【学生感想文】杉原淳一、染原睦美著『誰がアパレルを殺すのか』日経BP社

 読書感想文優秀者5名を掲載する。


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『誰がアパレルを殺すのか』を読んで  4年 斉藤 舜人

 最近、三越千葉店が閉店したというニュースをテレビで見た。このニュースを見て、ただ単に百貨店ビジネスの終焉が近づいてきたのかと思っていたのだが、本書を読むまでまさか、アパレル業界全体がここまで苦境に立たされているとは思ってもいなかった。
 
 本文でも述べられていたように、アパレル業界の業績不振の一番の原因は、業界全体の常識に囚われ続け、「目先の利益」ばかりを追い求めてしまった事だろう。たしかに、戦後からバブルの時代にかけて著しい成長を遂げた業界であることは間違いない。しかし、この成果を成し遂げた企業戦略には、マーケティング的な視線が不足しているのではないかと私は感じた。それに気づかず、ロスを覚悟しきった海外での大量生産や未熟なサプライチェーンでの運営。これではアパレル業界が不振に陥るのも無理はない気がしてしまった。
 
 まず、業界の「中」について意見を述べたい。
 そもそも、利益がどのように伸びていくのかを考えたとき、定価や原価の関係は勿論だが、「消費者に選ばれること」が基本かつ何よりも重要であるはずである。そのために企業は消費者のニーズを的確に捉え、選ばれる商品を作るのである。しかし、アパレル業界を見渡してみると、この「基本」がないがしろにされていたように感じた。現状として、川上(生産)、川中(商社)、川下(小売り)の連動が全く取れていない。消費者のニーズが最も感じ取れるのは現場だろう。しかし、本文でも述べられていた通り、現場社員の扱いは非常に酷いもので転職するスタッフが後を絶たない。これではニーズを汲取れず、幅広い商品を大量に出品し、大量の売れ残りを生み出す悪循環が後を絶たない。その点、日本が誇るファストファッションの代表格であるユニクロには関心を持った。
 
 私はユニクロ信者である。なぜかというと、異常なまでのコストパフォーマンスを誇っているように感じているからである。本文を読んで納得したのだが、ファーストリテイリングは自社でサプライチェーンを徹底的に管理され、また、パート社員の正社員化を行っていた。これにより、非常に高品質なものが低コストで販売され、また、消費者のニーズも的確に反映される。この点は他社も見習うべき点であると思う。ファーストリテイリング会長である柳井氏が述べていたが、「散弾銃戦法」では未来はない。バブル崩壊から今に至り、消費者ニーズはガラリと変わった。その中で、「目先の利益」だけを求める古い慣習から抜け出し、どのようにニーズに応えていくか、いま一度考え直さなければならないだろう。

 次に業界の「外」について。
 いまや、店舗に足を運んで洋服を買うことは少なくなってきている。現に私もZOZOTOWNやメルカリで洋服を買うことが多い。近年、ITの技術革新によってネット通販が一般的になっている。そこでカギを握るのは「ビッグデータ」ではないだろうか。
「誰が」、「いつ」、「何を」、「いくらで」といったデータを把握し、シェアすれば消費者の求めるものを適切な量と価格で生産できるのではないだろうか。
また、米国のエバーレーンが取り組む原価表示、これも消費者にとって非常に好印象である。この先、ITでの市場が主流になるにあたり、業界の「中」と「外」の共存と発展は欠かせないだろう。アパレル業界の未来のため、消費者とアパレルを結ぶチャネルとなるITこそ、今後力を入れるべきであると私は感じた。

 最後に、業界の「中」からのイノベーターについて。
 本書を読み進める中で最も印象に残ったのが、このイノベーター達だ。TOKYOBASEをはじめ、ミナペルホネン、パタゴニア、彼らの取り組みは非常に共感できるものだった。

 まず、TOKYOBASEが展開している「ユナイテッドトウキョウ」だが、私も一着持っており、「質」の高さを体感している。何より一度袖を通すと誰でもファンになるようなジャパンメイドの逸品がお店に並んでいるのだ。これは、的確に需要を汲取ることで、高い原価率をプラスで補っている。海外委託の大量生産や低い原価で利益を狙う、業界の「内輪の論理」を脱したイノベーターである。

