ぼんやりの時間

 梅雨のど真ん中。いつまでたっても、雨が上がろうとしない。走りに出るタイミングがつかめないまま、ぼんやりと時間を過ごしている。「先生に、ぼんやりする時間なんてあるんですか?」と皆さんに驚かれる。でも、仕事がら、一人で黙している時間は多い方だろう。



 今週末に、「秋田森のテラス」(北秋田市の桂瀬)に出かけることになっている。単純に、真っ暗闇の中で、池の上を飛び交う蛍を眺めるためだ。自然の中に浸ることで、精神(こころ)を洗うのだ。そして、あゆっこ温泉に入って、身体も洗うことになる。
 辰濃和男氏(元朝日新聞論説委員)に、『ぼんやりの時間』(岩波新書、2010年)という本がある。その第二章「ぼんやりと過ごすために」の4節で、辰濃さんは温泉の効用について述べている。
北海道知床(アイヌ語で「地の果て」の意味だそうだ)にある岩尾別温泉での沐浴の楽しみについて語っている。いわく、

 その1。疲れが抜ける。
     それはそうだ。固まった体を解くために、わたしたちは温泉に行くのだ。
 その2。心を洗う。
     これはすでに述べた通りだ。露天風呂でα波を浴びることは、一種の宗教的な体験のはずだ。
 その3。野生がよみがえる。
     日本の温泉場は、山中か川海の際にある。自然と隣り合わせで裸になるのだ。
 その4。自然に浸る。
     温泉に浸かるとき、木々と水脈と光が煌々と体に降り注ぐ。

 さて、雨は上がったようだ。雨上がりの森の中を走ってこよう。
 鳥が鳴いている。湿った林の道を疾駆すると、とても気持ちがよい。いまから、爽やかな夕刻がやってくる。そうそう、田植えの終った田圃のわきを通って、雑木林の中をぼんやりと走るのだ。