Bar Abreuvoir@東大農学部(弥生キャンパス内)

 友人の大松冽さんに、東大農学部の構内にある素敵なバーに連れて行ってもらった。今年一番の冷え込みが襲来した4日前、水曜の夜のことである。忘年会の席で、「東京下町に住んでみたい。一軒家をさがしてるんです」と話したところ、「では、近所の不動産屋さんを紹介しましょう」となった。



 わたしにとっての”下町”とは、浅草から日本橋までの都営浅草線の沿線と、清澄白河・水天宮の辺りの一帯をさしている(半蔵門線)。もう一か所は、いわゆる「谷根千」(谷中、根津、千駄木)と神田・神楽坂のエリアである。つまり、わたしが住みたい街が下町である。
 よくある話で、大松さんからの「ご近所の不動産屋さんを紹介します!」の提案は、「とりあえず、おいしい食べ物やさんに行きましょうか?」にすり代わってしまった。大松さんは根津に住んでいる。うらやましい!!忘年会の仲間からは、数か月前に立川から上野に引っ越してきた岩崎さん(エースワン)が加わった。
 三人で飲んだのは、根津にある「松好」という焼き鳥屋さんだった。人気店らしく、「谷根千、焼き鳥」とネットで検索すると、食べログなどでは、かなり上位のほうにランクインしてくる。

 この日は、千代田線の根津駅の改札口で、大松さんと待ち合わせた。元テニスプレイヤーとは6時から飲み始めたのだが、仕事を終えた岩崎さんが、一時間後にふたりのよもやま話に加わった。
 そのころには、松好の30席ほどのテーブル席は満席になった。ほどなくして、カウンター席のほうも満杯になった。カウンター席では、目の前で串を焼いて食べさせてくれる。
 隣りのテーブル席で進行している会話にそれとなく聞き耳を立てると、この焼き鳥屋のお客さんは、東大の先生(農学部や理・工学部)と院生が多いことがわかった。学会の話や海外での研究発表の内容が話題の中心だったからである。国立大学系の学者さんや院生たちは、見た目でわかってしまう。やや地味っぽい身なりで、ニッチでマニアックな話題の周辺で話がぐるぐる回っている傾向があるからだ。
 名物のとり釜飯が出てきたのが8時半。ふかふかご飯に、お醤油の味が香ばしい。釜のご飯をおへらでかき混ぜて、おいしく鳥めしをいただいた。追加で頼んだアナゴ釜飯も三人でとり分けて、松好の席はその場でお開きになった。

 店を出るすこし前に、「ここから農学部まで7、8分歩きますが、東大の構内におもしろいバーがあるんです」と、大松さんがわたしたちを農学部のキャンパスツアーに誘った。二次会は東大農学部の構内にあるバーに連れていくことに決めていたらしい。事前に告知がなかったので、「東大の中にバーがある?そんな場所、むかしはなかったよなあ」とわたしは内心で思った。
 9時を回りそうになっている。夜気がずんずん冷えこんできた。今年一番の寒さになることは、出がけに天気予報でチェックしていた。マフラーをはおっているので、厚いコートの下はずいぶんと温かいのだが、たっぷりと飲んでしまっている。三人とも焼き鳥に日本酒が効いてふらふらで足元が心もとない。
 そのバーとやらには、大松さんが前もって電話を入れてあった。わたしたちが農学部のキャンパスに到達するころには、いつもは閉まっているはずの横門のくぐり門が開錠されていた。あとで知ったことだが、バー(Bar Abreuvoir)の名刺の裏には、根津駅からの徒歩経路が書いてあった。
 「裏入口は閉まっております。インターフォンにてお開けします」とあった。名刺を持っているひとは、大松さんのように前もってバーに電話を入れておくのだ。
 わたしは、経済学部の2年間、農学部近くの井上医院に下宿していた。文京区西方2-2-2。なつかしくも、忘れることができない住所だ。本郷三丁目から駒込の六義園、根津神社のあたりまでは勝手をよく知った町だった。だから、農学部キャンパスのこんなディープな場所に、こじゃれたバーがあるなんて想像もできなかった。感動ものである。驚きだった。

