「秩父夜祭を見物にいらしゃいませんか?」

 コープみらいの木村芳夫君から、二週間ほど前に招待メールが届いた。突然のことで、何が起こったのかと考えてみたが、とくに思い当たる節はない。木村君は法政の元ゼミ生で、食品スーパーのヤオコーで青果バイヤーを経験したあと、コープみらいに転職している。

 

 彼の最近のヒットは、MPSの花の通販。10月からは予約殺到で販売が絶好調である。
 木村君は、埼玉県出身で寄居町に住んでいる。MPSの花の取り扱いが順調に伸びていることもあって、小川先生に感謝の意味で今度のご招待につながったのだろうか。それはわたしの勝手な解釈で、たまたまの偶然(たとえば、たまたま観覧席が空いていた)が重なっただけなのか。
 ひとつの推測は、お祭りの日の「日並び」がよかったのかもしれない。秩父夜祭は、毎年、実施日が決まっていて、12月2日と3日の二日間(4日も行事としては入っている)。今年は12月3日が日曜日にあたっている。

 お祭りが最高潮に盛り上がるのが日曜日。なので、日曜日に友人・知人を宿泊つきで招待することができる。こちらのほうが真実みがありそうだ。本当はどちらが正解だろうか?

 

 お祭りの見物に適切な集合時間は? 招待客は誰でもまずはそう思うだろう。「何時ごろ西武秩父駅まで行ったらいいの?」と木村君に尋ねたら、例によって「いつでもいいですよ」との返事。とはいえ、時間を指定しないと見物の仕方も決まらない。

 希望的としては、午後の早い時間から見物に参加して、全国三大祭りの全貌を確かめたいところだ。ところが、まずいことに、日曜日は千葉公園でマラソンがある。この二週間、体調不良と仕事が忙しいので、ハーフマラソンのゼッケンを家に置いたままにしている。要するに、広島ベイマラソン以来、2つのレース(多摩川と丹沢湖)を連続して回避しているのだ。
 ハーフマラソンのレースは、千葉駅の近くで行われる。千葉パークマラソンのスタートは11時10分。遅い時間のスタートだ。わたしのゴール予想タイムは、昼過ぎの13時05分。

 

 ゴールして汗で濡れたランニングウエアを着替えていると、千葉駅を出るのは14時すぎになる。そこからJR総武線で山手線経由で池袋に出る。特急電車のちちぶ号は、池袋発が15時では早すぎる。木村君には、二度も集合時間を変更してもらい、最後は17時32分に西武秩父駅に到着する電車になった。

 池袋発の16時始発電車は、西武秩父駅に17時32分に到着する。元ゼミ生の森田健次郎君(キャノン電子)が迎えに来てくれているはずだ。当初は日帰り旅行で計画していたが、「最後の花火まで全部を見ていると、帰りの電車がすごく混みますよ」との木村君のアドバイス。泊りは考えていなかったが、木村君が寄居のビジネスホテルを予約してくれていた。
 夕闇が迫る午後7時に、全6基ある屋台の引き回しがはじまる。その一時間後、8時に花火の打ち上げがはじまり、秩父夜祭りのクライマックスは夜中の10時。そこまで祭りを楽しんだあと、温泉宿にたどりつくときには、夜中の12時をまわっているだろう。

 ホスピタリティからなのか、ビジネスホテルをキャンセルして、温泉宿に泊りを変更してくれたらしい。どうやら帰りの送迎ルートを考えて、途中で落とせる場所に変えてくれたのかもしれない。

 埼玉の夜祭を楽しんだあとの翌日、もうひとつの楽しみがあることを教えてくれたのは、カインズの神田さんだった。「秩父夜祭に行くのですよ」とメールで知らせたら、「朝のおはようメール」と一緒に返事が戻ってきた。

 

 「先生おはようございます。

 やはり良いお仲間をお持ちですね。
 二十数年前に旧寄居店があった頃は、夜祭りの日は店の前から渋滞が続いたと聞いています。
 朝、雲海も見られると良いですね。
 それでは良い週末を、ブログ待ってます。」

 

 これでは、ブログで夜祭の様子を書かねばならなくなった。いまやひとりの読者の期待を一身に浴びている。
 さて、当日は、どんな楽しみが待っているのだろうか。いまから、ワクワクどきどきである。翌朝の雲海も楽しみになってきた。地元のひとでないとわからない楽しみ方なのだろう。温泉の朝の雲海。

