【柴又日誌】 #8:東京の下町に、こんな豊かな自然が残されていたなんて

 年が明けてから、ジョギングの途中で撮影した写真を、line仲間や友人・知人たちに送っている。河川敷の土手からスカイツリーに落ちていく夕陽、水元公園のメタセコイアの林、水辺に浮かんでいる鳥たちを撮った写真だ。画像を見た友人たちからは、「えっ、ほんとですか。これが東京?」と驚きの言葉が返ってくる。

 

わたしから送られた風景写真をアルバムにしてくれた元中学校の同級生がいたり、木漏れ日の杜の写真を待ち受けの画面に採用してくれた元ゼミ生もいる。インスタグラマーにスカウトされかけている、自称「アマチュア写真家」としては、ほめてもらえて誇らしいのだが、そもそも東京都内にこんなにすばらしい自然が残されていることが奇跡のようなものだと思っている。

 実は移住先を探すのでもっと重視したのは、マラソンの練習コースが確保できることだった。信号に捕まらずに3KM~4KMを連続して走れることが絶対的な条件だった。そして、できれば自然環境に恵まれた公園や水辺をゆったりと走れること。このふたつの条件を満たす場所を探すのは、案外と難しかった。

 

 2年前に、ジョギング仲間と水元公園を練習で走ったことがあった。静かな水辺とこんもりと茂った森があって、ジョギングコースとしては快適だった。公園の外周は5KMくらい。もちろん、信号で走りが中断されることもない。中央広場や公園の入り口を起点に、複数のジョギングコースが選択できた。休憩施設や売店も完備している。

 水元公園は、最寄り駅が常磐線の金町駅になる。ただし、毎日の通勤を考えると駅から遠いことが難点だった。金町駅まではバス便か、自分で自転車をこぐしかないだろう。雨の日は通勤が大変そうだ。そんなわけで、結構仕事が忙しいわが家にとって、水元公園周辺の住宅地は、住む場所としては最初から選択肢に上らなかった。

 ところが、葛飾区高砂8丁目に土地が見つかったとき、わたしの脳裏を最初によぎったのは、「水元公園まで走って何分でいけるだろうか?」だった。

 新居の候補地から柴又帝釈天までは1.2KM、歩いて15分ほど。走れば6~7分。河川敷に出て土手伝いにうまく道を選べば、水元公園の入り口までは3KM。高砂から水元公園までは、距離にして約4.5KM、30分以内で到達できる。長い距離を走れるコースが確保できる。気持ちよく走れるコースが近くにあるという要因は、移住先を選ぶ条件として決定的だった。

 江戸川の土手はフラットで、やや風が強いことをのぞけば、ランナーにとっては天国のようなものだ。水元公園にも近い。孫と暮らすことになるのだから、江戸川の河川敷や水元公園の広場で、正月には凧揚げができる。移住後の生活プランが明確にイメージできた。 

 

 新居に移って落ち着いてきた12月初旬から、想定していた通りに、江戸川の土手を走ることが習慣になっている。年が明けてからは、元旦が4KM、2日が5KM、3日は11KM。4日が18KM、昨日(5日)はペースダウンで6KM。例年、箱根駅伝の選手に刺激されて、2日間だけは長い距離を走ろうとするのだが、これが一週間と長続きしない。

 ところが、今年は5日まで合計44KM。二日と三日の「駅伝ブーム」が終わっても、毎日のように走れている。夕方になると風が冷たくなるが、犬の散歩やジョギング仲間が多数いるので、モチベーションアップには心強い。

 長い距離を走れているのは、身内の男子二人(長男の由と次男の真継)がマラソンに復帰しているからである。長男の家族4人が、暮れから正月にかけて、仕事を兼ねて神戸からわが家に泊まりにきていた。長男の由は、昨年末から自宅のマンション(アイランドセンター)から会社(南魚崎)まで通勤ランをしているらしい。高砂滞在中にも、毎日の早朝6時ごろに起きだして、江戸川の土手まで走って帰ってきていた。

 帰省する前日の2日には、対岸の矢切の渡し(松戸市)まで走ってきて、夕陽がきれいに見えるスポットを発見してきた。北総開発鉄道が江戸川を渡る鉄橋の先、里見公園(市川市)の土手近くで、東京スカイツリーと富士山が重なる場所があった。富士山を背景に、スカイツリーの上に落ちていく夕陽の写真を家族lineにアップしていた。

