今週は、藤田屋に三度も足を運んだ。月曜日は、東京ドームの旧SMD(サービスマネジメント開発チーム)の同窓会。水曜日は、オーガニックライフスタイルEXPO(11月中旬開催)の主催者・秋元さんに、JFMAの松島専務理事を引き合わせるための会食。昨夜は、独りで藤田屋の暖簾をくぐった。
森下のうなぎ屋に通いだしてから、かれこれ二か月になる。一週間に一回は行っている見当になる。
藤田屋で食べる定番メニューが固ってきた。通う店によってなじみ方は違うものだが、藤田屋の場合は、不思議と”儀礼的に”、オーダーが固定しつつある。スタートは、大瓶のビール。女将の藤田和子(わこ)さんに、アサヒのスーパードライの栓を抜いてもらい、最初のいっぱいだけ注いでもらう。
最初の料理は、お通しの代わりに、ワサビが効いたまぐろのねぎぶつをいただく。お気に入りのグラタンコロッケは、二度の来店で一回の定番メニューだ。ときどき頼むのが、しらすの大根おろしとアジのフライ。いまのシーズンならば、茹でアスパラ。最後は、うな丼(1500円)でおなかが満腹になる。
家族や仲間と来るときは、看板の10時すぎまで長居することもあるが、ふだんの滞留時間は1時間ほど。めったに2時間を超えて、椅子に座っていることはない。常連さんたちも2時間は超えて長居はしない。この店は、うなぎ屋にしては回転が早いのかもしれない。
提供されるうなぎは、脂がのって味はとっても濃厚。だけれど、女将さんとの掛け合いと、それにおもしろおかしく応えるお客さんたちの態度は、しごくあっさり目なのだ。そこの対比が、なんともおもしろい。下町のうなぎの常連さんは、京都の料亭のお客さんとはまた、舌も対応もちがっている。
さて、月曜日は、来店の6度目ではじめて、藤田屋の「センターテーブル」に座らせていただいた。この位置には、いつも常連さんが座っている。お名前は聞きそびれたが、近所でマンションを経営している不動産屋さんの方らしい。ほぼ毎回見かける旦那さんの年齢は70歳前後。JFMAの松島専務くらいの年のころかと思う。
センターテーブルは6人掛けで、小さな店のちょうど真ん中にある。ちなみに、藤田屋は、入って左側が畳の席で、畳の間にテーブルが2脚(2人×2=4人)。右側が、わたしがいつも座っている4人掛けのテーブル席。その奥に、2人掛けのテーブルが一席ある(=6人)。
真ん中が6人掛けのセンターテーブルだから、最大でも16人しか入れない。思い出した!引っ越しが終わったばかりの4月の最終週 の日曜日、うなぎが食べたくてなって、はじめて藤田屋の店内を覗きこんだ。そのときも、そういえば満席だった。しかも、昨日の最後のお客さんのように、「本日のうなぎは、終わりました」と、体よく来店を断られたものだ。
月曜日に話を戻すことにする。
東京ドームの旧SMDチームの会合は、当初の参加者は、わたしを入れて3人だった。岩瀬君(温浴施設「ラクーア」の担当マネジャー)が執行役員に就任することになった。その昇進を祝うのが、今回の主たる目的だった。その他の参加者は、元HBS院生の大坪くん(現、東京ドームホテル常務)とわたしだけ。それが急きょ、岩瀬君と同時期に経営戦略室長に昇格した佐治君が加わることになった。
佐治君も、例のSMDの中核メンバーだった。奥さんの暖子(あつこ)さんは、佐治君よりも優秀だったかもしれない。梅澤先生の下で、グループインタビューの資格(モデレーター)を取得した。それが、結婚で退社することになってしまった。彼女の才能を考えると、ん、もったいないと思ったものだ。でも、女の子が生まれて、旦那さんも出世したからいいとするか、、、
さて、いつもの4人席ではやや窮屈になる。そこで、おかみさんにお願いして、事前にセンターテーブルを確保してもらうことにしたというわけだった。
いつもとはちがって、7時始まりなのに、ゆったりと話し込んでしまった。15年ぶりだったので、4人で羽目を外して大いに騒いでしまった。常連の不動産屋さんは、わたしたちのそんな様子を4人掛けの席から眺めて。いつものように行儀よく、ひっそりと二人で飲んでいた。
わたしたちは、下町のナポレオン「いいちこ」を一本丸ごと空けてしまい、お開きになったのは、女将さんが静かに暖簾をしまってからさらに30分あと。10時半に、楽しい宴会はおしまいになり、わたしは3人を森下の駅まで見送りに出た。なつかしい旧友たち、なつかしい笑顔。新しい街で。