この世界をいま覆っているとても嫌な空気感

 『日経ビジネス』の最新号(2月6日号)に、ファイナンシャルタイム(FT)の特約で「世界を脅かすトランプの嘘」という記事が掲載されている。先導的な民主国家の最高指導者が、ごく日常的に嘘をつきつづけることで、民主主義国家間の信頼が揺らいでいることに対する懸念を表明した記事だった。

 

 米国が世界の中心に鎮座していた時代は終わりかけている。それはそれでかまわないとしても、終わり方に問題がありそうだ。

 民主主義の根幹にあるのは、公平(イクオリティ)と公正(フェアネス)だと米国人から教えられた。わたしたち世代の日本人は、学校教育でそう教えられて青年期を過ごした。民主主義社会の人間観とは、「それぞれ信じるところ(価値観)はちがえども、人はみな平等。お互いに尊重しあうべし」という価値観を当然のように受け入れてきた。

 この三つの価値観(公平、公正、平等)が、いまの米国から失われつつある。そもそも、民主的で平等な社会を築く前提は、構成メンバーが事実を正直に語ることである。それがないと、建設的な議論ができるはずがない。

 トランプ大統領の時代になってから、米国社会の常識が変わてしまったようだ。米国の国家運営の仕方を見ていると、客観的な事実が重視されなくなった。例えば、米国農務省(USDA)が公開していた「地球温暖化の研究データベース」が先週、一瞬のうちに消えてしまった。いまだにデータにアクセスができない。

 いまの米国の価値観は、自らの利益のために事実(客観的なデータ)を曲げてでも、戦術的に政治的な勝利を得ることのほうが正しいとされているように見える。一体全体、米国社会はどうなってしまったのだろう。

 

 一国の大統領がツイッターで、政策対象となる個別企業や反対意見を主張する市民を攻撃することが許されている。民主主義における自由言論の危機だろう。これは、米国の建国精神が依って立っている「言論の自由」を揺るがす異常な事態だ。自らの正当性を攻撃するメディアや大衆が標的になり、暗黙の制裁を伴った絶好の餌食にされる。

 いったい米国市民は、どのように4年間を過ごそうとしているのだろうか。そして、恐ろしい予言が現実のものとなった。今朝のネットニュースで、とうとう「トランプ氏暗殺計画」が喧伝されるようになったからだ。ISISなど、入国を拒否されているイスラム勢力の主張とのことだが、わたしの予想は、米国民の中に「トランプ氏を抹殺したいと思う勢力」が存在していることだ。

 

 わたしの懸念を、研究室の青木恭子にこっそり打ち明けたのが一か月ほど前のこと。かつてケネディ大統領が暗殺された時のように、国家の最高指導者が何者かに殺害されたとしたら。冷戦の真っただ中にいた当時といまとではわけがちがう。米国とソビエト連邦以外に、分裂気味の右傾化したEUと、混沌の中で勃興しているアジア諸国家がそこにはいる。さらには、内部的に分断されているイスラム国家群も無視はできない。

 テーブルについて話し合うのでなく、差別意識を伴った暴力で物事を決着しようとする。客観的な事実ではなく、武力が正義に優先される世界の再来。これは終わりの始まりなのだろうか。70年間続いてきた相対的に平和な時代は終わるのだろうか?

 日本は、わたしたちは、どのようにこの困難を乗り越えていけばよいのだろうか?嘘をつく指導者をいただく二つの大きな国(米国とロシア)が、それでも世界の覇権を握っている。いまだに軍事力も政治力も資金力もである。

 つぎの時代の政治を支配するルールが見えていない。なんとも気持ちの悪い世界が到来したものだ。