 そのついでに、翌日の日の入り(16時37分)を調べて、わざわざその時刻を東海道新幹線の中からわたしに報告してくれた。わたしは、帝釈天わきの土手まで走って、スカイツリーに落ちていく夕陽を違う角度からシュートしてみた。その画像をインスタグラムにアップしたり、友人たちに送信したわけである。

 

 一昨日(1月4日)は、電動アシスト自転車を買いに、金町駅近くの国道6号線まで走った。グーグルで検索すると、自宅から一番近くにある自転車店が、「サイクルベースあさひ葛飾金町店」だった。

 「先生、新築のお祝いに、何か欲しいものはありますか?」と学部ゼミ9期生たちに問われていた。小川研究室の元秘書、福尾美貴子さんが代表して質問のメールをくれたのだった。わたしは迷わず「電動自転車」と答えたのだが、現物を買えないまま年を越してしまっている。祝い金はもらったままになっている。これはさすがにまずい(*どの自転車にするのがまだ決まっていない)。

 亀有で銀行振込の用事を済ませて、文字通り「その足で」水元公園まで足を延ばした。亀有から水元公園に向かう途中の走路で、偶然にも「中川公園」を見つけた。ランナーであることの醍醐味は、こんなところにもある。街中を走っていると、新しい発見があるからだ。中川公園(120ヘクタール)は、美しい公園だった。

 中川公園の隣地が、「中川水再生センター」(分流式の雨水と下水の処理場)になっている。水処理場の総面積が、4,442ヘクタールもある。ふだん練習で走っている走路上に「東金町ポンプ場」(柴又帝釈天の隣地)があるのだが、中川水再生センターと金町ポンプ場は地下の水脈でつながっている。

 

 わたしは中川にかかっている小さな短い橋を渡った。葛飾区の地面の下を迷路のように走っている水脈の上をまたいで、水元公園のゲートにたどり着いた。水元公園は、面積約93万ヘクタールの都内随一の水郷公園である(1965年開園)。

 時刻はすでに午後4時を回っている。日の入りまではあと30分ほど。勝手知ったる場所だ。夕陽が落ちていくまで、公園内をゆっくりと走ってみることにした。メタセコイアの林に、もう太陽が落ち始めている。走っていても、日陰に入るとやや肌寒い。長い距離を走ってきて、かなり汗をかいている。風邪ひきを警戒しなくては。

 引っ越しをしてから公園の入り口まで走ってきていたが、中央広場までは足を延ばすことはなかった。水元公園は、対岸が埼玉県三郷市になっている。対岸を眺めていると、埼玉県の水辺のほうがにぎやかに感じる。向こう岸の緑地は遊園施設や遊具が充実していて、子供たちの歓声が水面に響き渡っている。

 それに比べて、東京都側の公園施設は静かだ。子供の姿は少なく、わたしのような年配者が静かに歩いている。バーベキューの設備もあるので、冬が終わって春が来れば、また違った風景に出くわすことにもあるだろう。だだっ広い中央広場の上空に舞っている洋凧(カイト)もまばらだった。

 

 中央広場の側道では、アマチュアカメラマンが脚立を組み立てている。メタセコイアの林に夕陽が落ちていく様子を、カメラに収めようとしている。ランニング用のポーチにスマホしか入っていないが、わたしも同じ姿勢をとっていた。「この木なんの木、気になる木」のCM(東芝提供?)に登場する大きな樹の陰に隠れて流れてくる夕陽のビーム(光線)を狙った。

 シャッターチャンスは、わずか数分の間で一瞬だ。撮影の後すぐに、上手に撮れたと思う数枚をピックアップしてインスタにあげてみた。反応はまずまず。本日現在(1月6日15時)、「いいね」の数が240を超えている。3日に撮影した「スカイツリーに落ちる夕陽」のほうは、「いいね」が300を超えている。誰かがコメントしていたように、「ここが都内?」とはとても思えない。

 水元公園の杜や水辺にしても、江戸川河川敷の土手にしても、いまも自然の景観が残されている。わたしたちがいま見ている東葛飾の風景は、江戸時代の治水工事が生み出した自然の名残りなのだと思う。かつて大暴れしていた江戸の水系が、この自然を育んでくれた。都民にもほとんど知られていない美しい景観を楽しむことができるのが、埼玉県(三郷市)と千葉県(松戸市と市川市)とごく一部の都民(葛飾区民)だけなのは、とても残念なことだ。