 次に、ミナペルホネンとパタゴニアだが、ロスを出すことに危機感を感じているように思えた。本文に、「来年にはゴミになる」服を作らないとあったが、洋服を通して、「環境問題」に立ち向かっているように私は感じた。いずれも、ロスを出さないモノづくり、そしてロスのリユースを実践しており、アパレル業界の大量生産に警鐘を鳴らしているように思えた。
 
 この3社のイノベーターに共通しているのが、「挑戦の精神」だと私は思う。業界内ではイレギュラーな存在ではあるが、アパレル業界の現状を考えたところ、称賛すべき点が数多くあるだろう。その中で業界全体が「挑戦の精神」を持ち「内輪の論理」を脱し、消費者から再び求められるモノづくりを行う事こそ、アパレル業界復活の要ではないだろうか。

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『誰がアパレルを殺すのか』を読んで  4年 中洞 葵

 本書を読んでまず思ったことは、「アパレルは本当に誰かに殺されているのか?」という疑問だった。単に時代の移り変わりによる“衰退”なのではないか、と。
 本書ではアパレル業界の過去から未来まで、その流れと背景を追っているが、業界のビジネスモデルには、消費者の意識の変化も大きく影響を与えているといえる。

 大手百貨店でブランド服を購入することが喜びでありステータスであった、ブランド志向の消費者が、バブル崩壊やデフレの煽りを受け、品質志向へと移行していった。たとえそれほど良いと言えない品質であっても、安値で売っていればその価格妥当性に納得するのだ。
 さらに言えば、アパレルは消費者の“want”ではなく“need”へ変化している。昔に比べ、現代は様々な嗜好品で溢れかえっている。最近の音楽業界にも目を向けてみると、昔ほど圧倒的な人気を誇るアイドルや歌手はいないなと私は感じる。それは、代わる代わる登場するアーティストたちが、ファンの分散を生んでいるからではないだろうか。CDをわざわざ買わなくても、スマホでいつでも無料で聴くことができる。この手軽さも相まって、消費者の熱が薄れているのではないか。これと同じことがアパレル業界にも言える。服を買う、という行為は欲望ではなく、もはやただの必需によるものではないだろうか。

 もう一点消費者の変化を挙げてみる。
 それは、消費者とアパレルの距離感である。わざわざ店頭へ出向かなくても、ウインドウショッピングも購入も、親指ひとつでできる。SNSが普及したことにより、消費者同士で情報共有がおこり、ますますアパレルに対する目は厳しくなっているようにも思う。それと同時に、消費者が手持ちの服をSNSサイトで出品し販売を行うビジネスがいまや当たり前の時代になってきている。アパレルには不可欠な在庫スペースが、消費者のクローゼットに成り変わっていることが伺える。消費者の手作りの服やアクセサリーの販売など、作り手にだってなれる。
 こうしてアパレルが身近になりすぎたことで、服に対する欲望の薄れが生まれてしまうのではないか。

 では、この時代の中でアパレル業界が再度勢いを取り返すにはどうしたらよいのか。大量生産モデルに合わせて、コンセプトも丸投げして中国やベトナムに製造委託していたものを、国内メーカーで行うことはまず難しい。製造に回す人員が圧倒的に足りないからだ。しかしこれはあくまでも、大量生産方式を行うなら、の話である。過剰な大量生産はもはや望まれていない、不必要なものであると気づかなくてはならない。周囲に物が溢れていることが当たり前、な消費者意識をどうにか変えていく必要がある。

 ここで、一度立ち返り、これまでのビジネスモデルと大きく変え、手間と時間をかけて服を作ることが解決策のひとつとして挙げられている。本書にもあったマッチングサイト「nutte(ヌッテ)」では、縫製職人がオーダーメイドで依頼人のために合わせて服を作る。数打てば当たる、というような大量生産ではなく、顧客ニーズをくみ取るスタイルだ。ネット時代のニーズをとらえた新たなビジネスモデルである。
 また、エアークローゼットのようなレンタルビジネスも最近では人気を集めている。服を作って販売する一連の流れだけではアパレルを語りきることはできなくなっているのだ。