 向ヶ岡ファカルティハウスの二階が、目的地のBar Abreuvoir(アブルボア)だった。そのむかしに、旧制一高の学生寮(向ヶ岡寮)があった場所だ。向ケ岡という地名は、東大教養学部の前身、旧制一高の寮歌に出てくる。
 暗闇の中に、オレンジ色のサンドイッチ看板を見つけた。手書きで店名とメニューが書いてある。暗くて見えなかったが、一階はフレンチレストランらしい。この建物は、外国人研究者用の長期宿泊施設なのだろう。
 ファカルティハウスの隣りは、生物生産工学研究センターと動物医療センターの研究棟。1階から3階まで、研究室には煌々とあかりが灯っている。夜遅くまで実験をしているのだろう。東大の農学部からノーベル賞受賞者は出ていたっけ?
 打ちっぱなしのコンクリートの建物の寒々とした階段を昇って、渡り廊下のブリッジを跨いだ。入口のドアのノブを握って向こう側に押すと、かすかに木の香りがした。フィトンチッド?香りの正体は、あとからすぐにわかった。
 入って左側のブロックが、ソファーのあるテーブル席。右側の部屋は、カウンター席になっている。バーのカウンターは、ずいぶんと奥まで続いている。わたしたちは、カウンター席のほうに進んだ。テーブル席はほぼ満席だが、カウンター席は空いていたからだ。外国人らしい客が、奥のほうにひとりだけぽつねんと座って、バーテンダーに話しかけている。

 わたしを真ん中に挟んで、大松さんが左側に、岩崎さんが右側に腰かけた。カウンターは檜(ヒノキ)の一枚板で、香りの発生源はこれだった。東大の演習林から、タダで伐採してきた銘木だろう。日本一の森林所有者が、独立行政法人東京大学だ。
 一枚板の幅は80センチくらい。カウンターはずっと奥まで続ている。長さは10メートル近くはありそうだ。表面をニスできれいにコーティングしてあるから、木肌がつやつやと輝いている。
 「お飲み物は、何になさますか?」
 黒いチョッキを着た、白い髭のバーテンダーさんが、礼儀正しくわたしたちに声をかけた。ここが東大の構内とはとても思えない。銀座か赤坂のクラブにいるときのような、シックな気分になれる。実際には、農学部の研究棟の向かいの建物の中で、ウイスキーをロックで飲み始めようとしているのだった。
 「BOWMORE(バウモア)の12年物を」
 大松さんは、バーテンダーさんの背中の後ろにある棚の上に並んでいるウイスキーのボトルを子細に眺めている。熟慮のうえで、シングルモルトのスコッチウイスキーを頼んだ。テニス用品(ウインブルドン・ブランド)の輸入商として英国に滞在していたことがある大松さんは、スコッチにやたらと詳しい。
 わたしのためには、GLENMORANGIE(グレンモランジィ)の12年物をオーダーしてくれた。岩崎さんのチョイスは、「MACALLAN(マッカラン)」。サントリーが輸入しているスコッチで、これも標準はやはり12年物である。
 大松さんが頼んだBOWMOREを、ちょっとだけ舐めさせてもらった。”潮の香り”がするからとの触れ込みがあったからだ。たしかに、海の潮と藻草の香りが舌先で感じとれた。これは癖になりそうだ。

