オリエンタルランドの2016年3月期の連結決算が発表になった。減収増益(純利益+3%)である。ただし、来園者は4%減って3019万人。会社発表によると、2017年3月期は増収増益を見込んでいる。しかし、三年連続の値上げで、来期の減収減益はほぼ確実だろう。
筆者が減収減益(▲5%~▲10%)を予想する根拠を、『新潮45』の2016年6月号で発表する。年初に、『読売オンライン』(1月6日配信)で発表したTDRのCSデータ(2015年度のJCSI調査)が読者から大きな反響を呼んだ。今日現在で、130万PVを記録している。
今回のドラフトでは、オリエンタルランドの長期的な経営と戦略対応の困難について、マネジメントのありようを詳細に分析している。オリエンタルランドは、創業者たちが去ったあとで大企業が直面する経営の困難と闘っている。しかも、創業の理念の継承だけでは、その困難を乗り越えることはできない。
ところで、原稿はわずか8ページだった。いつもならば、3~4日で書き上げるボリュームである。内容についても、ほぼ固まっていた原稿なのだが、なぜか執筆に2か月もかけてしまった。編集部の吉澤さんには、白内障の手術を言い訳に、2か月間、原稿の提出を待っていただいていた。
本音を言うと、実はその間、オリエンタルランドの2016年度3月期決算の発表を待っていたのだった。連結の決算は、予想通りの減収増益。2020年に向けて、縮小気味の投資計画も発表になった。これも予想の範囲だった。意を決して、準備していた結論部分に手を入れて、最終原稿を脱稿した。
大いなる難産の末に、昨日、編集部に提出した「さわり」の部分を以下では引用する。楽曲で言えば、もっとも美味しい”さび”の部分である。
<ドラフトからの一部抜粋>
「魔法の国の夢から醒めて:東京ディズニーリゾートで進行している異変の正体(仮)」
『新潮45』2016年5月号 (V5: 2016年4月30日)
文・小川孔輔(法政大学)
<入園料、7400円は高すぎる?>
4月1日、東京ディズニーリゾート(TDR)を運営するオリエンタルランドは、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーの入園料を500円値上げした。三年連続の値上げで、入園料は大人7400円になった。お値頃感を失ったせいなのか、TDRの来場者は対前年比で4%減少した。二年前の2013年は、開園30年記念行事と新アトラクション「アナと雪の女王」の導入で最大の入場者数(3130万人)を記録していた。ところが、2014年の入園者総数は3138万人で微増。昨年は入場者数が3年前に逆戻りした。
対照的なのが、躍進が著しい競合のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)である。2013年に1050万人だった入園者は、ハリーポッターなどの企画が功を奏して2014年には1270万人に増加。昨年はTDRに先行して入園料を7400円に値上げしたが、入園者は逆に大幅に伸びて1500万人を突破した。経営が破たんしてHIS傘下に入ったハウステンボスも、7年前(2009年)に141万人まで落ちていた入園者数が、2015年は300万人を突破している。ハウステンボスも、5年間で7度の値上げを実施している。入園料はTDRやUSJと同額(6800円)に設定されていたのに、入園者は増加の一途をたどっている。
(中略)
<2001年のコンセプトチェンジ:「舞浜リゾート」から「ディズニーリゾート」へ>
企業の業績が低迷したり、事業運営が困難になる原因は、往々にして直近の意思決定にではなく、そのはるか昔に行われた決定に起因していることがある。
ここに一冊の本がある。『海を超える想像力:東京リゾート誕生の物語』(講談社)。オリエンタルランド現会長の加賀見俊夫氏が、東京ディズニーシー開園の直後に著したTDRの誕生物語である。著者の加賀見氏は、初代社長の川崎千春氏と二代目社長の高橋政知氏の下で、東京ディズニーランドの立ち上げに奮闘することになる。本書を執筆したきっかけは、「実質的な創業者、高橋政知元社長の急逝だった」(2001年1月31日)と文中では述べられている。
東京ディズニーランドの開園(1983年)から20年後に、東京ディズニーシーがオープンする。米国ディズニー社との実務交渉担当者だった加賀見氏は、5代目社長としてオリエンタルランドにとって重要な決定を下す。それまで独自開発コンセプトだった「舞浜リゾート」を、「東京ディズニーリゾート」に変更したのである。変更後のコンセプトは、「ディズニーブランドを中心に据えて、イクスペリア、アンバサダーホテルなどの施設を含むエリア全体を”ディズニー”のイメージで統一する」という内容だった。
現在も会長職にある加賀見氏の指揮の下で、TDRはその後も成長を続けている。ところが、このコンセプトチェンジが、現在のエリア開発と将来の成長戦略に微妙に影響を与えている。加賀見氏ご自身は、「埋め立てによって誕生した舞浜エリアを、“ディズニーブランド”で統一することは正しかった」と結論づけている。しかし、コンセプトチェンジは両刃の剣だったのではないか。オリエンタルランドの経営に成長機会を提供することになったと同時に、長期的な事業開発には大きな制約が課されたのではないのかと筆者は考えている。もう少し具体的に、ブランド論の観点からその意味するところを説明してみたい。
*この結論については、5月中旬に発売になる『新潮45』(6月号)にご期待を!