 流行を追うこと、流行を生み出すこと、それがアパレル業界の大きな役目のような部分があるかもしれないが、消費者ニーズとずれたままのビジネスモデルを進めた結果、「アパレルは殺された」と言われるようにもなってしまった。
 大手アパレルのワールドで総合企画部長などを務め、現在はコンサルタントに転じた北村禎宏氏は、この状況を「アパレルの集団自殺」と呼んだ。現状の不振をしっかりと認識し、互いに連携していくことがまず第一歩だ。アパレルを殺すのも、そして生かすのも、結局はアパレル業界自身なのである。

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『誰がアパレルを殺すのか』を読んで  3年 今出川 ゆい

 誰にとっても身近にある生活の基本の「衣食住」。そのうちの1つ「衣」であるアパレル業界が、まさか苦戦しているとは知らなかった。生活する上で必ず必要なものなのにどうしてだろう、というのが正直な感想だった。
 読んでみるとそこにはアパレル業界の負のスパイラル、誰がというわけではなく、習慣の中にいる業界全体がまさに自分の首を絞めているようであることがわかった。そして自分も殺してしまっているうちの1人でもあると思った。そこで消費者としての購買行動と照らし合わせてみていきたいと思う。

 まず共感したのはどこのお店を見ても同じものが並んでいるということだった。
 私は地方の出身で買い物となると近くのショッピングセンターに行くことが多かった。そこにはいつも買うお店が何店舗かあったが、いつからかどのお店を見ても流行りの同じようなデザインの服が並んでいると感じるようになった。東京で生活するようになってからは、見るお店が増えたこともあって同じような服が並んでいるという印象は薄れたが、それでもなんだか見たことがあるような気がして、買い物に行っても買わずに帰ってくることが度々あった。

 そこで私は最近古着に興味を持つようになった。もともと人が着た服を着ることには抵抗があったので古着を選ぶことはなかったのだが、最初に古着屋に足を運んだ時、今にはないデザインのものが多く魅力的に感じたことを覚えている。同じようなものばかりで飽き飽きしていた自分にとっては新しい服を買うより、古い服を少し安く買えるという方が価値があると思えたからだ。服のリサイクルという点では古着を選ぶことも一つの選択肢ではあると思うが、一方では自分個人の次元で見ても新しい服の売上、つまりはアパレル自体の売上には貢献できていないことにもなる。
 また、どこのお店にも同じようなものがあるとなると、同じものなら安いものがいいと考えてしまう。もちろんブランド力としては高い価格である必要があると考えられるが、着てしまえばどんなに高くてもどのブランドの服か分かることは少ない。となるとH&Mのようなファストファッションブランドに流れてしまう消費者がいることは考えやすいだろう。

 次に買い方も変わってきていることに気づかされた。服を買うとなるとそのお店に行って試着をして考えてから買うというのが今まででは普通だった。
 しかし今ではZOZOTOWNといった通販サイトを利用して買うことがかなり増えたと思っている。例えば一つの商業施設に入っているお店はその施設によって違うため、他のお店に行きたいと思った時にまた違う施設へ移動しなければならないことがある。それに対して通販サイトでは自分の見たいお店の商品すべてを一度に見られるだけでなく、他のブランドとデザインや価格の比較までできてしまう。店舗で買うよりも余分に配送料などがかかってしまうが、その店舗行くまでの交通費と比べたら大差はないだろうと考えてしまう。
 加えて私がよく行ってしまうのがネットで商品を購入する前に実店舗に行き、現物を見て確かめる「ショールーミング」。通販利用に難点とされる試着ができないことを解決できてしまう。
 実際にこのショールーミングという行動がアメリカでは盛んになっていて、小売店を脅かすとして懸念されているそうだ。

 以上のことが私自身の購買行動を見直した結果だった。本書の中にもあったように、アパレル業界は変化に迫られているのだと思う。
 今の状況がこのまま続くことは業界のさらなる低迷を招き、消費者のアパレルへの関心をなくすことにつながる。本書には様々な新しい試みを行っている企業や、今後どうしていくべきなどが書かれていたが、その中でも日本の優れた点を再発見すること、という一言が印象的だった。
 日本の技術は素晴らしいと言っているにもかかわらず、その技術ではなく海外をお手本に海外の技術に頼っていることは不思議なことである。以前に読んだ『いけばなときもの』の中にもあったように、日本人はもっと日本のことを知るべきなのではないかと改めて気づかされた。
 私はアパレル業界に詳しくない、一人の消費者であるだけなので、変化する難しさは分からない。今回見直すまで自身の購買活動の変化もあまり意識していなかった。もっと変化に敏感であるようにすることで、アパレルへの関心を失わないようにしたいと思う。

