秋田へ帰省#4: 二日酔い

 朝の8時。二日酔いでフラフラしている。これから9時半に、加藤と楊がホテルにわたしを迎えに来る。今日は、昭和44年8月2日に8人でキャンプを敢行した岩館海岸に行くことになっている。センチメンタルジャーニー、第二幕だ。

 

 昨夜は、プラザ都の同期会から始まって、三次会まで行った。途中はよく覚えていない。スナックらしき場所を転々として、最後は加藤と2人でラーメンを食べた。秋田の味付けは塩っ辛い。女の子にスープを薄めるためにお湯を頼んだ。そこからタクシーで帰って来たことまでは記憶にある。

 今月末の北羽新報のコラムで、能代二中学校同期会の様子は紹介するつもりでいる。私たちは20期生で、能代2中は昨年、創立70年を迎えていた。

 50年ぶりで同期会に初参加した生徒会長の3分間スピーチは、おおよそ次のようなものだった。
 
 副会長だった青山顕くんの近況報告。長らくのご無沙汰のお詫びと自分の今のこと。本日が母親の89歳の誕生日で、そのため故郷に帰省してきた。母親の同級生で、89歳まで生き延びている男性は1人もいない。だから、ここにいる男どもは最大あと20年しかこの世に残れない。女性は、うちの母より長生きしてほしい。その可能性はある。70歳の古希の祝いでは、無事にまたみなさんと会いましょう。

 これを、標準語ではなく秋田弁で話した。一次会の同期会では、A組からI組までクラスごとに別れて、65人がテーブルに座っていた。全員と話すことはできなかったが、その時の印象やエピソードは、東京に戻ってからまとめてブログに掲載する。
 そろそろホテルまで迎えが来る。シャワーを浴びて、チェックアウトの準備をしないといけない。朝食をとる時間的な余裕はなさそうだ。コーヒーとオレンジジュースだけになりそう。

追記:
先生たちで存命は2人。国語の大倉先生と理科の中川先生。
予想通りだが、顔と名前はほとんど一致せず。特に女子は、親戚の数人を除くとほぼ全滅。男子は高校時代に同級生だったのもいたから、これは復元可能だった。しかし、ほぼ全員が生徒会長のわたしを覚えてくれていた。
どうやら、こうすけさん、は特別な存在だったらしい。