国際フォーラムで開催されている展示会の帰り道、都営浅草線が動かなくなった。停電らしい。遠回りになるが、日暮里駅で乗り換えることにした。お腹が空いてきたので、ホームの売店を覗いてみた。この頃は、改札内のKIOSKをコンビニ各社が運営していることがある。
停電の振り替え輸送で混雑している日暮里駅の売店は、ファミリーマートが運営していた。おにぎりを買おうとして、狭いホームのリーチインのおにぎりコーナーを見た。目にとまったのは、「鮭といくらのちらし寿司、三陸産」。その隣には、手巻きのすしが何巻かおいてある。
アルバイトの若い男の子が、レジ・カウンターの中から出てきた。賞味期限切れの手巻き寿司やおにぎりを下げる、つまりは廃棄処分にする作業をはじめた。手前からおにぎりの「消費期限」の時間をチェックしている。
手際よく、販売期限(棚時間というらしい)が来ているおにぎりを、バスケットの中につぎつぎに放り込んで行く。手巻き寿司とおにぎりが30個ほど、廃棄用のバスケットの中に”沈殿”している。
時刻は20時半。コンビ二の閉店は23時だそうだ。まだ2時間半はある。
一昨日、井出留美さんの『賞味期限のウソ』(幻冬舎新書)を読んだばかりだった。日本人は、毎年、東京都民が消費する分の食品をごみとして捨てている。そのほとんどが、賞味期限切れの廃棄食品(フードロス)だ。わたしはさすがに見かねて、廃棄用のバスケットを指差して、その子にたずねた。
「床の上のバスケットに入ってるおにぎりは、いまならば買えるの?」
その若者は、悲しそうな目をして「はい」と答えた。わたしは、鮭といくらのちらし寿司を買って、147円をレジで支払った。
おにぎりの裏側をひっくり返してみる。消費期限は、明朝の4時(11月19日4時)。消費期限まで、まだ10時間近くあるのだが、店が閉店になるのが11時だ。だから、廃棄処分品として棚から下げるしかないのだろう。その時間が来ていたのだ。
まだ棚に並んでいるのは、明日の午前中まで置いておけるおにぎりだけ。バスケットの中のものと同じくらいの数量だ。その若者は、わたしの質問の意味を理解したのだろう。しばらくはバスケットをホームの床に置いたままにしていた。わたしのようなお客が来れば、おにぎりの廃棄が少しでも減ると考えたのだろう。
遅延でなかなか電車が来ない。チラシ寿司を食べ切ったわたしは、追加で手巻きのトロ寿司を買った。子犬が捨てられていくみたいなセンチメンタルな気持ちになってしまっていた。
こんな風に、無駄に食べ物が捨てられていく風景を見るのは、気持ちのいいものではない。やはりこれは、どこかおかしいのではないですかね。廃棄を前提にしたコンビニ商売の反社会性。過剰に発注することで利益が生まれる。裁判沙汰にもなった、そんなビジネスの構造には問題があるように思う。
一つの解決法は、この際、フランス政府のように食品の廃棄に対して税金をかけることだろう。この制度が日本に導入されたら、フードロスはいまの半分になる。
怒りのメールとフランスの制度のことを書いたメールを、ヤオコーの元青果バイヤーだった木村芳夫くん(現、コープ)に送ったら、少しして返事が戻ってきた。
「たしかにそうですね。食品スーパーは値下げで解決するから、実質的な廃棄は1パーセントです。」
コンビニは、基本的に値下げをしない。いや、いろいろ事情はあるのだが、システム的にそれができにくようにビジネスが設計されている。365日24時間営業しているからこそ生まれる矛盾だ。そもそも完全なセルフサービスと、値引きできないフランチャイズシステムに構造的な欠陥があるのではないだろうか。
怒りと悲しみで。でも、鮭いくらと手巻き寿司は、美味しかった。捨てられないで、よかった。