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『誰がアパレルを殺すのか』を読んで  3年 倉持 宏明

 私は本書を読む前は、常に全体として需要があるアパレル業界は、深刻な問題などあまりないと思っていた。アパレル業界について、現在どのような状況になっているのかほとんど知らなかったのである。
 本書では、アパレル業界についての問題と変化について書かれていて、現在のアパレル業界は、思っていたよりも深刻な状態であると実感した。本書の題名は「誰がアパレルを殺すのか」だが、私は本書の中から現代のアパレル業界の変化について注目してみたいと思う。

 私がまず印象に残ったことは、アパレル業界は、昔は顧客優先の戦略を行っていなかったという点である。昔はアパレルと言えば華やかな業界であり、ファッションに関しては、顧客は惜しまずお金をかけてきた。しかし現代になるにつれ、顧客の財布の紐は固くなり、今までの戦略では通用しなくなっているのだ。

 今ではどの業界でも、顧客を第一に考えているところが多い。もちろんアパレルのお店も、それぞれの店舗では顧客のためにサービスを良くしようと考えたりしているだろう。しかし、店舗で販売する顧客と向き合う表面のところだけで顧客のことを考えていても、根本的なところや全体として考えていなければ効果は大きく得られない。結局、一貫して何を優先して行うべきかが統一されていないので、表面での顧客優先というのをやり切れていないのかなと感じた。

 また、現代に新たに台頭してきた企業で、アメリカのエバーレーンは顧客のことを考えている企業だと感じた。
 まずはエバーレーンについて少し触れてみる。エバーレーンはアメリカの中で店舗は2店のみで、その店舗には在庫がなく、購入するときはネット上で購入する形となっている。このようにすることで、店舗販売や仲介業者などといった、今まで当たり前だったことをなくしているのだ。この時点で、今までのアパレル企業とは違い、新しい形態であることが分かる。確かにアパレルに限らず多くの市場は、製造から販売まででたくさんの人たちが関わり、サプライチェーンが長くなりがちになる。しかし販売をネット上で行うことによって、無駄な部分をなくし、なおかつコストも削減できる。この戦略は、現代の情報社会のメリットを最大限に利用していると感じた。

 そして、エバーレーンが顧客のことを考えていると感じた部分を1つ挙げてみると、生産過程をすべて開示しているというところだ。
 服の値段がどのようにして決まっているのか、多くの人は知らないだろう。エバーレーンは、服の材料から流通のコスト、人件費などといった値段に影響するものをすべてサイト上で見ることができるのだ。

 このような取り組みは、顧客の信頼を得やすいだろう。顧客は、服でも食べ物でも、ブランド、生産地など、あらゆる情報から信頼できると判断することにより、購入に至ることもある。そのような人々に対し、今まで公表されてこなかった情報を開示することにより、注目も集まり、なおかつ信頼度も得やすくなる。顧客が知りたいと思うことを行う、顧客のための行動が、結果として、成功につながっているのだと感じた。

 最近はエバーレーンまでとはいかないが、アパレル業界全体として、ネットを利用していることが当たり前になっている。私も服を買うとき、ネットでどのような服が売られているのかを見てから購入することもある。お店に直接いくには、その場所にわざわざ行かないといけないので、手間と時間がかかるからだ。逆にお店側としても、店舗に来てもらわなくても購入される経路ができたことになる。ネットが普及したことによって、お店と顧客両方にメリットがある変化がもたらされたのだ。

 このように、昔ではありえないことも、現在では販売の仕方や服の流れが新しく構築されつつある。アパレル業界にも新たな風が吹き始め、また浸透始めているのだ。まだまだアパレル業界全体としてはいい状況とは言い難い。しかし、業界全体で危機感を感じ始めた今、これからどのように変わっていくのか、どのような新しい企業が台頭してくるのかがとても楽しみである。

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『誰がアパレルを殺すのか』を読んで  3年 松山 真理子

