懐かしい人の記事を発見! カリフォルニアの花生産者、大富豪のアンディー松井さん、お元気そうです

 日本経済新聞のネット記事で松井さんを見つけた。カリフォルニアの特派員からの配信の記事だった。アンディー松井氏は、カリフォルニアで大成功した日系移民(第二世代)のひとりである。記事には書かれていないが、日系移民の中では、天衣無縫でありながら、孤高の人でもある。


 
 拙著『花ビジネスで成功する方法』(草土出版、1994年)や『花を売る技術』(誠文堂新光社、2006年)でも、その大活躍の様子を紹介させていただいた。息子さんと娘さんの4人全員を、「芋づる式にハーバード大学に押し込んだ話」は、いまや伝説になっている。
 ペブルビーチゴルフコースに隣接しているご自宅の豪邸に、一晩だけ泊めていただいたことがある。その後は、たぶんわたしが、「松井さん、ヒスパニックに奨学金とか出してるのに、日本の花業界のためにはあまり貢献してないじゃないですか!」と余計なことを言ったばかりに、その後は疎遠になってしまった。
 「他人が善意でやっている慈善事業などについて、個人的なコメントをいうことは差し控えたほうがよい」と反省するきっかけを与えてくれた事件だった。記事を読んでみると、80歳になったいまも元気で暮らしているようだ。
 その昔、IFEX(2005年)で講演をしていただいた。そのときに話してからは連絡が途絶えている。この先も、とくに話すこともないだろう。松井さんの元気な笑顔が、とてもまぶしく見える(ご本人の写真は、日経のオンラインには掲載されている)。

 *なお、この記事の最後に、
 「マツイ氏の元に日本から弟子入りしようとする若者はいない。挑戦者精神が失われていった母国は、海外での成功者という貴重な未来への資源を維持することができないのだろうか。」
 と書かれているが、このコメントは事実ではない。九州熊本に、松井さんの薫陶を受けて、ミニのランを生産している日本人の若者がいる。2000年代はじめに、サリナスの松井ナーセリーで研修生だった宮川将人君である。また、松井さんのビジネスのやり方に影響を受けた日本人生産者は少なくない。

 <参考>
 「海がきらめくレストラン「オランダカフェ」(熊本県三角町)に行ってみてください。素敵な海とおいしい料理に出会えます。」(小川の個人ブログ、2008年7月28日、http://kosuke-ogawa.jugem.jp/?eid=667#sequel)
 

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米州Frontline ~特派員から

米国で成功したもう一人の「マツイ」 TPPで勝てる農業 
シリコンバレー支局 兼松雄一郎

<リード文>
「環太平洋経済連携協定(TPP)は全く恐れていない」。表彰状で埋め尽くされた執務室の椅子に座ったアンディ・マツイ氏は余裕の表情で答えた。奈良県出身の同氏は1962年、所持金1万円のみで何のつてもない状態で渡米し、花の栽培で財をなした。安価な輸入花との競争に打ち勝ち「世界のラン王」と呼ばれる地位を築いている。安倍晋三政権が採用する「ウーマノミクス」の提唱者であるゴールドマン・サックス証券副会長のキャシー・松井氏の父親で、4人の子供が全員ハーバード大学に入ったことでも知られる。個人の才覚だけで生き残ってきた「戦略家」には、先進国の農業がTPP後も勝ち残る道が見えている。

 「世界のラン王」と呼ばれるアンディ・マツイ氏(カリフォルニア州サリナス)
 小説家ジョン・スタインベックの「エデンの東」の舞台として知られるカリフォルニア州サリナス。小説同様、今も果てしなく広がる農園地帯の一角に、温室が林立する全米一の巨大ラン農園「マツイ・ナーサリー」がある。資産は100億円以上といわれ、慈善活動家としても知られるマツイ氏が統べるランの王国だ。

「年が若ければ今の規模を倍にするんだけどね」。マツイ氏は笑う。広大なラン園を歩き回り、時にはマウンテンバイクに乗り、鉢を運ぶベルトコンベヤーに飛び乗って周囲の様子を見渡す。80歳になったが衰えはみじんも感じさせない。

 ■米への花の輸入関税、引き下げの見通し
 米国の花業界には暗雲が垂れこめつつある。大筋合意したTPPが発効すれば米国への花の輸入関税も引き下げとなる見通しだ。アジアなどからの輸入花がさらに増え、競争は厳しくなる。TPPだけではない。チューリップなどで花への投機に慣れたオランダなどの資金が入ったケニアでは数千人規模の労働者を抱えるバラなどの花農園がありドバイ経由で世界中に輸出されている。台湾の大資本がランでも似たようなビジネスモデルをつくろうとしている。
 
