造チームが野菜の鮮度を安定維持する方法を検討しはじめます。
フランスでは、ロメインレタスやカットされたリーフ系のサラダが市場に出回っていた。RFとしてスモールバージョンのコンベアシステムを導入することになる。ただし、メーカーの設備を参考にはしたが、基本的にエンジニアリングは自前で対応している。フランスの工場を視察して、処理工程ごと(野菜の洗浄、タマネギのカットなど)にカットの仕方を検討。
たとえば、同じダイズ状でも、鋭利に角が出るか出ないかで食感が違ってくる。それぞれのメーカーの特徴をテストしながら、それに合ったカッティングマシンを導入していった。こうした細かな取り組みが結果として鮮度のアップにつながっていった。
<ロック・フィールドのサラダの独自性>
Q:小川
RFのサラダの強みは、どこにあると考えますか?
A :古塚さん
まずは美しく見えることです。そして、食感が違うこと。どのカッターでどの方向にカットするのかを工夫しています。カットのやり方はいろいろありますが、野菜の細胞をつぶしてしまうと、せっかくの野菜の旨味の水分が逃げてしまいます。食感は、洗浄の仕方、脱水の仕方、温度管理などでちがってきます。そうしたノウハウが、今ではオリジナリティ(財産)として静岡FCの中にあります。
レタスなどカット野菜については、いろいろな文献はありましたが、それらは大量生産が前提の技術でした。多品種で少量の野菜を処理するために、脱水の仕方、(水切りの)回転速度、脱水の回数、インバーターの活用などについて検討を繰り返してきました。その積み重ねとして、RFのサラダの現在があるのだと思います。
温度管理も一気に冷却するのではなく、少しずつ工程ごとに下げていくとか。こうしたことも大切なノウハウになります。言葉を変えていえば、わたしは、「野菜は“生もの”ではなくて、“生き物(いきもの)”だと考えています」。この日で一番に印象的なお答えでした。
生産者との取り組みやその関与の仕方を教えてください。
A :古塚さん
野菜など素材の調達では、生産者と関係つくりに当初から関与してきました。とくに情報をフィードバックできる体制を作るようにしてきました。原料からキチンと見た方が、素材の状態がよくわかります。そのためなのですが、加工したものではなく、農産物を原体で納品していただくことにしています。(*注:加工されてしまったモノでは、農場の品質が把握できない。)
以前は、卸市場からの調達が前提でした。市場調達ですから、状態が悪いものがあっても仕方がない場合もありました。それを生産者の元に通って、栽培や収穫、保管の仕方まで共同化していったことで、安定的に良い素材が調達できるように変わりました。生産者さんにとっても、そのほうが良いことが多いことを理解していただきました。
神戸FC時代に、外部で皮むきをさせていたものを内作化することにしました。そうなってからは原体の状況はよくわかるようになりました。鮮度もアップできています。じゃがいもからはじめて、ごぼう、タマネギも内作化しています。人のいやがることをせずして、鮮度や品質はよくなりません。
農家さんとの取り組みが変わったので、社内の体制も変わったのですか?
A :古塚さん
わたしが会社に入った1988年頃も調達スタッフはいました。しかし、昔はオールマイティな人材が調達には求められていました。当初は、カテゴリーごとの専門スタッフはいなかったのです。今はカテゴリーごとに専門家を育成するようにしています。
とくに農産などは1年単位ではなく、3年計画でないと生産者との共同作業はできないです。わたしの知る限り、そこまで調達にこだわっている食品メーカーはないと思います。レタスからサニーレタスが登場し、さらにリーフ系も多種多様な品種・品目があらわれてきています。キノコ類もはじめはシイタケだけだった時代から、シメジ、エリンギと拡がってきています。商品の開発者も自ら産地に通わないと良い素材は調達できないです。
わたしは、花きの視察(花きの協会長として)でオランダに度々行くことがあります。オランダは野菜大国ですが、作りやすく加工しやすいものを生産しています。欧州全般に言えるのですが、硬くて美味しくない野菜が多いです。それは、味覚より生産性や輸送性を優先させているからだと理解しています。
日本の特徴は四季があることです。日本人が好む野菜は、旬とみずみずしさに特徴があります。採算性や効率をやや犠牲にしていますが、RFのサラダも原則として、日本人の食の好みを前提にしているようです。
RFの特徴は、年6回の旬を活かした商品提案をしているところです。おそらく海外の企業にはできないだろうと思います。