 本書『誰がアパレルを殺すのか』を読んで第一に驚いたことは、現在アパレル業界が不振にあえいでいたことである。私はアパレル業界に対して無知であったことに気付かされた。
 日本のアパレル業界は、爆買い中国人の特需やバブル景気などの成長の過程で、サプライチェーンの分業化を進めた。そして短期間で大量生産を行うシステムを構築していた。しかし、様々な事情が変わりサプライチェーンは分断され、合理的なモノ作りができなくなった。この現状がアパレル業界の危機である。

 この危機を打破できる可能性のある新しい業態に、オンラインSPAがある。店舗や中間業者、大規模な宣伝広告等をなくし、在庫は極力持たせないスタイルをとる。マーケティングはSNSを駆使し、ネットを通じて直接消費者に届ける。
 私はよくインスタグラムを利用する。様々な友人の近況写真が投稿される中で、時々企業の広告の投稿が紛れ込んでいる。アパレルの広告も含まれていることが多い。そして、それはあたかも友人の投稿した写真のうちの一つのようで、私はついその広告に目を留めてしまうことが多々ある。ふとした時に宣伝に触れさせ、ついつい目を留めてしまうような掲示の仕方が戦略なのだろうか。実体験として、非常に効果的な宣伝方法だと感じる。

 オンラインSPAの例としてエバーレーンが挙げられていた。これは米国にわずか2店舗を構える新興アパレル企業。購入手続きも全てウェブ上で完了させる斬新なスタイルだ。客のすることはせいぜい試着程度で、店内はショールームの役割を果たす。そして、エバーレーンの戦略は商品のコスト構造を明示したり、素材の価格変動にもしっかりと対応していることを発表したりと、徹底した透明性を追求することだ。

 今、ゼミの授業で価格競争や価格設定について学んでいる。顧客を公平に扱い正しい価格設定をすることは、強く持続する顧客関係を構築する重要な要素だ。エバーレーンはシンプルなサプライチェーンで製造の流れをしっかりとコントロールしている。そして、チャネルレベルで価格設定を行い、消費者は商品の価格の妥当性を見極めることができるのだ。

 私も一消費者として、その服がどこで、何の素材で、誰がどのように作り、それゆえの価格であることを知りたい。価格の妥当性は商品購入時の判断材料の一つであり、購入後も商品満足度に影響すると思う。こういった顧客に寄り添った活動は、結果としてブランド価値を高める。今のアパレル業界で重要なことはこういったことなのだろう。

 アパレル業界の危機からの打開策として、中古市場、つまり自身の所有する商品を販売するシステムも本書は取り上げていた。
 ゾゾタウンでは、新品を購入した顧客に、いらなくなった自社商品があれば買い取ることを勧めている。この制度があると思うだけで、顧客は新品の商品を購入しやすくなる。
 他にも、個人間の二次流通プラットフォームが存在する。ファッションから家電まで幅広い分野の個人間の売買をサポートする、メルカリがこれにあたる。メルカリは、新品の高級ブランドに手が届かない人々の層を捉えると思われていた。しかし、服に関しては、ファストファッションや子供服が順調に売れた。一度売り切れもう店頭には並ぶことのない商品を求めたり、すぐにサイズアウトしてしまうことを見込んで親たちが安く、子供服を求めたりするのだ。

 私もメルカリを利用したことがある。趣味でやっているダンスの衣装を購入する時だ。衣装なので私服には使えず、一度来たらもう着ないことは目に見えている。そういった時に、メルカリなどのサービスはモノも無駄にならず、重宝できると感じた。
 こういった中古市場は現代によく即していると感じる。「断捨離」という言葉はもはや一般的だ。今や「断捨離」からも分かるように、モノを多く持っていることを良しとするのではなく、スマートに生きて行くことを重視する人が多い。量より質なのだ。買い取り制度を機に、クローゼットに眠っている服を手放し、次の購買行動に繋げることは、まさに量より質、という現代の流れを捉えているのではないだろうか。

 アパレル業界が抱える問題は大きく、簡単には解決しない危機であることを本書を通して学んだ。しかし、かつての大量生産のやり方を見直し、この危機にあらゆる方面から改善しようとする人々がいる限り、アパレル業界が完全に死んでしまうことはないのではないだろうか。