 これらをマツイ氏は意に介さない。90年代以降、南米からの安い輸入切り花の攻勢を経験し、対応策は織り込み済みだからだ。

「輸送しにくく、人手もかかり、初期投資が大きい品種をあえて探した。それがランだった」。マツイ氏は意図的に競合が少ない分野を選んだ。菊やバラなどの栽培でなした財を使って、栽培に2年半かかるリスクの高いラン栽培に投資した。

 単価が高いランは花が咲くと運びにくい。栽培途中で茎の生え方・向きを微調整する必要があり人手もかかる。システム化しづらく、種をまくだけでは大量生産できないため、米種子大手モンサントなども手を出していない。結果、遺伝子組み換え製品の開発も停滞している。栽培期間の長さは投資上のリスクだが、一方で開花時期が柔軟に調整できる利点にもなる。市場の動きに合わせて温室の温度を変えれば在庫が調整できるからだ。

 ■年間500万鉢のラン生産、米市場のシェア2割占める
 この投資が当たり、規模拡大を追い風に多品種をそろえ、交配でさらに品種を増やしてきた。ブラジルや日本で開発された珍しい品種やチョコレートのような匂いを出す品種など1千種類以上がそろうマツイ・ナーサリーは、いまや世界のランの品種の9割を生産している。年間500万鉢を生産し、米市場でのシェアは約2割を占める。

 仕入れでは苗の大部分は台湾やタイなど労賃が4分の1程度の海外から輸入している。栽培工程のうち4割程度は海外だ。農園では近隣のヒスパニックの安価な労働力を生かしている。販売では不安定なイベント向けの需要に頼らず、景気変動の影響が小さいスーパーへの販路を開拓。手堅い家庭向けの需要を押さえた結果、シリコンバレー経済拡大の波にも乗った。

 ■経営に不動産投資組み込む
 こうした他を突き放す規模と資金の力は農業収入だけに頼っていては不可能だった。経営に不動産投資も組み込んでおり、農園のもうけの半分は不動産投資から出ている。もともと不動産投資は素人だったが、農家に貸し出せて、将来は住宅用地として売れそうな汎用性の高い土地に10~30年の期間で長期投資してきた。「実は不動産で損をしたことは一回もない」という。

 小型飛行機の操縦が趣味だったが、あるとき友人の助言で空から街の発展する方向を鳥の目で見るようになった。どの地区で建設が増え、住宅用地の需要がありそうか、自分の目で得た情報から投資をした。ただ、好景気に沸く近郊のシリコンバレー地域には詳しくなかったので手をださなかった。「今は想像もつかないだろうけどグーグルの本社あたりは昔ゴミ捨て場だった」と笑う。

 不動産へのあくなき執念と入念な調査の姿勢はラン園にも生きた。ラン栽培に気候が最適で地下水も出る土地を探すのに3年もかけた。結果、光熱費は低く抑えられ、近年深刻なカリフォルニア州の水不足問題とは無縁だ。近隣のラン園の大半が倒産・廃業していく中、事業は成長が続いている。

 「米国では日本と違って事業計画がしっかりしていれば農業にも資金が調達できる」。マツイ氏は実家の農家を継がずに渡米し、すぐに菊栽培で起業した。当時カリフォルニアには、台風など天災の被害者として難民枠を使い「難民救済法」に基づいて鹿児島から移住した日本人農家が多かった。米国の先進的な仕組みを吸収しようという熱意を持った日本の農家の若手が海を渡り、菊農園を営んでいた。マツイ氏は小売りへの直販ルートを開拓、卸業者から価格決定権を取り戻して競合と差をつけた。事業を拡大し、一時は世界最大級の菊農家になった。

 70年代に石油危機後の燃料価格高騰で、光熱費の安いフロリダなどの南部にデトロイトなど北部から移住する人が増えたのを見て核家族化の進行を見通した。葬式のような家族イベントの規模が小さくなると予測して、葬式用の需要が大部分だった菊からの完全な撤退を素早く決断、バラなどの切り花へ転換に成功した。一方で、日本人を含む他の菊農家の多くは淘汰された。

 ■ヒスパニックの学生など支援
 渡米から50年以上、日本は遠くなった。「日本は豊かな国。支援する必要はないでしょう」。マツイ氏がいま心血を注ぐのは近隣のヒスパニック学生向けの奨学金プログラムや大学の設立などだ。以前は日本の業界団体でよく講演などもしていたが、いまは行き先はランの苗を調達する台湾、タイなどに変わった。

 日本から米国に渡り大成功した数少ない起業家にとって、日本はいまやただの出身国にすぎない。北カリフォルニアの多くの移民起業家の中ではこれは珍しい考え方で、インド、中国などから米国に来た成功者の多くは母国から来る後進の世話もしている。一方、マツイ氏の元に日本から弟子入りしようとする若者はいない。挑戦者精神が失われていった母国は、海外での成功者という貴重な未来への資源を維持することができないのだろうか。