 

 以下は、HPに掲載されている「秩父夜祭」の紹介記事である。

 

 

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 <秩父夜祭とは>
 全国的に有名な「秩父夜祭」は京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭りの一つに数えられています。
 古くは寛文年間(一六六一~七二)に始まったといわれ約三百数十年の歴史があります。

 秩父夜祭は、秩父神社例大祭の「付けまつり」で、江戸時代、絹大市(三千~四千両の絹取引が行われた。)の最終を飾る一大行事として発展し、今日のような日本を代表する祭に成長してきました。 呼び名はいくつかあり、単に「夜祭」あるいは「冬まつり」、人によっては「妙見さま」などと、親しみをこめていわれています。
 この例大祭を彩るのが笠鉾と屋台です。六基あり、勇壮に曳き回され、屋台行事も見事で、共に国指定重要民族文化財になっております。どうか、この夜祭の伝統文化を心ゆくまでご堪能ください。

 

 その一、
 秩父神社の女の神様と武甲山の男の神様が年に一度あの逢い引きをするお祭り
 秩父神社にまつる妙見菩薩さまと武甲山に住む龍神さまとが年に一度、十二月三日に、お旅所で逢い引きをすると伝わっています。妙見菩薩を表している亀の形をした「亀の小石」の所で二人は落ち合うのだそうです。
 亀は大地を表し、龍は天を表しています。すなわち、天と地が合流するわけで、秩父夜祭は天地合流というスケールの大きなお祭りなのです。
 ※妙見菩薩=女性の神様で北斗七星の神様、養蚕の守神。
 ※龍神=男の神で水の神様。
 ※亀の子石=姿は亀、顔は人間のような形をしている。

 本当は亀ではなく、玄武(げんぶ)と呼ばれる古代中国の想像上の霊獣。
 ※お旅所=屋台が向かう目的地のこと。

 

 屋台の曳行は、船(=屋台)で不老不死の実がなる樹があると伝わる蓬莱(=お旅所)に向かって航行することなのです。
秩父公園内にあります。

 

 そのニ、
 豊作をもたらしたお水をお山(武甲山)にお返しをするお祭り
 毎年四月四日に、市内中町の今宮神社で水分祭(みくまりさい)が行われます。ここにある龍神池の水の神様すなわり龍神を迎えます。 そして水幣(みずぬさ=龍神のご神徳)が秩父神社にて手渡され、その水幣によって豊作を祈る「御田植祭」が行われます。

 秋の収穫が終わると、この秩父夜祭で、龍神様を御神幸行列の大さかきに乗せ再び武甲山に感謝を込めて送り返すのです。春に龍神池で水の神様を迎え、田植えをし、秋の収穫が終わるとこの夜祭を通して武甲山へ再び水の神様を送り出すのです。
 ※龍神池=武甲山の伏流水が湧き、いち早く定住した丹党中村氏が水源とした池です。

(中略)

 三日大祭当日、午後七時になると秩父神社より笠鉾・屋台六台が出発し奉曳が始まります。
 それに先立ち、御神幸(ごしんこう)の行列が祭主を先頭にお旅所に向かいます。秩父の総社らしく市内各町のお供物行列が続き、 御神輿(おみこし)、御神馬(ごしんめ)二頭が加わり、長い御神幸行列となります。
 神輿をお旅所に安置すると御齋場祭(ごさいじょうさい)が行われます。 赤々と燃えるかがり火の中、祭主の祝詞(のりと)が奏上され、次いで二人舞という四方堅めの舞いの代参宮神楽が奉納され、祭典がとり行われます。
 御斎場祭はお旅所内で行われるので見ることはできません。

 

 この後で、盛大に花火が打ち上げられるようです。そこまで見て、祭りは終わりのようです。

 

 

*追記:わたしが秩父夜祭の存在を知ったのは、2011年の夏である。

 『しまむらとヤオコー』を小学館から出版して、その年は埼玉県の各地で講演会に呼ばれていた。浦和で開かれた講演会で、『秩父夜祭』(さいたま出版会)の著者の薗田実さんから、その本を手渡されていた。

 「いつか勇壮で荘厳な感じがするお祭りを見てみたい!」と思っていたところに、木村君からメールが来たのだった。断る理由などまったくない。今回の観覧となったわけである。