 楽しいお酒で、時刻は10時半をまわっていた。ほろ酔いの状態は通り越している。最後に、閉めのグラッパを頼んで解散することにした。日暮里駅からの最終電車が、11時20分に迫っている。
 焼き鳥屋の分を大松さんが払ってくれたので、バーの勘定は岩崎さんが持ってくれることになった。わたしは今日は御招待になった。シングルモルトの12年物をダブルのロックで各自1杯、グラッパ(銘柄を忘れてしまった!)を一杯ずつ。代金は、〆て1万円也。ごちそうさまでした。
 「安いよなあ」とつぶやきながら、店の若い人に裏門まで送ってもらった。今夜は、すごい隠れ家を発見した気持ちだった。
 「今度は誰と来ようかな、、、」と妄想しながら、店を出たのが悪かったのかもしれない。日暮里駅で電車に飛び乗ったところで、マフラーをカウンター横の物入れに忘れてきたことに気づいた。そのまま引き返すわけにはいかにない。北総線の最終電車に間に合わなくなる。タクシー代が4500円になる。
 やや濃い目のピンクのマフラーは、ブランド物のアルマーニだった。めずらしいデザインのマフラーで、軽い麻の素材で編みあげてあった。一番のお気に入りのアイテムである。仕事で英国を旅行したある女性が、わたしへの返礼として英国の高級百貨店ハロッズで買ってきてくれたものだ。
 そうか!でも、これでまた、Bar Abreuvoirに行く理由がついたことになる。やったかな。
 
 <後日談>
 翌日の夕方になってから、東大のBar Abreuvoirに電話をした。感じの良い対応で、次回の来店までマフラーは預かってもらうことになった。
 ちなみに、店名のAbreuvoir(アブルボア)はフランス語で、「動物たちの水飲み場」という意味だそうだ。そうなのだ。学者さんたちが、夕方からアルコールを飲みに行く場所のことなのだ。そうそう、東大はとくにそうだが、大学は珍獣を集めた動物園状態だものね(笑)。
 バー・アブルボアは、8年前にレストランの付属施設として開店したらしい。サントリーのプロントもどきで、昼はカフェで夜はバーに変身する。おしゃれな二毛作経営だ。街場の噂によると、当初とは経営主体が代わって、いまは銀座のママさんが趣味で店をやってるらしい。なお、東大のバーの記述には、かなり脚色が施してある。わたしの妄想が入っているので、全部は鵜呑みにしないように。

 <住所と連絡先>
 「アブルボア 東京大学」
 住所: 東京都文京区弥生1丁目1−1 東京大学農学部弥生キャンパス内
 電話:03-5840-8901

 木をふんだんに使った贅沢な内装で本格的なカクテルやお酒がいただける落ち着いたバーです。
 2014.10月〜リニューアルオープン
 Bar ABREUVOIR
 営業時間 P.M.6:OO-P.M.22:00
  (休)日曜・祝祭日
 (http://www.abreuvoir.co.jp/

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

 <参考:ウイスキー銘柄の解説>

 *1:BOWMORE(バウモア)12年(アマゾン・ドットコムのサイトから引用)
 1779年創業でアイラ島最古の蒸留所。「アイラの女王」とも呼ばれる気品あるスモーキーフレーバーが特徴のボウモア。12年物はボウモアモルトの代表的存在で、世界中のモルトウイスキー愛好家に愛されています。潮の香りが魅力のアイラモルトの中でも最もバランスが良く、爽やかな柑橘香も特徴です。

 *2:GLENMORANGIE(グレンモランジィ)12年(楽天の販売サイトから引用)
 グレンモーレンジィ・シングルモルト・スコッチウイスキーはスコットランドのハイランド地方で生まれました。その地に立つグレンモーレンジィ蒸留所では、スコットランドで最も背の高いポットスティルでウイスキーを蒸留し、最高級のオーク樽で熟成させ、テインの男たちの熟練の職人技で丁寧に仕上げています。1843 年に設立された蒸留所は、伝統と最新技術を融合させるパイオニアとして高い評価を受け、こだわりぬいた最高級ウイスキーを生み出しています。

 *3:MACALLAN(マッカラン)12年(サントリーのサイトから引用)
 厳選されたシェリー樽で最低12年間熟成させた原酒のみを使用。もっともスタンダードなザ・マッカランは、色:優雅な金色、香り:バニラにほのかなジンジャー、ドライフルーツ、シェリーの甘さ、味わい:濃厚なドライフルーツとシェリー、アフターテイスト:トフィーの甘さ、ドライフルーツにウッドスモークとスパイスが感じられる(醸造所の歴史や製法などについては、サントリーのサイトを参照のこと)。