平成10年8月10日消印のかもめーるが一枚、書斎の大机の引き出しの底に張り付いていた。引っ越し作業の途中、書類を整理していて見つけた葉書の宛先は、千葉県印旛郡白井町 小川孔輔様。送り主は、川崎市高津区 山本光香。いま研究室で秘書をお願いしている内藤の旧姓が山本だった。光香さんは経営学部の3年生。ゼミに入って初めての夏である。
かもめーるが見つかった大机は、白井市に引っ越してきたとき、1階のリビングに置いてある飛騨(キツツキ)のテーブルと一緒に、日暮里付近の家具屋で購入したものだ。原稿を書くときは、いまでも無印良品の作業机を使用している。だから、ふだんは大机の引き出しを開けることがない。
引っ越しの整理作業で、いまこうして引き出しの小物を整理することでもなければ、光香さんからのハガキを発見することもなかったはずである。年賀状や暑中見舞いのハガキは、年度ごとに束にしてまとめてある。翌年の年賀状を書くとき、データベースの住所変更などをチェックするためである。
不思議なのは、なぜ「山本光香」からのかもめーるだけが、大机の最上段の引き出しの底に眠っていたのか? 友人や仕事仲間や学生たちから、平成10年のその年にも少なくない数の暑中見舞いが届いていたはずである。考えられるのは、暑中見舞いの文面のどこかに、わたしにとって気になる「一言」が添えられていたからだろう。
かもめーるの書き出しから、光香の文面をたどってみた。花火の絵柄に、大きく「Summer」ではじまる光香さんの文章は、、、
暑中お見舞い申し上げます。
(これ以降は、黒のペンで手書きになっている)
小川先生、お元気ですか?鵜飼先生の所
でアルバイトをしている山本
です。先日のフラワービジネス講座の時は、
晩御飯をどうもありがとうございました。
私は今、ゼミの準備を含めて忙しい毎日を送っ
ています。(中略)
それでは、また、ゼミ合宿で。
山本
光香さんの文章を見たわたしは、ふたつの部分をチェックしていたのだろうと思う。「鵜飼先生の所でアルバイト、、、」と「フラワービジネス講座の時は、、、」の二カ所である。
わたしは、これまで10人ほどいる歴代の秘書さんたちを、数人の例外を除いて、ほとんどゼミの卒業生に頼んできた。もちろん彼女たちは、卒業するといったんは就職をする。すぐにわたしから秘書役をお願いすることはない。「研究室を手伝ってもらえない?」とわたしから連絡を取るのは、前任者が結婚や出産や相方の転勤でいなくなってしまうタイミングである。
そのときがやってくると、毎年OB会に出席しているOG女子たちの「秘書候補者データベース」をチェックする。頼めそうな状態の候補者に連絡をとることになるのだが、そのときの重要な指標が、①秘書適性と②(本人の)興味・関心である。
山本(内藤)光香は、「鵜飼先生のアルバイトをしている」ので、①適性条件をクリアしている。そして、「フラワービジネス講座」は、わたしの仕事の中核部分を占めている。本人の②興味関心がわたしの仕事・業務と重なっている。
これも奇縁ではある。光香さんは、卒業後の就職先として、1990年代の後半にフラワービジネスに進出した「オークネット」を選んだ。総務畑の仕事ではあったが、中古自動車のオークションサービスから、フラワーオークション事業に新規参入したばかりの藤崎社長にとても可愛がられていた。
20年前の夏に、光香さんから受け取った一枚のハガキを、後生大事に大机の引き出しにそっとしまっておいたのだろう。それは、わたしの直感からだった。そうでなければ、一枚のかもめーるをほかのとは別にしておくはずがない。
花の事業会社への就職など後々のことも含めて、あの日のかもめーるが、「いつか来る日の予感」をわたしに伝えていたのだろうと思う。花火の絵柄のハガキをもらうことがなければ、光香さんはわたしの研究室に戻って来ることはなかったかもしれない。そのことを本人にもたずねてみたい気がする。